声優道

超ベテラン声優からあなたへ、声優になるための極意を伝授します。


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チョーの声優道

教育番組『たんけんぼくのまち』のチョーさんとして子供たちに大人気となり、ついには芸名もチョーさんに! 声優としてさまざまなアニメや洋画の声を担当するだけでなく、TV番組『いないいないばあっ!』では着ぐるみで演じるという八面六臂の活躍を見せています。そんなチョーさんが、芝居の世界に入ったきっかけ、さまざまな番組でのエピソード、そして声優を目指す人へのメッセージまで、たっぷりと語ってくださいました。

プロフィール

チョー  ちょー…12月15日生まれ。俳協所属。主な出演作は、アニメ『ONE PIECE』(ブルック)、『逆境無頼カイジ 破戒録篇』(大槻)、『マリー&ガリー』(ガリレオ)、『ペンギンの問題』(井上マイケル)、『犬夜叉』(邪見)、『ぶぶチャチャ』(チャチャ)、TV『たんけんぼくのまち』(チョーさん)、『いないいないばあっ!』(ワンワン)、『侍戦隊シンケンジャー』(骨のシタリ)、洋画『ロード・オブ・ザ・リング』(ゴラム)、『スクービィー・ドゥ』(スクービィー)ほか。

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チョー 公式ブログ「きのうチョーあした」

①大学の落語研究会で表現する楽しさに目覚めた

 

将来は国語の教師になるつもりだった

チョー

 僕が演技の道を選んだ理由はいろいろあるんです。僕の大学時代は、明治大学の落語研究会から三宅裕司さんやコント赤信号の渡辺正行さんが出ていらっしゃっていて、ちょっとした落研ブームだったんです。僕は国語教員を目指して大学に入ったんですが、あまり人とのコミュニケーションが得意ではなく、話をするのもどちらかといえば苦手でした。教員になりたいなら人前でしゃべれなくちゃいけないだろうと思って、勧誘されたのをきっかけに落研に入ったんです。そこで初めて「何かを表現するのは楽しいな」と思うようになりました。
大学4年の夏、地元の埼玉県で教員の採用試験を受けたんですが、残念ながら落ちてしまいました。採用試験は年1度しかないので、また来年の夏に受験しようと思ったんですが、そうすると卒業までの半年間がヒマになりますよね。そのときちょうど、劇団青年座の研究所が夜間部の受講者を募集しているというチラシを見たんです。

 当時、青年座出身の西田敏行さんが大活躍をされていたこともあって、どんな劇団なのか興味をもちました。夜間部なら大学に通いながら受講できるじゃないですか。それで入ってみたら、面白かったんです。
大学卒業後は大学の先生の紹介で、とある私立高校に就職(臨時教員として)することが決まっていました。でも、自分のなかでは演技の道をどうしても捨てきれないという気持ちがあったんです。それで、文学座の付属演劇研究所を受けてみて、受かったら就職をやめようと思ったんです。なぜ文学座なのかというと、当時は松田優作さん、中村雅俊さん、田中裕子さんという文学座出身の俳優さんが一気にスターになっていたというミーハーな理由なんですけどね。受けてみたら嬉しいことに受かったもので、就職先を紹介してくれた先生のところに「やっぱり就職はやめます」と謝りに行きました。親にも「どうしようもない」とあきれられましたね。
演技の道に進んだ理由は、ほかにもいろいろあります。大学時代、東京の成城学園前に住んでいる友達のところに遊びに行った時、途中の道で「ここが三船敏郎さんの家だよ」「ここが加山雄三さんの家だよ」と教えてくれたんですが、それがみんなものすごい豪邸なんですよ。僕は埼玉の田舎出身なので、町の雰囲気だけで「東京はすごいな」と感じていたんですが、大スターのお宅はもうスケールが違うんです。ものすごく驚いたのと同時に、「こんな大きな夢を持って働きたい」とも感じました。それがずっと頭の中にひっかかっていたというのもあって、大学卒業間際になって演技の道に進んでしまったんです。じゃあ今まで役者を続けていて豪邸が建てられたかというと、まったくそんなことはないんですけどね(笑)。

 

『たんけんぼくのまち』でテレビデビュー

 

  

 

 

チョー

 文学座の演劇研究所では、やることなすこと新鮮で「なんて楽しいんだろう」と毎日感じていました。まず、キラキラしている人が周囲にいっぱいいるんです。美しい人もいますし、あか抜けている人もいるんですが、それだけではなくてみんな芝居にものすごい情熱を傾けているんです。その真剣さがとても新鮮で、そういう情熱を持った人といろいろな話をするだけで楽しかったし、刺激になりました。

でも僕自身は、役者になれるとはまったく思えなかったんです。真剣な仲間達にくらべたら、演技も素質もまったく敵わないと思っていましたから、漠然と「役者になれればいいな」くらいにしか考えていませんでした。
文学座付属演劇研究所を出てから、劇団青年座研究所の実習科に入って、その仲間達と小劇場を中心に公演する劇団を組んだんです。ちょうど、三宅裕司さんのスーパー・エキセントリック・シアターとか、渡辺えり子さんの劇団3○○などが注目されていたころで、僕達も見習って気合いを入れようということで結成しました。劇団青年座研究所から生まれた劇団ということもあって、公演にはよく青年座のマネージャーさんが見に来てくださり、舞台で面白い演技をしている人に仕事を振ってくださることもありました。僕も「初井言榮さんが付き人を探しているからやってみない?」というお話をいただいて、付き人をしながら勉強させてもらっていました。
『たんけんぼくのまち』も、同じような形で「社会科教育番組のオーディションがあるから受けてみない?」というお話をいただいたのがきっかけです。それまで、初井さんの出ていらっしゃるドラマにチョイ役で出演したりという経験はありましたが、『たんけんぼくのまち』が実質的なテレビデビューですね。
『たんけんぼくのまち』は1984年から8年間やりました。隔週でロケがあるんですが、1本が15分の番組なのに4泊5日でロケをするんです。じつに贅沢ですよね。僕が自転車でさまざまな場所を訪ねていって人々と触れあうという内容なので、地元の人のスケジュールに合わせるために余裕のある日程を組んでいるんです。例えば農家の人に「これをやってほしい」と頼んだとき、「明日は青年団の会議があるから、明後日ならいいよ」といわれてしまったら明後日まで待たなくちゃならないんです。天気にも左右されますし、ロケに時間がかかっても当然なんですけどね。しばらく続けていると町の様子も分かってくるので、スタッフさんはロケ現場まで車で移動するんですけど、僕はひとりで自転車に乗って現場に行ったりしていました。地元のみなさんも声をかけてくださったりして、楽しかったですね。でも、若かったからこそ体当たりでやってこられたんじゃないでしょうか。若いからこそ、嫌みなく演じられたというのもありますし、この年齢になって「もう一度『たんけんぼくのまち』をやってください」といわれたら、さすがにビビりますね(笑)。

先輩から学ぼう!

声優相談室、柴田がカツ
最強声優データベース、声優名鑑

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