声優道

超ベテラン声優からあなたへ、声優になるための極意を伝授します。


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置鮎龍太郎の声優道

『地獄先生ぬ~べ~』の鵺野鳴介、『SLAM DUNK』の三井寿をはじめ、これまで数多くのキャラクターを演じている置鮎龍太郎さん。小さい頃からアニメ好きで、声優を志して青二塾へ。その後、青二プロダクションに入り、プロの声優として一本立ちしていくまでのプロセスを語ってもらいました。

プロフィール

置鮎龍太郎 おきあゆりょうたろう・・11月17日生まれ、福岡県出身。青二プロダクション所属。主な出演作は『トリコ』(トリコ)、『地獄先生ぬ~べ~』(鵺野鳴介)、『SLAM DUNK』(三井寿)、『新世紀GPXサイバーフォーミュラ』(フランツ・ハイネル)、『ONE PIECE』(カク)、『勝負師伝説 哲也』(阿佐田哲也)、『マーマレード♥ボーイ』(松浦遊)、『フルーツバスケット』(草摩紫呉) ほか多数。

①アニメ好きが高じて声優を目指し、青二塾の門を叩く

アニメ好きが高じて声優を目指し、青二塾の門を叩く

_DSC4131_thumb もともとアニメーションが好きで、小さい頃からよく観ていました。父親が若い頃、某映画会社に籍を置いていた時期があって、そのご縁でよくアニメのポスターやセル画をもらってきていたんです。子供に勉強を押し付けるタイプでもなく、テレビを観ることにも寛容でした。それで自然にアニメに目が向くようになったのだと思います。

 姉もアニメ好きでしたけど、絵を描くほうが好きで、高校卒業後に少しだけアニメ関連の仕事をやっていました。対して僕は、描くほうじゃなくて、声優に興味をもち始めていました。姉が持っていたアニメのドラマ篇アルバム(レコード)を部屋で聴いたり、ちゃんとできていたわけじゃないけど、声優のまねごとをしてセリフを言ったり……。テレビアニメでは、『機動戦士ガンダム』の富野監督の次作、『伝説巨神イデオン』が好きでよく観ていましたね。その頃から、演者も気になっていて。

 高校生のとき、進路を決める時期に声優養成所の資料を取り寄せたんです。当時、大阪に住んでいたのですが、関西には声優になるための門戸があまりありませんでした。養成所といえば、青二塾ともうひとつぐらいで、ほかには東京に出てくるしか道がなかった。そんなときアニメ雑誌に載っていた青二塾の広告を見て「有名な声優さんばかりだし、ここなら道があるのかな?」と思ったんです。母は、姉が大学に進学しなかったこともあり、僕が声優養成所に入ることに反対していましたが、父が「やりたいのなら、やってみればいい」と言ってくれたんです。

 青二塾の大阪校を受けたのですが、応募者数は今みたいに多くはなかったですね。競争率2倍もないくらいで。男性は特に少なかった。試験の内容はあまり覚えていませんが、実技は原稿読みと質疑応答だったかな?審査員として青二プロダクションのスタッフと所属の役者さん……塩沢兼人さんと柴田秀勝さんがいらした気がします。

 僕らの時代は塾生が50名くらいで、学生メインクラスと社会人メインクラスのふたつに分けられました。僕は前者で、いちばん年上の人が20歳くらい。社会人クラスは20代後半か30歳手前の人がいちばん上でしたね。

 青二塾はよく「授業が厳しい」と言われています。僕らの頃もたしかにそういう印象はありましたが、演技よりも精神的なことをよく言われました。多分、僕らが学生気分でいたからだと思いますが、「それでは社会人としては通用しない。人としてちゃんとしなさい」ということをずっと言われていた気がします。演技に関しては、基礎的なことをしっかりやっていた印象ですね。最近ではアクセントや、無声音、鼻濁音をまったく教えない専門学校もあるらしく、仕事場でビックリすることが多いので、養成所でそのことをしっかり教えていただいて本当によかったと思います。

 もともと自分は〝芸事を習う″ということをまったくしてこなかった人間なので、実際に人前で原稿を読んだり台本を演じたりすることが新鮮で楽しくもあり、難しくもありました。当時は男性が少なくて、クラスに3人くらい。20人以上は女性です。卒業時はクラスで僕ひとりだけでした。クラス単位で何か出しものをやるときも、女の子が男性役をやったりしていましたし、声優を目指す男性は、当時それほど少なかったんです。

 青二塾を卒業すると、青二プロに所属するためのオーディションがあり、そこで合格してすぐ上京したのが4人。学業などの都合であとから上京してきた人も合わせると6人。同じ年に東京の青二塾から青二プロに入った人はけっこう多くて、大阪校の倍くらいはいたかな?人数の多い年で、同期は、國府田マリ子、太田真一郎、田中一成、ほかにもかなり残ってる世代かもしれません。とはいえ、3分の1くらいにはなっていますが。

上京してプロになったものの仕事がなかった苦悩の日々

  上京していちばん大変だったのは、金銭面でした。食べていくのは本当に大変です。上京してきた頃、青山の「ルノアール」でバイトをしつつ、年上の従兄弟がいた設計関係の会社で雑用のバイトを並行してやってました。

 これは地方に住んでいる皆さんに言っておきたいのですが……本当は、上京する前にバイトをしてお金を貯めておくのがいいと思いますよ。通っていた養成所は土日のみのレッスンだったので、平日にしっかりバイトをすれば十分貯金することができるんですね。でも僕はちゃんと貯められなくて(笑)、上京の際には多少親から援助してもらいました。援助してもらった分は……あとで返したと思います、多分(笑)。

 上京前は「上京さえしてしまえば、あとは何とかなる」と思っていたんです。でも、それはまったく甘い考えでした。上京してしばらくすると「もう辞めなきゃいけないのかな?」「自分は向いてないのかな?」って思ってしまうくらい仕事がなくて……。同期が多かったので、仕事をしている人もいれば、してない人も。仕事がなくて事務所にも顔を出さなくなって、だんだんフェードアウトしていく人もいましたね。もっとも本人と事務所との相性もありますから、別の事務所に移って芽が出る人もいますよ。僕はたまたま青二プロとご縁があったというだけですね。

 

先輩から学ぼう!

声優相談室、柴田がカツ
最強声優データベース、声優名鑑

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