声優道

超ベテラン声優からあなたへ、声優になるための極意を伝授します。


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岩田光央の声優道

アニメでさまざまな役を演じるだけでなく、ラジオのパーソナリティとしても人気を誇り、アーティストとしてコンスタントにCDをリリースするなど、多彩な活動を繰り広げる岩田光央さん。小学生のときに児童劇団に入ってから、人気声優として活躍する現在まで、その道程すべてを振り返ってくださいました。トークの中には、演技のヒントや声優志望者に向けたメッセージなど、貴重なエピソードがいっぱい。そんな岩田さんの声優道を、3回に分けてお送りします。

プロフィール

岩田光央 いわたみつお……7月31日生まれ。アクロスエンタテインメント所属。主な出演作はアニメ『AKIRA』(金田正太郎)、『ここはグリーンウッド』(池田光流)、『頭文字D』(武内樹)、『灼眼のシャナ』(“蹂躙の爪牙”マルコシアス)、『トリコ』(サニー)、ゲーム『アンジェリーク』シリーズ(鋼の守護聖ゼフェル)、ラジオ『スウィート・イグニッション』ほか

 

①小学校4年で気づいた「演じることが楽しい」という気持ち

 小学生を対象にしたオーディションに合格して演技の道へ 

岩田光央

僕は埼玉県所沢市出身なんですが、小学4年のときに「よい映画を見る会」という団体が企画した、埼玉県在住の小学生をメインキャストにした教育映画『あすも夕やけ』という作品に出ることになったんです。僕は小学校の代表としてオーディションに参加したんですが、運良く準主役で受かって、夏休みいっぱいロケに参加しました。

先生役で風間杜夫さんが参加していらっしゃったり、お母さん役で樹木希林さんがいらっしゃったりと、教育映画とはいってもかなり本格的な作品なんです。雨の中で泥んこになるシーンがあったり、ケンカをするシーンがあったりと、ロケは結構大変だったんですが、子供心にすごく楽しかったんです。

『あすも夕やけ』には小学生が10数人出演していたんですが、そのなかに劇団こまどりに所属していた熊谷誠二くんという男の子がいたんです。僕がロケの間中、熊谷くんに「面白いね、面白いね」といっていたら、「じゃあ、うちの劇団に来れば?」と勧められました。それで、親に半年くらい「劇団に通わせてくれ」といい続けたんです。

最初は反対されたんですが、とうとう根負けしたんでしょうね。「そんなにやりたいなら、レッスンにも、仮に仕事が決まったとしても、親は一切ついていかない」という条件を出されて、許可してくれました。今でも覚えていますが、劇団こまどりに入団した日が小学5年の5月14日のことです。それが僕が表現の道に入ったきっかけですね。それ以前は、映画に興味があるとか、演技をしてみたいなんていうことはまったく考えていなかったのに、それから今までこういう世界にいさせてもらっているというのは不思議な感じがしますね。

劇団こまどりのレッスンもすごく楽しくて、鏡の前で喜怒哀楽の表現をするというレッスンなど、ひとつひとつが新鮮で今でも印象に残っています。しかも、入団して1週間で仕事のオーディションに受かるという劇団最短記録を打ち立てたんです。小学生が水道施設に行ってレポートするという企画だったんですが、じつは返事をするときに元気がよかったら選ばれただけだったんです。

僕は演技の勉強を始めたばかりでまったくなにも解っていなかったので、周囲の大人はいろいろと苦労をしたみたいですね(笑)。その後も、樋口可南子さんのデビュー作となったドラマ『こおろぎ橋』に出演させていただいたり、『がしんたれ』というドラマに出演させていただいたりしました。『がしんたれ』は東京・目黒のスタジオで撮影していたんですが、ときには撮影が深夜2時まで続くこともありました。そのときはさすがに劇団から親に電話がいったらしくて、父がしぶしぶ迎えに来てくれましたね。でも最初の約束通り、電車があるうちは絶対に迎えに来ないんです。レッスンや仕事帰りに電車の中で寝てしまい、終点まで行ってしまうこともありましたが、家に電話をすると「まだ電車もあるし、帰って来られる時間だよね」っていわれちゃうんです。 

 

改めて振り返ると、親の影響は大きかったかもしれない

  今から思うと、親はすごく勇気があったなと思います。僕の息子が10歳になったとき、同じことをしてあげられるのか考えたら、その場になってみないと解らないとしかいいようがありません。ただ、僕は4人兄弟の3番目なんですが、かなり小さいうちから兄弟だけで長野の祖父の家に行かされたりもしていましたから、自立心を養うということに重点を置いていたんでしょうか。僕が出演したドラマについても、見ているのか見ていないのか、一切なにもいいませんでした。よくいわれたのは「ただでさえ目立つ仕事をしているんだから、普段の生活をきちんとしなさい」ということですね。中学のときにドラマ『1年B組新八先生』に出演したんですが、『3年B組金八先生』の姉妹作ということもあってとても人気が高く、「月刊明星」「月刊平凡」といったアイドル誌に毎号のように出させていただいていたんです。そうしたら、学校で先輩に呼び出されたりと怖い経験もしましたね。そんな経験もあって、親にいわれたように日常生活を大切にしようと、クラスの委員を引き受けたり、学校行事にも積極的に参加するようになりました。

そんな学校生活を送りながら成長したんですが、職業としての役者を意識したのは高校3年のときですね。許されるのであれば役者を続けたいと思ったんですが、当時自分でも役者で食べていくことは相当難しいことだとは解っていました。それで、役者を続けていくために手に職をつけようと、東洋美術学校に進学したんです。父が休日のたびにどこかにでかけていっては油絵で風景画を描いているような環境で育ったので、僕自身も絵を描くことが好きだったし、中高と6年間美術部にいて、役者の次に自分のやりたいこと、興味のあることを考えたときに、「だったら絵はどうだろう」と思ったんです。それで高校の先生に「美大に進学したい」といったら、「無理だ。もう1年早くいえ」と怒られました(笑)。でも、油絵では役者以上に食べていけないことも解っていたので、東洋美術学校ではグラフィックデザインを学んで、デザイン事務所に就職しました。デザイナーの仕事は25歳くらいまで続けていましたが、なんとか役者のほうだけで食べていけるという手応えがあったので、表現の道1本に絞ったんです。

自分では、好きな道を自分で選んで歩いてきたつもりですが、今から考えると父の影響が大きかったのかな。僕の父は東映に勤めていたので、夏休みや冬休みに公開される「東映まんがまつり」は必ず観させられていたんです。そのほかにも父自身が映画好きというのもあって、まだ発売されたばかりのビデオデッキを買って、テレビ放映される映画を録画しては観るというのを繰り返していました。初めての映画に出演して、演技の勉強をしたいと思うようになる以前から、無意識のうちにそういう環境に置かれていたことが、現在の僕を作っているのかもしれません。今になって、初めてそう思います。

 

先輩から学ぼう!

声優相談室、柴田がカツ
最強声優データベース、声優名鑑

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