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【声優道】大山のぶ代さん「たくさんのことを教わった『ドラえもん』」

『声優道 名優50人が伝えたい仕事の心得と生きるヒント』が3月9日から期間限定で無料公開中!
臨時休校などで自宅で過ごす学生の方々へ向けて3月9日~4月5日までの期間で随時配信予定となっている。

アニメや吹き替えといった枠にとどまらず、アーティスト活動やテレビ出演など活躍の場を広げ、今や人気の職業となっている「声優」。そんな声優文化・アニメ文化の礎を築き、次世代の声優たちを導いてきたレジェンド声優たちの貴重なアフレコ秘話、共演者とのエピソードなど、ここでしか聞けない貴重なお話が満載。

それぞれが“声優”という仕事を始めたキッカケとは……。

声優ファン・声優志望者だけでなく、社会に出る前の若者、また社会人として日々奮闘するすべての人へのメッセージとなるインタビューは必見です。

「たくさんのことを教わった『ドラえもん』」

▼コンプレックスの声を活かし放送部へ 演じることが楽しくなっていった
▼喜劇を経験したことも自分の財産の一つ
▼藤子・F・不二雄先生から贈られたホメ言葉
▼おじいちゃん、おばあちゃんがマイク前に立つと小学生に変身してしまう
▼役を演じるときに必要なのはどんなことにも敏感に反応する好奇心や探求心

【プロフィール】
大山のぶ代(おおやまのぶよ)
10月16日生まれ。アクターズ・セブン所属。主な出演作は、アニメ『ドラえもん』(ドラえもん)、『無敵超人ザンボット3』(神勝平)、『ハリスの旋風/国松さまのお通りだい』(石田国松)、人形劇『ブーフーウー』(ブー)、『ダンガンロンパ』(モノクマ)ほか多数。

コンプレックスの声を活かし放送部へ
演じることが楽しくなっていった

私が役者になろうと思ったきっかけは、高校時代に母が亡くなったことですね。これから一人で生きていくためには、何か手に職をつけなきゃならないと思ったんです。じゃあ私に何ができるだろうと考えて思いついたのが役者という仕事でした。

皆さんも知っているとおり、私の声はちょっと変わっています。小さい頃は声をからかわれたりして、コンプレックスになっていたこともありました。でも母から「声が変だからといって、その弱いところをかばってばかりいたらもっと弱くなってしまう。声を出すような部活動をしなさい」と言われて、中学校では放送研究会、高校では演劇部に所属していました。最初はバカにする人もいましたが、毎日のように校内放送で話しているうちに誰もからかわなくなりました。そういう部活動を通して、演じることが楽しくなっていったんです。それに、定年退職がないし、年をとっても続けられる、役者の仕事は元気であれば一生続けられますからね。それでまずは基礎から学ぼうと思って、俳優座の養成所に入ったんです。

養成所の入所試験も大変でしたが、入ってからはもっと大変でした。その頃の劇団俳優座養成所は養成期間が3年間だったんですけど、最初は50人いた同期生がどんどん減っていくんです。これ以上勉強しても伸びないと判断された人は、「もう辞めなさい」と肩を叩かれたんだそうです。本人がどんなに勉強したくても教えてもらえない。そうはなるまいと思って必死で頑張りました。先生は超一流の方がそろっていましたので、授業の内容もかなり高度だったんですが、とにかく必死で食いついていこうと思っていました。

喜劇を経験したことも
自分の財産の一つ

私は働きながら養成所に通っていたので、生活も苦しかったですね。父は私が演技の道に進むことに反対していたので、「役者になるなら出て行け!」と言われたんです。それで家を出たんですが、応援してくれる兄からの仕送りだけではとても生活できないので、さまざまなアルバイトをしていました。養成所の先生のお宅で、家政婦みたいなこともしましたね。朝、先生のお宅にうかがって朝食を作って、その後、洗濯をしながら台所を片づけて、掃除をして、といった仕事です。当時は今のような洗濯機はありませんでしたから、洗濯物はたらいに入れて足で踏んで洗うんです。母が生きているうちに料理や洗濯、裁縫、和服の着付けなど一通りの家事は教わってきましたが、こんな形で役に立つとは思いもしませんでした。役者の仕事もそうなんですが、人生で覚えておいてムダになることなんて何一つないと思います。

私が劇団俳優座養成所にいた頃に、ちょうどテレビ放送が始まりました。それまでは映画か舞台かラジオドラマしかなかったのに、テレビが始まったことで役者の仕事が飛躍的に増えていったんです。なかには「映画じゃなくちゃイヤだ」「舞台を中心に活躍したい」と言う人もいましたが、私は来た仕事は何でもやろうと思ってました。だから、役者の仕事の幅が増えた時期に当たったのは、運が良かったんですね。『ドラえもん』での私しか知らない人には信じられないかもしれませんが、俳優の渥美清さんやハナ肇さん、フランキー堺さん、落語家で先代の林家三平さんなどと一緒に、喜劇のようなこともやっていたんです。もちろんそれと同時に、舞台でシリアスな役をやったりもしました。ときには「あの子は新劇出身なのに、やることは喜劇人のようだ」と言われましたが、いろいろな経験を積ませてもらえたのは私にとっての財産になりましたね。

そのうちに、「あなたの声は少年の役に向いている」と言われて、洋画の吹き替えをすることになったんです。そのすぐ後に人形劇『ブーフーウー』のブーの声を担当したんですが、それがきっかけになって次第に声の仕事が増えてくるようになりました。

藤子・F・不二雄先生から
贈られたホメ言葉

『ドラえもん』に出会ったのは、声の仕事をしばらくお休みしていたときでした。『ドラえもん』の声をやってみないかというお話があったので、コミックスを買って読んだんです。表面的には子供向けのマンガという形になっていますけど、これは大人が読んでも面白いSFだと思いましたね。一晩で15冊を読み終えて、引き受けることを決心し、担当に言いました。そこから何度かテストを繰り返して、いよいよ収録に臨んだんですが、そのときのメンバーがそろったまま、26年間も続けることになってしまいました。のび太くん役の小原乃梨子さん、しずかちゃん役の野村道子さんとは今でも親友です。

『ドラえもん』ではキャスト陣で決めたことがあるんです。小さい子供が観る作品なんだから、悪い言葉は使わないようにしようということです。ジャイアンはいじめっ子なんだけど、「バカヤロー」とか「ぶっ殺す」みたいな言葉は言いません。ドラえもんのモノマネをしてくださる方が口にする「こんにちは、ぼくドラえもんです」というセリフも、実は私が考えました。台本では、ドラえもんの一人称は「おれ」だったんですよ。ドラえもんはいつでものび太を見守っているお母さんのような存在だし、未来から来た子守り用ねこ型ロボットなんだから乱暴な言葉は最初からインプットされていないと思ったんです。それでまず、のび太に対して「こんにちは、ぼくドラえもんです」と自己紹介をしました。勝手に変えちゃって怒られるかなと思ったんですが、演出家の方が何も言わずに任せてくださったのがうれしかったですね。

ただ、藤子・F・不二雄先生の原作コミックでは台本にあったような言葉遣いだったので、先生がどうお思いになるか不安でした。それで初めて先生にお目にかかったとき、「ドラえもんの声、いかがでしょうか?」って恐る恐る聞いてみたんです。そうしたら先生が「第1話を見ましたが、ドラえもんってああいう声をしていたんですね」とおっしゃってくださったんです。役者冥利に尽きるホメ言葉だと思いました。先生には別の声のイメージがあったのかもしれませんが、私の演じるドラえもんもドラえもんとして認めてくださったということじゃないですか。本当にうれしかったですね。

おじいちゃん、おばあちゃんが
マイク前に立つと小学生に変身してしまう

『ドラえもん』に関してはすごく入れ込んでしまっている私ですので、今でも一歩引いて語ることができないくらい思い入れのある作品です。私自身もドラえもん役を演じながら、ドラえもんにさまざまなことを教わりました。

感動的なエピソードになると、収録しながらつい涙ぐんじゃうこともありました。そういうときは涙がこぼれないように上を向いてこらえるんですが、気がつくとキャスト全員が上を向いて涙をこらえてたり……。スタジオではみんなマイクの前で横一列になって演じてますが、お互いの顔を見なくても対話が成り立っているからこそ、感動のシーンでは涙も出てくるんですね。そのうちに、この人達の前でなら泣こうが何しようが平気という気分になって、みんなで涙も鼻水も流しっぱなしにして収録してました。

無我夢中で演じているうちに26年たってしまいましたが、その間に2回も病気をしてスタッフやキャストの皆さんにご迷惑をかけることにもなってしまいました。小原さん、野村さんとは年に何回も旅行に行くくらい仲がいいんですが、収録の合間に「あのときの旅行は楽しかったわね」なんて話題に出して「いつも同じ話をして、おばあちゃんみたいだよ」と笑われたりもしました。でもよく考えたら、キャスト全員がすでに、おじいちゃん、おばあちゃんっていうような歳なんですよ。最後までメンバーの誰一人欠けることなく続けてこられたのは、一つの奇跡のようなものだと思っています。

26年間も変わらずに続けてこられたのは、『ドラえもん』が声の仕事だったからです。自分が顔を出して演じているドラマだったら、難しかったかもしれません。おじいちゃん、おばあちゃんがマイクの前に立つと、いきなり小学生に変身してしまう。それも声の仕事の魅力の一つだと思います。

役を演じるときに必要なのは
どんなことにも敏感に反応する好奇心や探求心

演技の道に進みたいけど、自分に向いているかどうかわからないという人は、とにかく挑戦してみることですね。やってみる前に「ダメだ」と決めつけないこと。役を演じるときも同じです。演技には「これが正しい」という正解はないんですから、一つひとつの積み重ねなんです。ディレクターさんの演出意図と違ったり、さまざまな事情でNGになることも多いんですが、まずは表現してみなければわからないじゃないですか。演技以外の経験でも、やっておいて損になることはありません。だから、とにかく動き出してみてください。そして、やるからには一生懸命やること。真剣にやらなかったら、身に付きませんし、誰も認めてくれませんからね。

演技にはさまざまな知識、教養も必要です。教養を豊かにするためには、本を読むのがいちばん。もちろん本だけでなく、さまざまな出来事にも興味をもって過ごすことが大切です。どんなことにも敏感に反応する好奇心や探求心は、役を演じるときに必要になります。演じるキャラクターがどんな人間なのか、何を考えてこのセリフを言っているのか、台本には書かれていない背景を考えないと、本当の生きた役にはならないんです。これは私が演じるときに大切にしていることでもあります。役者は一生の仕事ですから。私も一生勉強を続けて、死ぬまで役者でありたいと思っています。

(2010年インタビュー)