声優道

超ベテラン声優からあなたへ、声優になるための極意を伝授します。


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肝付兼太の声優道

数多くの作品で忘れられない名演技を披露してきた肝付さん。ご自身の主宰する劇団21世紀FOXでは多数の舞台に出演すると共に、演出も手がけている。声の仕事の創世記から役者として第一線で活躍し続けてきた肝付さんの声優道が、改めてその口から語られる。3回にわたって掲載される貴重な体験談は、絶対に見逃せない!

プロフィール

肝付兼太 きもつきかねた……おもな出演作はアニメ『それいけ!アンパンマン』(ホラーマン)、『ドラえもん』(骨川スネ夫)、『怪物くん』(ドラキュラ)、『忍者ハットリくん』(ケムマキケムゾウ)、『キテレツ大百科』(狩野勉三)、『おそ松くん』(イヤミ)、『天才バカボン』(本官)、『ドカベン』(殿馬一人)、『銀河鉄道999』(車掌)、TV『おかあさんといっしょ』(じゃじゃまる)ほか多数。主宰する劇団21世紀FOXでは全作品の演出を担当している。

●劇団21世紀FOX

①ラジオドラマに夢中になった中学時代

祖母から「映画俳優は美男でないとダメ」と諭された

 僕が「役者になりたいな」と思い始めたのは、中学生のころでした。私立中学の受験に失敗して落ち込んでいたとき、ラジオドラマを聴いて気を紛らわせていたんです。当時はまだテレビがなくて、ラジオ番組が大変充実していたんですね。今の2時間ドラマみたいなものを、毎日のようにラジオで放送していた。それを聴いて「面白そうな世界だな」と憧れていたんです。本当は映画俳優になりたかったんだけど、祖母から「映画俳優ってのは、主役の後ろで『御用、御用』とやっているような人だって、みんな鼻筋が通ってるいい男ばかりなんだよ」と諭されて、だったら顔が出ないラジオドラマならできるんじゃないかと思ったのが最初でした。
 
 僕の進学した高校はどちらかというと運動が盛んで、演劇部のような文化系の部活動がなかったんです。それならまず演劇部を作ろうと思ったところ、ひとり演劇好きの先生がいましていろいろと応援してくださったんです。演劇部の活動を通して、芝居がやりたいという気持ちが自分のなかでどんどん強くなっていき、卒業のころには「役者になる」と心に決めていました。

 大学進学も考えていたんですが、そのころちょうど親父が亡くなって生活が厳しくなったので、高校卒業後はある百貨店に入社したんです。その一方で、どこかで演劇の勉強ができないものか考えていたんですが、今のように演技の専門学校や養成所がある時代ではなかったんですよ。どうしていいか皆目分からなくて迷っていたとき、知り合いから「ラジオドラマの役者さんは劇団に所属している人が多いから、そういう劇団にはいったらいいんじゃないか」と教えてもらいました。早速、勤めてまだ半年ばかりの百貨店を辞めて劇団に入ろうとしたところ、職場の先輩が「もう少し我慢しろ。10ヵ月以上勤めたら、失業保険がもらえるぞ」と。職場でも役者になりたいというようなことをよくいっていたし、仕事には身が入らないしで、先輩や上司から見たらダメ社員だったと思うんです。それでもそういうアドバイスをもらえたのは、先輩なりに僕を応援してくれたんでしょうね。僕はそう思ってます。

さまざまな人の支えがあって歩き始めた役者の道

 それから劇団に入ったわけですが、アルバイトをしないと生活ができないんです。当時は働き口もそれほど多くはなかったんですが、そんなときに同じ役者修業をしている友達が紹介してくれたのが、浅草駅での靴磨きでした。今ではめったに見ませんが、そのころは銀座など繁華街の路上で靴磨きをしている人が多かったんです。僕は友達と交代で、親方の下について靴磨きを始めたんですが、この親方がとてもいい人で「もし都合のつかないときは俺一人でなんとかするから、劇団の稽古にだけは休まないで行け」といってくださるような方でした。浅草駅は近くにデパートもありましたし、ビルの上階にはダンスホールがあったので、靴を磨きに来る人もたくさんいたんです。そんなお客さんのなかに、ほぼ毎日のように訪れる常連さんがいました。その靴はいつもピカピカで磨く必要なんてないくらいだったんですが、「軽く拭いてくれるだけでいいから」とご贔屓にしてくださいました。あるときその常連さんが、どこからか僕が演技の勉強をしているという話を聞きつけて、「俳優の卵が、こんな埃だらけの空気の悪いところにいたらダメだ。僕のところでアルバイトをしないか」といってくださったんです。その常連さんは、神田で開業している歯医者の先生でした。芝居の稽古があるというと、仕事の途中でも抜けさせてくれて、食事も出してくれる。本当にいい先生で、一種のパトロンみたいなものですね。今では考えられないかもしれませんが、昔は芸術家や役者の卵を私費で応援してくださる、いわゆる上流階級の方がいたんです。いい時代でしたね。結局、その先生のところでのアルバイトは、1年半ほど続けました。
 
やがて『こぶしの花の咲くころ』という映画のオーディションに受かって、いよいよ銀幕デビューということになりました。といっても、台本の一番最後に名前が書いてあるような脇役でしたが、ちゃんとセリフもある役なんですよ。自分でもちょっと無謀かなとは思ったんですが、これをきっかけに一本立ちしたいと考えて、歯医者の先生のところでのアルバイトを辞めることにしました。すると先生、「いよいよ映画スターか!」と自分のことのように喜んでくださって、お付き合いのある歯医者の先生に自慢してお餞別を集めてくださったんです。先生の奥様もとてもいい方で、「芸能界ではみすぼらしい格好をしているとバカにされるから」と背広を作ってくださって、壮行会まで開いてくださいました。その先生は一昨年亡くなられたんですが、奥様とは未だにお付き合いが続いていて、芝居を見に来てくださったりするんです。僕が役者になれたのは、自分ひとりの力ではなく、そうやって応援して支えてくださった方々のお陰だと思っています。本当に恵まれていたなと、今でも感謝しています。

 

ラジオドラマの仕事からテレビの世界へ

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 初めて声の仕事をしたのは、NHKラジオの『婦人の時間』という番組です。「御用聞きが来たときにどんな態度で接したらいいのか」というようなマナーを奥様方に伝えるというコーナーがありまして、その再現ドラマに出ることになりました。本当は劇団の先輩が出演するはずだったんですが、その先輩が風邪を引いてしまったので、僕に代役が回ってきたんです。当時はラジオドラマも収録ではなく生放送でしたから、とちったらどうしようとずいぶん緊張しました。セリフはほんの二言しかなかったんですが、あのときの緊張感といったら、いまだに忘れられません。
当時はまだ声優という言葉もない時代で、ラジオドラマなんて俳優のアルバイトみたいに思われていたんですが、僕は役者になりたいと思ったそもそものきっかけがラジオドラマだったくらいなので、それほど抵抗はありませんでした。その後もラジオドラマの仕事をいくつか受けているうちに、所属していた劇団が解散してしまったんです。どうしようと思っていたところ、日比谷にある日生劇場がこけら落としで役者のオーディションを行うという話を聞いて、友人の青野武と受けに行きました。ふたりとも無事に受かり、日生劇場の舞台に立たせてもらいながら、さてこの先どうしようと考えながらブラブラしていたころ、ようやくテレビ番組が放映されるようになったんです。
 

先輩から学ぼう!

声優相談室、柴田がカツ
最強声優データベース、声優名鑑

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