声優道

超ベテラン声優からあなたへ、声優になるための極意を伝授します。


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藤原啓治の声優道

『クレヨンしんちゃん』の野原ひろし役から『交響詩篇エウレカセブン』ホランド・ノヴァク役――。二枚目から三枚目まで幅広く演じる藤原啓治さんが、もがきながらたどり着いたのが、「うまくなれば、必ず仕事はある」という境地だった。ニーズに合わせるのではなく、自分がニーズになれ! 仕事が始まったら、そこがスタートライン。どう成長し、どう演じ続けているのか……。演技を通じて自分を見つめながら、藤原さんが見つけ出した「演技のもつ力」とは!?

プロフィール

藤原啓治 ふじわらけいじ…10月5日生まれ。東京都出身。AIR AGENCY所属。主な出演作は、アニメ『機動戦士ガンダムOO』(アリー・アル・サーシェス)、『天保異聞妖奇士(竜導往壓)、『交響詩篇エウレカセブン』(ホランド・ノヴァク)、『屍姫』(田神景世)、『黒塚』(歌留多)、『西洋骨董洋菓子店~アンティーク~』(橘圭一郎)、『RD潜脳調査室』(久島永一朗)、『BACCANO!』(ラッド・ルッソ)、『クレヨンしんちゃん』(野原ひろし)他多数。
AIR AGENCY

①この世界で絶対に食ってやる! 悔しさから勉強と練習に明け暮れた

とにかく食わなければという思いで声優に――

藤原啓治もとはと言えば、舞台や映画の仕事をしたいと思っていたのが、この世界に入るきっかけでした。初めはとりあえず大学に入ろうと、なんとなく受験勉強をしながら色んな学校が載っている分厚い資料を見ていたんです。でもああいう本って最後のページに近づくにつれて、演劇とかの学校も登場するんですよ。それを見ているうちに「あ、俺がやりたいことってこれなんじゃないの?」と、その気になってしまったんです。

で、悩んだあげくに父の反対を押し切り、進学をやめて文学座付属演劇研究所に入ることになったんですけど、入ってみたらなんと半数近くが学生。「うわ、両立できるんじゃん!」とショックを受けましたね。そこからまた別の劇団に入り……という感じで20代半ばまでやっていましたが、いかんせん劇団はメシが食えない。久々に会った親戚のおじさんからは「啓司くんもいつまでも夢を追いかけてないでさあ」なんて言われてしまったり、そもそも自分でも「メシが食えないのならば、それは仕事じゃなくて趣味だ」と思っていた部分もあったりで、けっこう葛藤がありました。 

そんなわけで「これじゃいつまで経っても同じことに繰り返しだ。早くなんとかしなくては」と、知人に賢プロダクションを紹介してもらったわけです。俳優から声優へ。まず戸惑ったのは、求められる演技の違い。舞台では、面白ければ割と自由にやらせてもらえる。だけど声優はいかんせん制約が多い。いい演技をしても画面の口パクに合っていなかったらNGになってしまう。

初仕事で大変だったのは、それが初仕事と言えなかったことですかね。「もう慣れてるって言ってあるから、初めてだって言わないように」と言われて現場に入ったんだけど、そもそもどこに座っていいのかすらも分からない。セリフを録ったら録ったで「藤原さん、ちょっとマイク吹いてます」と言われてしまって、でも「マイクを吹く」っていうこと自体どういうことか分からない。しかし、初仕事だと言えない以上、意味を訊くわけにもいかないじゃないですか。だから「あ、吹いてました? いやあ、すいません」と知らん顔してリテイク。で、やっぱり「あのー、まだ吹いてるんですよねぇ」なんて言われてしまって、もう必死に考えちゃいましたね。

ジレンマと戸惑いと、そしてプライドと

最初の挫折は、割とすぐでした。何本目かの仕事でゲスト主役みたいな役をいただいたんですが、それまでの役と違ってセリフが多かったんですよ。しかも当時は今みたいにあらかじめVTRがもらえなかったんです。で、台本を見ながらさんざん練習していったんだけど、いざ収録が始まると、その練習が活きなかった。キャラクターの口の動きに合わないんです。現場が白ける。視線が痛い。ああ、俺はなんて無知だったんだ……。もうたまらない気持ちですっかり叩きのめされてしまいました。
帰り道、やりきれない思いでガードレールを蹴っ飛ばし、そこで初めて本気になりましたね。「くそぅ。俺は絶対にこの世界で食ってやるぞ」と。そこからはとにかく勉強と練習に明け暮れました。とはいえ、声優養成所に通っていたわけではないので、自分で何とかするしかありません。そこで目をつけたのがテレビです。テレビをつけると、毎日好きなときにプロの仕事が、それもタダで見られるんです。いちばんいい参考書だと思い、テレビで他の声優がどんなふうに演技をしているのかを見て、自分でも実際にセリフをしゃべってみたりもしました。そしてなかなか慣れなかったアニメ独特のセリフ回しも、積極的に「慣れよう」という気持ちを持つようにしました。

 そうやってなんとかかんとか5年経ったころに「あ、慣れてきたかな」と思い始め、10年が過ぎたころには「もっとできるんじゃないかな」と考えるようになっていました。ちなみにそのときの音響監督と次に仕事を一緒にしたのは、十何年か過ぎてから。何だか節目を迎えたみたいで感慨深かったのと同時に「一度のミスが十数年のブランクを生むんだなぁ」と、怖さも知りましたね。なんとなく食えるようになってくると、たとえば親戚のおじさんに言われた言葉とかも「ああ、そうだよなあ」と受け入れるようになりました。反発心を抱いていたのが、不思議と謙虚になるんですよね。俺のために言ってくれてたんだなあ、と。

正直な話、長い間「声優です」とは言えませんでした。なんだか、負けて落ちてきた先で仕事をしているような気がしてしまって。でも謙虚に考えるようになると、ガラリと変わってしまう。「自分の偏屈さなんか何の意味もないんだ。技術的なことを変えるより意識を変えたほうが早いんだ」と。今は、スタジオでセリフをしゃべっているときが一番楽しいし、仕事をしていない自分に価値は感じません。

先輩から学ぼう!

声優相談室、柴田がカツ
最強声優データベース、声優名鑑

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