声優道

超ベテラン声優からあなたへ、声優になるための極意を伝授します。


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三ツ矢雄二の声優道

音響監督から編集長、はたまたバンドのキーボードまで……? なんでもこなすマルチ・プレイヤー、三ツ矢雄二さん。『タッチ』の上杉達也から『キテレツ大百科』のトンガリまで、声優業でもこれまた手広い。 いい演技を生むのは、浅くてもいいから広い知識。今でも出ている週刊誌はほとんどすべて読みあさっているという三ツ矢雄二さん。彼の思い描く、理想的な声優の姿とは――? 使い捨てではなく、長く必要とされる声優になるために、今、この瞬間から始められることがある!

プロフィール

三ツ矢雄二 みつやゆうじ……10月18日生まれ。愛知県出身。コンビネーション所属。主な出演作は、アニメ『タッチ』(上杉達也)、『キテレツ大百科』(トンガリ)、『ガラスの仮面』(桜小路優)、『超電磁ロボ コン・バトラーV』(葵豹馬)、『それいけ!アンパンマン』(カツドンマン)、映画『アマデウス』(モーツァルト)、『ライオンキング』(ティモン)、『リロ&スティッチ』(プークリー)ほか。

①いくつもの幸運に恵まれて、僕は芸能界に入った

子役から声優へ――踏み出した最初の一歩とは?

三ツ矢雄二

演技を始めたときは、声優になろうと思っていたわけではありませんでした。10歳のころに『どんぐり音楽会』というのど自慢番組に出場して優勝したのをきっかけに、芸能界を目指したんです。デビューの翌年には『海から来た平太』という番組で、主役に合格。その後『中学生群像』(現在の『中学生日記』)に出演したんですが、同期に竹下景子さんがいました。後輩だと、戸田恵子さんとか。 高校卒業後、上京して明治大学の文学部に進んだんですが、舞台がやってみたくて、蜷川幸雄さんの事務所に入ったんです。

このころ『王女メディア』に出させていただいたのが、舞台デビューですね。そんなわけで、昼は役者、夜は学生という二足のわらじをはいていたんですが、ここで壁にぶちあたります。身長が低いせいで、だんだんオーディションに受からなくなってきたんですよ。 それでもアルバイトをしながら役者を続けていたんですが、あるとき、子役時代のディレクターに「人形の声をやらないか」と声をかけられて『プルルくん』という人形劇に出ることになったんです。これが、声のみでの初仕事になりました。周りはみんな声優さんで、そのなかに永井一郎さんがいらっしゃったんです。

この人形劇の最終日の打ち上げで、運命が変わりました。本当は参加する気はなくてバイトしてたんですけど、バイト先のサンドイッチ屋さんの店長が「そういうのは大事だから、行っておいで」と早退させてくれたんです。この打ち上げで「明日オーディションがあるんだけど、受けてみなさい。話しておくから」と、べろんべろんに酔っぱらった永井さんが紙ナプキンみたいなものに時間と場所だけ書いて渡してくれたんです。もう完全に寝耳に水です。

でもそう言われたら、行かないわけにはいきません。「酔っぱらってたから、忘れちゃってるんじゃないかなあ」と不安になりながらも。で、地図に書かれたビルに行ってみたら、シャッターが閉まってるんですよね。うろうろ歩き回ってようやく裏口を見つけたときには、もう20分の遅刻。おそるおそるビルの人に「あのう、ここでアニメのオーディションやっていませんか?」って訊いてみたら、やっていたのが『コン・バトラーV』のオーディションだったんです。このオーディションに合格し、葵豹馬の役をいただいたのが、アニメ声優としての初仕事でした。

声優ブーム到来! 心に浮かんだある疑問

三ツ矢雄二

合格したのはいいんですけど、なんせ未経験。なのに、主役です。しかも当時は今みたいに便利じゃないから、オープンリールのテープを回しながら収録するんですよね。失敗すると、テープがダメになってしまうんです。僕はもちろんNG出しまくりだったんですが、積み上げられたクズテープの山を前に、さんざん怒られました。ひとつのセリフを50回も60回も録りなおしさせられ、本当に凹みましたよ。「もう仕事こないかも」なんて思っていましたね。

ですが、先輩方に恵まれたのが本当にありがたかったです。収録後、みんなが集まって飲んでいるところに、ようやく収録を終えた僕が遅れて行くわけですよ。そうすると、皆さんがいろいろアドバイスをくださるんです。さらに「帰りが同じ方向だから」と野沢雅子さんが車に乗せてくださってたんですが、車の中でも分かりやすく教えてくださるんですよね。あの経験がなかったら、今の自分はないと思います。その後、『バラタック』『キャンディ・キャンディ』と仕事が続くんですが、「ああ、続けてもいいんだ」と、本当にほっとしました。今みたいに声優になりたい人が多い時代ではなかったので、業界が新人を欲しがっていたという幸運にも恵まれてたんでしょう。

 声優の仕事がどんどん増えてゆくうちに、「だったら声優の事務所に移ったほうがいいんじゃないか」とアドバイスを受け、青二プロダクションに移籍することになります。そして26~27歳のころにやってきたのが、声優ブーム。僕もこれに乗っかって、古川登志夫さんや古谷徹さん、神谷明さんたちと、スラップスティックというバンドを組んで、音楽活動をしたりしていました。
そんな感じで、もう「どっぷり声優」っていう感じになってしまっていたんですが、ふと、「このままでいいのか?」っていう疑問が湧いてきたんですね。それで、30歳のころに田中真弓さんとプロジェクト・レヴューという劇団を立ち上げることになったんです。このころは「芝居の宣伝をさせてくれる」というのでショートケーキのコスプレで唄いながら体操をしたり、CDを出したりと、いろいろやっていましたね。

先輩から学ぼう!

声優相談室、柴田がカツ
最強声優データベース、声優名鑑

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