声優道

超ベテラン声優からあなたへ、声優になるための極意を伝授します。


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島本須美の声優道

アニメ『ルパン三世 カリオストロの城』『風の谷のナウシカ』『めぞん一刻』のヒロイン役などで知られる島本須美さん。声優として活躍する傍ら、声優養成所などで後進の指導にも力を注いでいる。そんな島本さんがこれまで歩んできた声優道を、全3回のトークでお届けします。

プロフィール

島本須美 しまもとすみ・・・12月8日、高知県生まれ。フリー。主な出演作は、アニメ『ルパン三世 カリオストロの城』(クラリス・ド・カリオストロ)、『風の谷のナウシカ』(ナウシカ)、『めぞん一刻』(音無響子)、『猫のダヤン』(ダヤン)ほか多数。高知県観光特使も務めている。長女は声優の越川詩織。

①声の仕事がうまく転がって“声優さん”に

声の仕事がうまく転がって“声優さん”に

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 お芝居の勉強を始めるきっかけは、高校3年生のとき、所属していた演劇部で演劇コンクールに参加したことです。そのときの演目の原作者の方がたまたま審査員の中にいらして、「僕の作品をこんな形で演じてくれて、とても良かった」と褒めてくださったんです。それが役者として褒めてもらったような感じがして、そこから「芝居をもっと勉強したい」と思うようになりました。声優としてではなく「女優さんになりたい」というのが、勉強を始めるきっかけでした。

 高校卒業後に上京して、桐朋学園芸術短期大学の演劇科に進学しました。“やりたいことはやりなさい”という家庭だったので、親からの反対もなかったです。むしろ、できる限りの応援をしてくれて、大学時代はアルバイトもせずに学業に専念させてもらいました。そうは言っても貧しかったから「今週は2千円で暮らさなきゃ」というのはありましたけどね。大学の頃は、カリキュラムがぎっしり詰まっていましたし、次回までにやらなければいけない課題も多くて大変でした。
  大学卒業後に青年座の劇団員になって、そこから10年、『めぞん一刻』のタイミングでフリーになるまで青年座で頑張っていました。私の場合は、青年座に入って顔出しの映画やドラマの仕事をやったり、ラジオや声優さんの仕事をやったりしていく中で、比較的声の仕事がうまく転がっていったので声優さんと呼ばれるようになったわけです。

 青年座に入って一番最初に、初井言榮さんの付き人をやらせていただきました。初井さんは当時たくさんのお仕事をされていた女優さんで、いろんな現場を一緒に回ったり、マイクに対する姿勢など、いろんなことを教えていただきました。
 その頃、初井さんは、市毛良枝さんとのコンビでいろんな昼ドラのシリーズを撮っていた時期でした。朝早くから現場に行って、出番が終わったら次の現場に移動して・・・というのが楽しかったですね。一昨年、市毛さんとクイズ番組で久しぶりにお会いしたとき、「(私を)覚えてますか?」ってお聞きしたら「覚えているわよ」って言われてうれしかったです。初井さんの付き人をやっていたのは、舞台の仕事が決まるまでの短い期間でしたけど、楽しかったです。

 

『めぞん一刻』のときに生まれた娘と共演も!  

 声の現場としては、『タイムボカン』シリーズの「ブタもおだてりゃ木に登る」というセリフを「ちょっとやってみない?」ってやらせてもらったのが一番最初でした。多分、オンエアでは使われなかったと思いますけど・・・。その現場には先輩が出ていらして、私は見学で参加していたんです。その後、『タイムボカン』シリーズの『ゼンダマン』にゲストで出させてもらいました。その頃には『ザ☆ウルトラマン』の出演が決まっていたので、レギュラーとしては『ザ☆ウルトラマン』がデビュー作になります。

当時、周りは先輩ばかりだし、私は現場のルールも分からなくて、“超本気”でセリフの稽古をしてたんですよ。もう大きな声で(笑)。今、そんな子がいたら「うるさいなあ」って思われるでしょうけど、あの頃はやってましたね。またお茶を用意するのが後輩の仕事だったので、いつもお茶を用意してました。先輩がいらっしゃる度にお茶を出して、帰りにはお茶碗を洗って。今はペットボトルだから、そういう習慣もなくなりましたけど。

女性の場合、出産するとお母さん役が回ってくるんですが、私の場合、出産のタイミングで始まったのが、『キテレツ大百科』と『となりのトトロ』でした。『キテレツ大百科』では、お父さん役の屋良有作さんも同じ時期にお父さんになったんですよね。くる役が変わってくるのは、その辺りの年代なのかもしれません。

私が子供を産んだのは『めぞん一刻』のときです。当初は番組が一年で終わる予定でしたが、半年伸びて一年半になってしまったので、途中少しお休みをしてご迷惑をおかけしました。そのとき生まれた子供に、(音無)響子さんの娘と同じ“春香”とつけようかと思いましたが、秋生まれだったので避けました(笑)。今では、その娘ももうすっかり大人になりました。彼女も声優になって、『蟲師』に親子で出させていただきました。親子役ではありませんでしたが(笑)。

 

劇団にいた頃、仕事を待つのが一番辛かった  

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 新人だった頃、“新人だから大変”と感じたことはありませんでしたが、皆さんが思っているほど収入があるわけではないので、「生活が安定しない」という意味では大変でしたね。劇団にマネージメント料を払わなければいけなくて、レギュラー1本では、アルバイトをしなければとても無理でした。『風の谷のナウシカ』の頃もアルバイトはしていましたね。

私の場合は、よくパーティーコンパニオンのアルバイトをしていました。ホテルの大宴会でお客様をお迎えして、料理やお酒を運んだりするお仕事です。着物を着たりと支度があるので早めに行かなきゃいけないんだけど、パーティーそのものは2時間くらいで終わるし、ある程度は融通の利くアルバイトでした。

劇団にいた頃は、何が辛いかって、仕事を待つのが一番辛かったですね。仕事をやりたいのに、やる仕事がないという状況・・・でも仕事がいつ来ても大丈夫な状態にしておかなければいけない。自分のモチベーションを保ちつつ待つ、というのは大変なことでした。

 

先輩から学ぼう!

声優相談室、柴田がカツ
最強声優データベース、声優名鑑

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