声優道

超ベテラン声優からあなたへ、声優になるための極意を伝授します。


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キートン山田の声優道

最初は自分が役者になるとは思っていなかったというキートン山田さん。ところが、自分の新たな可能性を探して劇団に入ったことから、演技の楽しさを発見したとか。数々の番組で「キートン節」とも言うべき名調子を披露しているキートン山田さんが、これまでに歩んできた長い道のりを3回に分けてお届けします。

プロフィール

キートン山田 きーとんやまだ…10月25日生まれ。リマックス所属。主な出演作はアニメ『ちびまる子ちゃん』(ナレーション)、『MASTERキートン』(ナレーション)、『銀河英雄説』(アレックス・キャゼルヌ)、『一休さん』(足利義満)、『サイボーグ009』(004)、『ゲッターロボ』(神隼人)ほか、『大!天才てれびくん』『みんなの疑問ニュースなぜ太郎』『理科3年 ふしぎだいすき』『○ごとワイド~キートンの名店』『土曜スペシャル』など数多くの番組でナレーションを務める。

①初めて触れた演技の世界が楽しくて夢中になった

昼は会社員、夜は劇団という生活

 僕が役者という仕事に興味をもったのは、19歳の時です。高校卒業後に北海道から上京して、会社勤めをしていましたが、「一生この会社にいるのかな?」とふと思ってしまったんです。ほかに何か自分に向いている道があるのではと、半年くらい考えていました。そんな時に「劇団員募集」という広告を見つけて、劇団に入ったんです。子供のころに映画を見て「面白いな」と思ったことはありましたが、「役者になるんだ」といった強い意志はもっていなかったし、もしそこで入団オーディションに落ちていたら、すぐに諦めてしまったんでしょうね。

 劇団に入ったもののまったく先が見えないし、そのまま昼はサラリーマン、夜は劇団に通うという生活を続けていました。東京出身の人や、地方出身でも僕より早く演劇を始めた人は、きれいな標準語をしゃべるし、人前に出ても堂々としているんです。でも僕は不器用で、子供の頃からほとんどしゃべらないくらい無口なタイプだったから、何ひとつ上手くできなくてね。そう考えると、自分でもなんで劇団に入ろうと思ったのか分からない(笑)。でも2、3年続けているうちに、人前に立つ恥ずかしさもなくなり、演技をすることが次第に楽しくなってきたんです。その時代はまだ映画が盛んでしたから、「映画や舞台に出演できてたらいいな」と漠然と考えるようになりました。

_DSC6440_atari 会社は、約4年間勤めて辞めました。22歳くらいの時です。それまで昼間は会社、夜は劇団という生活を続けてきましたが、劇団の公演があると夜だけの活動というわけにはいかないんです。そういう時は会社を休んだり、誰かに仕事を変わってもらったりしていたんですが、そういうことも次第にしづらくなっていたので、思い切って退職しました。そしてアルバイトをしながら役者の勉強を続けることにしましたが、今考えるとかなり無謀ですね(笑)。役者としての仕事があるわけでもないし、先の見通しもつかない。でも役者の勉強がとにかく楽しくて、お金がない苦労なんか感じませんでした。
ただ、親にはものすごく反対されましたね。僕の親の世代から見たら、劇団に入ったなんてサーカス団に売り飛ばされたくらいの衝撃なわけですよ(笑)。しかも黙って会社を辞めてしまっていたので、僕を連れ戻すために伯父が上京してきたくらいです。でも僕は止める気はなかった。逆に、夢に破れて地元に帰って「ほら見たことか」と言われるのが悔しくて、とにかく一人前の役者になろうと余計にのめり込みました。

初レギュラーの『一休さん』で自信がもてた

 僕が24歳の時、日本初の声優専門プロダクションである青二プロダクションが設立されました。その創立メンバーだった柴田秀勝さんが、僕のアルバイト先に客として来ていて知り合ったんです。その縁で、柴田さんからから紹介されて青二プロダクションに預かり所属ということになりました。でも、預かってもらっただけで、なにか教えてもらえるわけじゃないんです。僕もテレビで洋画の吹き替えやアニメを見て、声優という仕事があることは知っていましたが、自分の仕事ではないと思っていましたから、なにをどうしたらいいのかまったく分かりませんでした。ところが、それから半年くらい経って、いきなりアニメの仕事をいただいてしまったんです。もちろんできないなんて言えませんから、見よう見真似で演技をしました。

 プロの現場では、失敗した時は注意されますけど、ほかは何も言ってもらえないんです。スタジオには、僕がテレビで名前をよく見ていたようなベテランの役者さんがそろっていて、ものすごいプレッシャーでした。自分のセリフの時にマイクに入れない、セリフをしゃべってるうちに次の絵になっちゃうといったこともしょっちゅうで、スタジオに行くのが怖くなった時期もありました。そんな中で、どういう風にしたら上手く演技できるんだろう、ほかの役者さんはどうしているんだろうと、少しずつ技術を盗んで勉強していったんです。

 そうして3年くらい頑張った頃でしょうか。初めてアニメでレギュラーがいただけたんです。それが『一休さん』(※1)の将軍様でした。あの作品は7年くらい続いたでしょうか。かなり自由奔放に演じさせてもらえた現場で、さまざまなアドリブにも挑戦できました。『一休さん』のおかげで、少しだけアニメの仕事に自信をもつことができるようになったんです。  当時はアニメではなくテレビまんがと呼ばれていたし、まだ声優という言葉もなくて「声の人」「声色の人」といった感じで、世間からは一人前の役者ではないと馬鹿にされていました。もちろん声優養成所もありませんでしたが、そんな時代に先輩の役者さんから現場で学べたことは、僕にとっての宝だと思います。

声の仕事は、やり始めると奥が深い

_DSC6425_atari 僕自身は「声の仕事一本でやっていこう」と決意していたわけではありませんが、その頃から仕事が増えて、気がついたらどっぷりと声優の世界にはまっていました。

 声の仕事も、やり始めると奥が深いんです。なにしろ、決められた尺のなかにセリフを入れなければならないし、洋画に至ってはすでに画面の中で俳優さんが演技をしてしまっているわけですから、その演技にも合わせなきゃいけない。名人は画面の演技の上に、さらに自分の個性を乗せるということもできますが、僕は不器用で下手くそなんで、とてもできないんです。舞台演技と声の演技と、どちらが好きかと聞かれたら、間違いなく舞台です。舞台演技のほうが圧倒的に制約が少ないですから。そんなわけで洋画の吹き替えは、今でも苦手です(笑)。

 ただ、どんな演技であっても、自分らしく演じることが大切だと思います。器用な人は役柄に合わせて演技スタイルや声を変えていけるかもしれませんし、そういうやり方もあると思います。でも、自分らしさ、自分のまま、「我がまま」を貫き通さないと、印象には残らないんじゃないかな。

 僕はずっと個性がないと言われ続けてきたし、自分の中にある芯がブレたこともありましたが、自分がどう演じるべきなのかを見つけられたからこそ、今の僕があるのだと思っています。

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※1・・・『一休さん』は、1975年10月15日から1982年6月28日まで、NETテレビ(日本教育テレビ、本放送中の1977年よりテレビ朝日)系列で全296話が放送された、日本の禅僧・一休宗純の子供時代の説話『一休咄』などを基にしたテレビアニメである。

先輩から学ぼう!

声優相談室、柴田がカツ
最強声優データベース、声優名鑑

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