声優道

超ベテラン声優からあなたへ、声優になるための極意を伝授します。


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野沢那智の声優道

自身が設立した養成所『パフォーミング・アート・センター』でも多くの声優を指導されていた名優・野沢那智さんが語ってくれた“声優道”を、3回に分けてお送りします。

プロフィール

野沢那智 のざわなち……1月13日生まれ。2010年10月30日没。
代表作はアニメ『新・エースをねらえ!』(宗形仁)、『ベルサイユのバラ』(フェルゼン)、『スペース・コブラ』(コブラ)など。洋画の吹き替えではアラン・ドロン、アル・パチーノ、ジェームス・ディーン、ブルース・ウィルスなど5000本を超える作品に出演。声優の養成所「パフォーミング・アート・センター」を設立。

①人生何がどうなるかなんてわからない

最初から「役者になろう」と思っていたわけじゃないんですよ

野沢那智子供のころ、家の近くに明治座っていう芝居の劇場があったんですよ。新派とか新国劇が上演される劇場なんですけど、中学生のときは毎日のように通ってました。行って何を見てたかっていうと、役者じゃなくて舞台装置。明治座から帰ってくると、みかん箱を舞台に見立てたミニチュアを作って遊んだりなんかしてね。舞台が好きで好きでしょうがなかったんですね。将来は舞台美術家になりたいと思ってました。最初から「役者になろう」と思っていたわけじゃないんですよ。
いきなり、舞台美術家になれるわけがありませんから、高校から大学に進んで、大学3年のころからプロ劇団に出入りして、大道具なんかを手伝わせてもらうようになったんです。ところが、その劇団の舞台美術家から「おまえ絵がヘタだな。思いつきはいいんだけど。向いてないよ。やめろ」って言われちゃった(笑)。それでも芝居関係の仕事がやりたくて、今度は演出家を目指したんですよ。大学を飛び出して、七曜会というプロ劇団に演出家研修生として入りました。NHKの『事件記者』っていうドラマでキャップ役を演じていた、高城淳一さんの劇団なんですけどね。ところが高城さんに会ったとたん、「演出家希望?とりあえず役者やれ!」って言われて、いきなり舞台に出ることになっちゃった(笑)。それで3年くらい、劇団七曜会で役者を続けてましたね。

 そのころ、洋画の吹き替えっていう仕事が生まれたんです。映画館で外国映画を見るときは字幕でいいんですが、当時のテレビの小さい画面じゃ字幕が読みづらくて、ものすごい評判が悪かったんですよ。吹き替えにしたら、テレビで洋画を放映できるんじゃないかってことで、始まったんですね。でも、俳優の間では吹き替えの仕事なんで思い切り見下されていました。「俳優として、自分のオリジナリティを捨てているようなものだ。とんでもない」ってね。
だから、セリフの好きな舞台俳優のアルバイトだったんですよ。まだ当時はテレビドラマも生放送でしたから、ドラマの仕事が来ちゃうと稽古やリハーサルで一週間は拘束される。でも、それじゃ舞台のための稽古ができない。吹き替えは一定期間で終わるから、時間的に効率のいいアルバイトだったんですよ。やっぱり役者を目指しているからには、稽古時間が欲しいじゃないですか。それに、一応セリフをしゃべる仕事だから、まったく関係ない業種のアルバイトより、吹き替えのほうが勉強になりますからね。僕は演技のデッサンとして面白いなと思ったし、実際に収入もなかったんで、積極的にやりました。

一個15円のコッペパンが食べられた日はうれしくなった

声優なんて言葉は当時はなかったしね。アテレコをやっているのは、主に劇団に所属してる俳優だけ。そのほかにラジオドラマ専門の放送劇団っていういのがあってね。テレビが始まったことで仕事がなくなっちゃったから、放送劇団の人も吹き替えの仕事をしていましたね。それでも最初は50人もいなかったかな。今の声優さんはかわいそうですね。必死にレッスンしてオーディションを受けても、役がもらえないまま何年もがんばっていたりする。昔は名乗りをあげればすぐできた。もちろんヘタじゃだめですけどね。

そのあと劇団七曜会をやめて、仲間を集めて劇団城というのを立ちあげたんですけど、それが悲惨でしたね(笑)。初めて演出をやったんですが、3年間で借金を370万円くらい作りました。当時の370万円ですから、今だと2000万円くらいの価値ですか。若いだけがとりえっていう役者が集まって、難しい演目ばかりやってるんだから、お客さんなんて入るわけがない。結局劇団は分裂して、僕が借金を全部抱え込むことになったんです。アパートも引き払って、友人の家を転々としていました。1個15円のコッペパンが食べられた日は、「今日メシ食ったぞ」なんて嬉しがっていた時代ですから。それでも少しも辛くなかったのは、芝居が好きっていうのもあるけど、日本中が貧乏だったからでしょうね。

あるとき銀座を歩いていたら、先輩俳優の八奈見乗児さんにばったり会ったんですよ。そこで「何か仕事ないですか」って聞いたら「アテレコやればいいじゃないか」って言われて、俳協を紹介してもらったんです。それから、アテレコで若い男の役といえば「はい野沢那智!」って感じで、ばんばん仕事が回ってきました。1日3本やったこともあったかな。1年半頑張ったら、借金も半分になったんで、そろそろ役者を辞めようと思ったんですよ。そうしたら「最後にこのオーディションに行くだけ行ってきてよ。ほとんどキャストは決まっているんで、多分落ちるから大丈夫」っていわれたのが、『0011ナポレオン・ソロ』のイリヤ役。ところがなぜか、このイリヤ役が決まっちゃった。しかもそれが大当たりで、視聴率40%くらいとっちゃったんですよ。それで、役者をやめるわけにはいかなくなったんです。ほんとに人生、何がどうなるかなんて、わからないものですね。

 

先輩から学ぼう!

声優相談室、柴田がカツ
最強声優データベース、声優名鑑

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