声優道

超ベテラン声優からあなたへ、声優になるための極意を伝授します。


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白石冬美の声優道

声優としてだけでなくラジオパーソナリティとしても人気となったほか、エッセイストとしての横顔をもつ白石さん。現在はスターワールド学院、アニメーター学院などの講師として後進の指導にも当たっています。そんな白石さんの“声優道”を3回に分けてお送りします。

プロフィール

白石冬美 しらいしふゆみ……10月14日生まれ。静岡県出身。賢プロダクション所属。東宝芸能学校を卒業して日劇ダンシングチームに所属した後、声優としてデビュー。代表作は『W3』(ボッコ隊長)、『魔法使いサリー』(ポロン)、『巨人の星』(星明子)、『怪物くん』(怪物太郎)、『星の子チョビン』(チョビン)、『機動戦士ガンダム』(ミライ・ヤシマ)、『パタリロ!』(パタリロ・ド・マリネール8世)ほか。また、野沢那智さんとコンビでパーソナリティを務めたTBSラジオ『パックインミュージック』は、15年間にわたって放送された伝説的な長寿番組となっている。
アニメーター学院

①声優業界で初めて自分の居場所を見つけた

松竹音楽学校から東宝芸能学校へ

私は4人姉妹の長女なんですが、父の転勤が多かったので友達より姉妹で遊ぶことがほとんどでした。そのなかでよくやったのが“ごっこ遊び”。奥様ごっことかポン太郎さんごっことか、今思うとお芝居のエチュードみたいな遊びでしたね。あと本を読むのが大好きだったので、物語の世界に入りこんで演じるっていうことや空想することが楽しく学校では授業よりも、学芸会が一大事でした(笑)。中学卒業間際、新聞でレビューの松竹音楽学校の募集広告を見つけて、観たこともないのに受験したら、1000人余りの応募者のうち40人に、なぜか受かっちゃったんですよ。今もですが、当時から少女歌劇は西の宝塚、東のSKD(松竹歌劇団)を目指してみなさんダンス、音楽演技、レッスンを重ねた人ばかりで、私はなんのお稽古もしていなかったのです。

ミッションスクールでしたから、上京して芸能人になるなんて、とんでもないことだと両親よりも学校の先生方に大反対されました。最終的には説得して上京したのですが、選びぬかれた同期生たちとのレッスンに、全然ついていけないのです。バレエのピルエットでは目が回る、タップは音が出ない空中タップ(笑)。基礎ができていないということが、こんなにもダメだということを思い知らされ、三ヶ月で挫折しました。
そして、すべてを基礎から教えてくれる東宝芸能学校の演技科に入り直したのです。ところが不思議なもので、三ヶ月SKDでレッスンしたことが自信になったのか、タップも最初の授業から音が出るし、踊れるし、唄えるんです。三ヶ月でもレッスンするって、すごいことなのだと知りました。一流の先生の薫陶を受けたおかげで入学した秋には、東宝宝塚劇場の東宝ミュージカルで初舞台に立たせていただきました。

 

仕事を始めたばかりのころに肝炎を発症して帰郷

白石冬美東宝芸能学校を卒業するとき、私はお芝居がやりたかったから芸術座とか東宝映画に行きたかったんですが、なぜか日劇ダンシングチームに採用。舞踊科出身の人ばかりの中に、演技科からは私も含めて4人だけ。だから日劇では、また上には上がいるレベルのダンス陣に紛れ込んだ、“みそっかす”になる運命が……(笑)。

しかし、レビューの舞台は楽しかったし、多くのことを学びました。小さかったのでパリの景の子供とか、コントの景の端役では渥美清さんなどと同じ板の上に立ちました。日劇は芸人さんにとっては晴れ舞台でした。やがて妹がダンシングチームに入ってきて、たちまちエプロンステージで上級生に交じり踊るようになりました。それは嬉しかったのですが(笑)、その頃、演出の日高仁さんが「チャコはここにいる人でないよ、キャラメルのCMでもやったらいい」とエレベーターの中で言われて、そうかもと退団を決意しました。足掛け三年目で同期にも退団を考える人が出てくる頃であり、大抵引き止められると聞いていたのですが、「やめます」というと、にっこり笑って「お疲れさまでした」と言われました(笑)。退団した次の日の新聞に大映映画とフジテレビ合同主宰の大掛かりなタレント募集の記事を見つけて、これに応募しました。そのオーディションは、三千人を集める大規模なもので、三次にわたる審査の結果、カメラテストの最後の14人に残りました。

結局落ちたんですが、審査を見ていた博報堂の方の目にとまり、テレビの生コマーシャルのオーディションを受けることになりました。その日渡された台本をまっている間に暗記して演じたんです。美しい人ばかり集まっていて、みんな紙を見て見事に読んでいたので、「私は台本を離そう」とふとひらめいたんです。そして、クイズ番組のアシスタントと生CMをやらせていただくことになりました。私は幼い頃から本を読むことが好きで、今も本がないと生きていけません。声優の仕事にもラジオにもこのことは役に立っています。活字を読めば、すぐその世界が立ち上がってくるからです。その後は順調にCMやドラマ、舞台など仕事が忙しくなりかけた時に肝炎になり、医者の父のもとに帰郷しました。半年療養して戻ってきたら、私の場所はもう他人のものでした。
幸い声のお仕事をいただき、初めてのアテレコ現場では、先輩たちが本当に優しく、厳しくも手取り足取り教えてくださり、すごく居心地がよくて「私の探していた場所はここだった」と深く感じたのです。それから本格的に出逢いにも恵まれて、声のお仕事を中心にするようになったのです。

先輩から学ぼう!

声優相談室、柴田がカツ
最強声優データベース、声優名鑑

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