声優道

超ベテラン声優からあなたへ、声優になるための極意を伝授します。


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檜山修之の声優道

熱血漢にクールな二枚目、冷徹な悪役、さらには三枚目の面白キャラまで幅広い役柄をこなす声優・檜山修之さん。これまで檜山さんが歩んできた声優道を、全3回のトークでお届けします。

プロフィール

檜山修之 ひやまのぶゆき・・・8月25日、広島県生まれ。アーツビジョン所属。アニメ『地球SOS それいけコロリン』(シンドローム)、『幽☆遊☆白書』(飛影)、『勇者特急マイトガイン』(旋風寺舞人)、『勇者王ガオガイガー』(獅子王凱)のほか、外画や特撮ドラマの吹替え、ゲーム、ナレーションなど幅広く活躍。3/1には、森川智之とのトークライブ『おまえらのためだろ! 第46弾』に出演する。

①先輩に認められることが最初の課題だった駆け出しの頃

高校時代の放送劇で、声の芝居の魅力に目覚める

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 初めて声優を目指したのは、高校生の頃です。僕はもともと日本史が好きで、できれば大学の史学科に進学したいと思っていました。でも残念ながら、史学科は当時国公立で偏差値の高い大学にしかなくて「難しそうだな、どうしようか・・」と悩んでいました。そんなある日、放送劇との出会いがあったんです。

僕は放送部に在籍していて、その活動の一環として放送劇を作ることになりました。自分たちでシナリオを書いて芝居をして、NHK放送コンクールに応募したんです。まぁ、コンクール自体は落選しましたけど(笑)、そのときに体験した声の芝居がすごく面白かったんですね。シナリオの内容は、旅に出たお坊さんが行く先々で悪い妖怪を倒していく“日本版・西遊記”みたいなストーリーで、老若男女を問わずいろんな登場人物が出てきました。その中で僕は高校生ながら、老人、妖怪、坊主など幅広い役を演じました。そのとき「顔出しの芝居ではそうはいかないけど、声の芝居ならいろんな役ができる」と、声の芝居の面白さに目覚めたわけです。

 思えば、僕の小・中学時代は「宇宙戦艦ヤマト」や「機動戦士ガンダム」が流行っていて、富山敬さん、神谷明さんらが活躍されていた「第二次声優ブーム」でした。「なるほど、ああいう人たちが声の芝居をやってるんだ」と知って、自分も目指してみようと思い立ちました。

しかし当時はまだ声優学校や養成所の数も少なく、ましてや僕は広島に住んでいたので、情報もあまりなかった。「声優グランプリ」のような雑誌もなかったですからね。そんな時代だったので、高校の進路指導の資料室に行って「声優の勉強ができる学校」を調べていました。そこである資料を見ていたら、東京アナウンス学院(以下、アナ学)がカラーで載っていて、写真がすごくきれいだったんですよ。それを見て「ここがいいなぁ」と(笑)。そんな単純な理由で決めました。

その後、親に「声優になりたいので東京に行く」と行ったら、案の定、口論になってしまいました。「言うことを聞かないなら学費は出さねえ!!」と言われて、「じゃ、自分でかせいでやる!!」と。そして2年間新聞奨学生をやりながらアナ学に通うことになりました。今でも「学校時代の思い出は?」と聞かれると、「新聞屋がしんどかった」という話をよくします(笑)。朝3時くらいに起きるんですが、前の晩に眠れなくて徹夜で新聞を配ったことも。2年間しんどい思いをしましたが、そのお陰でメンタル面はかなり鍛えられたと思います。 

先輩たちが怖くて、現場で会話もできなかった新人時代

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アナ学では、発声や肉体訓練などの基礎をじっくり学び、同時に作品を演じたり、台本を読んだり、発表の場として芝居を作ったりもしていました。

専門学校は2年で卒業になるので、卒業後は劇団に入るとか、別の養成所に行くとか、次の展開を考えないといけないんですよ。でも僕は新聞配りで忙しく、なかなか次の展開を考える余裕がなくて「どうしようかな」と困っていました。そんなとき、アナ学で教わっていた講師の方で、同時にアーツビジョンを母体とした私塾をやっていらっしゃった方から「行くところがないなら、うちに来ないか?」と声をかけていただいたんです。まさに“渡りに船”で「ぜひお願いします!!」とお世話になりました。

アナ学卒業後は、その教室でレッスンを受けたり、舞台の稽古をするようになりました。公演を打つ際にはアーツビジョンのマネージャーやスタッフに見てもらって、そこで「こいつ、使えるな」と認められればアーツビジョンに引っ張ってもらえる・・・という事もあったんです。僕もお陰で声をかけてもらってアーツビジョンの預かりになり、そのまま所属になって現在に至っています。

あれからもう28年になりますが、仕事の現場に出始めた当時のことは、今でも覚えてますよ。僕らの駆け出しの頃は、スタジオのキャストの構成が今と真逆で、ベテランの先輩方が多く、若手が少なかった。若手なんて、一つの現場に1人か、多くて3人くらいでした。だから怖かったですよねぇ、先輩方が(笑)。僕らが現場に入ると、「誰だ? おめぇら」「なんか知らない奴らが来たけど、ちゃんと芝居できんのか?」みたいな雰囲気があって(笑)。確かに、僕らは先輩たちから見ればレベルの低い芝居でしたけど、何か一つセリフを言うと「ほお~っ」とか言われて。「怖いよ~!!」って思ってました(笑)。

ヘンな話、その頃は、休憩中に雑談できる相手もいなかったんです。先輩方がお話している中には、まったく入ることができなかったし。それこそ洋画などを録る場合は一日仕事になるんですけど、朝から晩まで誰とも喋らなかったりして・・(苦笑)。これはキツかったです。だから僕らのような若手の連中にとっては、「先輩方に認めてもらおう」「仲間に入れてもらおう」ということが、まず最初の課題でしたね。

そのうちにだんだん仲間に入れてもらえるようになり、現場が終わったときに先輩から「お前も行くか?」って飲みに誘われるようになりました。そのときはうれしかったですよ。まぁ、飲みに行っても僕ら若手はひたすら先輩方の酒を作っていて、自分らはほとんど飲めなかったんですけどね(笑)。 

 

先輩から学ぼう!

声優相談室、柴田がカツ
最強声優データベース、声優名鑑

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