声優道

超ベテラン声優からあなたへ、声優になるための極意を伝授します。


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清水マリの声優道

声優という仕事の創世記から活躍され、長年にわたり『鉄腕アトム』のアトム役という国民的キャラクターを演じてきた清水さん。その功績を認められて、東京国際アニメフェアにて第2回特別功労賞を受賞し、「声優の母」とも呼ばれています。そんな清水さんが語る当時の貴重なエピソードや、声優を目指す人へのアドバイスは見逃せません。

プロフィール

清水マリ  しみずまり……6月7日生まれ。ぷろだくしょんバオバブ所属。主な出演作は『鉄腕アトム』(アトム)、『妖怪人間ベム』(ベロ)、『ジェッターマルス』(マルス)、『宝島』(ジム・ホーキンズ)ほか。

ぷろだくしょんバオバブ

音響芸術専門学校

①みんなでひとつの舞台を作っていくという感覚が好きだった

 

父の反対を押し切って俳優座の養成所へ

 私の父は役者だったんです。役者といっても悪役専門で、最後にはいつも斬られて死んじゃうんですけどね(笑)。学校の先生や友達もみんなそれを知っていたので、学芸会などでいつも私はいい役をもらっていたんです。父の子だからといって才能があるとは限らないんですけど、私自身もお芝居をするのは面白いなと感じていましたね。当時は戦後のまだ何もないころだったので、父が地元の青年団を集めて劇団を作って公演をしていたんですけど、そこで『ピノキオ』を上演することになったんです。ところが劇団には子供がいないということで、中学1年だった私がピノキオ役を演じることになりました。その舞台を経験して、本格的に演劇をやってみたいという気持ちになったんです。中学を卒業するとき、父に「役者になりたい」といったら猛反対されました。役者の世界の厳しさを身をもって知っていたからこそ反対したんだと思いますが、「せめて高校くらいは行っておけ」といわれて、演劇部のある高校に進学して3年間芝居漬けの学校生活を送りました。

 

清水マリ

そして高校を卒業して俳優座の養成所に入ったんですが、父は「おまえには才能なんかない。どうせすぐ辞めるに決まっている」と反対しつつも、とりあえず3年間は養成所に通うことを許してくれたんです。
俳優座の養成所では、1級上に大山のぶ代さんがいらっしゃいました。俳優座の養成所を卒業してから同じ劇団に所属したこともあって、ずっと仲良くしていただいています。私が劇団の養成所にいた時代はまだテレビもなかったので、養成所を出ても映画俳優になるか、舞台俳優になるか、ラジオの放送劇をやるかくらいしか選択肢がなかったんです。私は舞台がやりたくて劇団に入ったんですが、じつはあまり舞台に立った記憶がないんですよ。渡辺美佐子さんの付き人のようなことをやらせていただいたり、演出助手のようなことばかりしていました。最初は舞台役者になりたかったはずなのに、どういうわけかそういう裏方作業があまり苦にならなかったんです。自分がスポットライトを浴びるよりも、みんなでひとつの舞台を作っていくという感覚が好きだったのかもしれません。
とはいえ、いろいろ失敗もありました。同期の友人が舞台に立っているとき、幕の影で役者に次のセリフを教えるプロンプターというのを何度かやったんですが、結構難しいんですよ。なかなか次のセリフが聞こえてこないので、忘れてしまったのかと思って小声で教えたら、後で「あれは間を取ってたんだ」って叱られたりしてね(笑)。

 

鉄腕アトムという役に魂を吹き込む

 

  

 

 

 

清水マリ

 そんなときにテレビが普及してきて、劇団員が洋画のアフレコ要員として引っ張り出されるようになってきたんです。劇団に所属していると、公演のたびにチケットの販売ノルマが割り当てられて、売れないと自分の借金になっちゃうんです。でも、いくら家族や友達に売ろうとしても、そう何度も買ってくれるものではありません。かといって、劇団の稽古があるからほかの仕事をするのもなかなか難しいし、当時はテレビのアフレコは劇団員にとっていいアルバイトになりました。
アトムの役に決まったのは、ほんとに運がいいというか、巡り合わせみたいなものですね。あるとき「手塚治虫さんがアニメを作るので、主人公の男の子の役を演じてほしい」といわれてスタジオに呼ばれたんです。それまで私はそんなに大きな役を演じたことがなかったんですが、父の劇団にいた人が手塚治虫さんのプロダクションに所属していたんです。その人は、手塚さんから「アトムのモチーフはピノキオだ」という風に聞いて、その昔、父の劇団で『ピノキオ』を演じた私のことを思い出してくださったそうです。

スタジオに行ってみたら、まだ放送用に作られた作品ではなくて、それが「こんな作品を作りますよ」とテレビ局に売り込みに行くための10分くらいのパイロット版だったんですが、完成したフィルムを見て手塚さんが「アトムに魂が入った」といって非常に喜んでくださったんです。本放送版を作るときにパイロット版キャストが変わってしまうこともよくあるんですが、手塚さんの中でのアトムのイメージが私の声で固まってしまったらしくて、結局本放送版でも私が演じることになりました。
ただ、当時の私はアトムという役がこれほど後世まで残るとは思ってなかったんですよ。だから1話から10話くらいまでの台本は、もう手元にないんです。そのころは今のように製紙技術も発達してなかったので、台本にもざら紙が使われていたせいで、1本30分の作品なのに台本がやたらと厚いんです。「これは大事にしないといけないな」と思い始めたのは30話くらいからです。残っている台本を見ると「これがなくなったらかなりのスペースが空くな」と思うくらいの量がありますけどやっぱり捨てられない、いい思い出ですね。

 

先輩から学ぼう!

声優相談室、柴田がカツ
最強声優データベース、声優名鑑

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