声優道

超ベテラン声優からあなたへ、声優になるための極意を伝授します。


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小原乃梨子の声優道

ブリジット・バルドーなどの吹替えやアニメ『ドラえもん』『タイムボカン』シリーズなどで知られるベテラン声優の小原乃梨子さん。これまでに小原さんが歩んできた声優道を、3回に分けてお送りします。

プロフィール

小原乃梨子 おはらのりこ……10月2日生まれ、東京都出身。ぷろだくしょんバオバブ所属。主な出演作は、アニメ『ヤッターマン』(ドロンジョ)、『未来少年コナン』(コナン)、『ドラえもん』(野比のび太)、外画『可愛い悪魔』ほか(ブリジット・バルドー)、『帰郷』ほか(ジェーン・フォンダ)、『山猫』ほか(クラウディア・カルディナーレ)など。

①弁護士の父の期待を裏切って、演劇の世界へ

弁護士の父の期待を裏切って、演劇の世界へ

小原1

 太平洋戦争が終わった翌年、小学5年生のときに私は児童合唱団「虹の橋」に入団しました。父は反対でしたけど、芸事が好きだった母が、父に内緒で通わせてくれたんです。あの頃は、川田正子さん、孝子さん姉妹などの童謡歌手が私たちのあこがれでした。「虹の橋」には劇団も併設されていて、私は子役としてNHKの子供番組などに出演していました。私の3級下に、アニメ『銀河鉄道999』のメーテル役で有名な池田昌子さんがいたんですよ。池田さんは名子役で、映画にも出ていました。

私は本を読むこと、作文を書くことが好きで、物書きにもなりたかったんです。村岡花子さんのような少女小説家にあこがれていました。

そんな私が中学に入った時、大好きだったメアリー・オルコット女史の『若草物語』が映画化されて、母に連れて行ってもらいました。その作品で四人姉妹の次女・ジョーを演じているジューン・アリスンを見て、「女優ってすごい!! 女優になりたい」と。それが女優を志したきっかけでした。

私の父は弁護士で、父は私が法曹界に入ることを望んでいたようです。「将来、女性が司法の世界で活躍する時代が必ず来るから」とよく私に言っていました。でも私は父の期待を裏切って放送界に入っていきました。

高校卒業後、幸運にも劇団の先輩の紹介でプロダクションに所属し、テレビやラジオに出演するようになりました。当時はテレビ放送が始まったばかりで、ドラマも生放送の時代でした。1957年にはTBSで『キンピラ先生青春記』という青春ドラマがスタートして、私は女学生の役で出演させていただきました。

 

吹替えが始まった頃から、色っぽい役が多かった!?

私がドラマに出演していた1957年頃は洋画のTVシリーズもたくさん放送されていました。私はアメリカのTV映画『ソニー号空飛ぶ冒険』という作品に、小林恭治さん、城達也さんと一緒にレギュラー出演することになりました。

この作品も、録音ではなく生放送。小さなブースにキャスト全員で入って、マイクは1本。セリフを言う時は、先輩も後輩も関係なくマイク前に出ないといけなくて、本当に大変でした。さらに恐ろしいことに、歩く音やドアの開閉などの効果音も自分たちで行なっていたんですよ。私はヘリコプター会社の秘書の役で「こちらヘレン、応答どうぞ」と言って、スイッチのカチッという効果音まで自分で入れていました。

生放送だけにトラブルも多かったです。途中から映像とセリフがずれていって、男性が映っている場面なのに女性のセリフが聞こえていたり・・そんなことは日常茶飯事。本番中に、緊張でお腹が痛くなってスタジオの外に出て行ってしまう先輩もいました。そうすると、他の誰かにしわ寄せが来るんです。一人で3人分の声を演じた方や、殴る役と殴られる役を同時にこなした方もいましたよ。嘘みたいでしょ(笑)。でも当時はそういうものだと思っていたし、スポーツみたいで面白かったです。いわゆる“吹替え草創期”の時代です。セリフの翻訳もまだしっかりしていなくて、みんなで協力し合って「ここは、この言葉に変えた方がいい」とセリフを直したりもしていました。中には、生放送の緊張の連続で円形脱毛症になってしまう先輩も。でも私は若かったし、もともと映画好きでしたから、この吹替えの仕事が面白くって仕方がなかったんです。

その後、洋画の吹替えは録音になり、1966年以降、テレビ朝日『日曜洋画劇場』をはじめ、各テレビ局がゴールデンタイムに洋画を放送するようになります。この頃から映画スターと声優との声のフィックス(固定化)が始まってきました。たとえばオードリー・ヘップバーンは池田昌子さん、マリリン・モンローは向井真理子さんというように。私の場合はブリジット・バルドー、クラウディア・カルディナーレ、ジェーン・フォンダ、シャーリー・マクレーン、ダイアン・キートンなど、たくさんの女優さんたちの声を演じさせていただきました。私の声って少しハスキーでしょ。ハスキー=セクシーという図式なのかどうかわからないけど、吹替えが始まった頃から私は色っぽい役が多かったですね。出てくるなり「ハアハア」言ってましたから(笑)。

当然ラブシーンも多くて、私は吹替え草創期のほとんどの主役の方と演じています(笑)。当時の声優の数は大体400人くらいで、実働は200人くらいだったと思います。メインの役をやる女性も男性もほんのひと握りでしたから、毎日とっかえひっかえ、いろんな男優さんとスタジオで会っていたわけです。とにかく、大好きな映画の主人公を自分の声で演じられるなんて、超うれしいこと。私はますますこのお仕事にのめり込んで行きました。

先輩から学ぼう!

声優相談室、柴田がカツ
最強声優データベース、声優名鑑

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