声優道

超ベテラン声優からあなたへ、声優になるための極意を伝授します。


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池田秀一の声優道

誰もが憧れる国民的ライバルキャラクターといえば、『機動戦士ガンダム』シャア・アズナブルの名前を挙げる人は多いはず。そのシャア役をはじめ、数々のキャラクターを演じた池田秀一さんは子役から芸能活動を開始した大ベテランです。池田少年はどうやって声優になったのか? そのルーツをうかがいました。

プロフィール

池田秀一 いけだしゅういち・・・12月2日生まれ。俳協所属。主な出演作は『機動戦士ガンダム』(シャア・アズナブル)、『機動戦士Zガンダム』(クワトロ・バジーナ)、『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』(ギルバート・デュランダル)、『機動戦士ガンダムUC』(フル・フロンタル)、『ONE PIECE』(シャンクス)、『HUNTER×HUNTER』(カイト)、映画『エデンの東』、『理由なき反抗』(ジェームズ・ディーン)、大河ドラマ『花燃ゆ』(語り)ほか多数。

①作品の影響力の大きさで演じることの面白さを知る ※2015年7・8月号掲載

作品の影響力の大きさで演じることの面白さを知る

3287 芸能界に入ったきっかけは、最初は遊び半分みたいなものでした。児童劇団に入っている友達が近所にいて、「今度その劇団で募集しているから君も受けてみない?」と誘われてちょっと行ってみたら受かってしまったという感じで。俳優になりたいともとくに思っていなくて、映画を見てチャンバラごっこをして遊んでいるという、その延長くらいの感覚ですよね。それに受かったといっても、落ちる人はあまりいなかったんじゃないかと思いますよ(笑)。

そうやって劇団に入ったのが昭和33年(1958年)の10月で、11月にはもう現場に出ていました。その頃はテレビの創生期で、民放は日本テレビとTBSがあったくらい。フジテレビもやっとできたかどうかという時期ですね。だからテレビというより、ラジオがまだ全盛期の頃でした。最初のテレビ出演は僕が小学校3年生のとき……といってもガヤみたいなもので、「長屋で子供が泣いている」というシーンのために呼ばれました。そのときは何が悲しいのかわからなくて、ぜんぜん泣けなかったというのをすごく覚えています。それでディレクターがどうしたかというと「泣けないか。じゃあ、泣かなくていいや。横で遊んでいて」と、あっさりシーンを変えてしまった(笑)。そんなに重要な役じゃないし、どうしても泣いてなきゃいけないというものでもなかったんでしょうね。そういう意味ではゆったりとした、いい時代でした。
 
 中学生になるとNHKの『次郎物語』というドラマを2年間やらせていただいて、映画では『路傍の石』という作品を撮りました。その頃からですね。ちょっとずつ真剣に「俳優を続けてみようかな」と思うようになったのは。自分なりに仕事の面白さを感じ始めた時期でもありました。たとえば『次郎物語』の次郎を演じていると、「次郎ちゃん大変ね」みたいな手紙が来るわけですよ。ドラマのなかで苦労していると「学費が足りないのなら」といって現金が送られてきたりする。そういうことがあると僕達の仕事というか、演じるということは影響力があるものなんだって、ガキなりに何か感じるようになるんですよね。それで生意気にも「この仕事はバカにしちゃいけないぞ」「もっとちゃんとやらないと」と思うようになりました。

 映画も面白かったですね。うちの劇団は基本的に学校を休んで仕事をするのがダメだったので、『路傍の石』は「夏休みの間に撮りますから」ということで撮影が始まったんです。まあ、だいたい1ヵ月ですよね。夏休みだから。でも結局、2ヵ月半くらいかかったんですよ。約束が違う(笑)。撮影の間は、僕は映画が初めてなものですから、とにかく「すごいなあ」と感心してばかりでした。職人の世界ですよね。当時の映画界の人たちは「テレビは紙芝居だ」と言っていましたが、それもわかるなというくらい皆さんがこだわりをもっていて。また、スタジオの何ともいえない静寂の中に響き渡る「カチン!」というカチンコの音もよくて、あれはちょっとやみつきになりそうでした。そんななかで、僕が主役だったから、皆が待ってくれるんですよね。僕のアップ、ワンショットを撮るのに、気持ちができるまで監督も待ってくれる。でも、僕は中学生だから気持ちの作り方なんてわからないし、作ろうともしていない(笑)。今思えば、周りの大人を見て「やっているフリしなきゃなあ」なんて思っていたんでしょうね。

 その頃は「声優さん」という言葉もなかったんじゃないですかね? 声の仕事もまだアニメというよりは洋画のイメージが強くて、僕も当時は『ララミー牧場』とか『スーパーマン』とか見ていました。でも、ぜんぜんそれには興味がなくて、別世界のものだなと思っていましたね。

テレビドラマへの挫折…… 洋画の吹き替えでも大苦戦

 そんな僕が24、5歳になって、正直な話、俳優として伸び悩んだ時期がありました。周りの環境も変わっていったというか、僕が知っているディレクターがどんどん引退していくわけですよ。あまり大きな声では言えませんが、面白い番組もなくなりましたよね。あるとき、僕がびっくりしたのは、ハタチから21歳のときに出演したテレビドラマで、主役の方の弟役を演じていた頃の出来事でした。そのドラマでは主役のほうの大人の恋愛と、僕らのほうの高校生の恋愛が描かれていて、あるお話で僕と彼女がケンカするんですね。「もう君とは会わない!」なんて、すごい剣幕でケンカしたのに、次の週にはもう会っている。僕は監督に「これはおかしい。和解したところが描かれていない!」と言ったんですけど、「別に君たちを描いているわけじゃないから」と言い返されて……。これはでも、正しい意見なんですよ。今はそうやってモノを作っているわけですから、それには従わないといけない。それまで僕が参加した作品では、おかしいと思ったことはいちおう聞いてくれたんですけどね……。じゃあ、いいや。こだわるのはよそうって、そういう挫折感はありました。

 ※2015年7・8月号掲載

 

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