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【声優道】大原めぐみさん「声優になるのに年齢は関係ない!」

声優総合情報誌『声優グランプリ』25周年を記念し発売された、『声優道 名優50人が伝えたい仕事の心得と生きるヒント』が3月9日から公式サイト「seigura.com」にて期間限定で無料公開中!
臨時休校などで自宅で過ごす学生の方々へ向けて3月9日~4月5日までの期間で随時配信予定となっている。

アニメや吹き替えといった枠にとどまらず、アーティスト活動やテレビ出演など活躍の場を広げ、今や人気の職業となっている「声優」。そんな声優文化・アニメ文化の礎を築き、次世代の声優たちを導いてきたレジェンド声優たちの貴重なアフレコ秘話、共演者とのエピソードなど、ここでしか聞けない貴重なお話が満載。

それぞれが“声優”という仕事を始めたキッカケとは……。

声優ファン・声優志望者だけでなく、社会に出る前の若者、また社会人として日々奮闘するすべての人へのメッセージとなるインタビューは必見です。

声優になるのに年齢は関係ない!

▼声優無料育成オーディションに参加 緊張よりも楽しさのほうが大きかった
▼自分の中の可能性を信じて 結婚・出産後27歳で声優の道へ
▼周りの人たちの支えに感謝 仕事と子育てを両立することの難しさ……
▼〝無欲〟で臨んだオーディションでのび太役に大抜擢
▼〝声だけで表現する難しさ〟の壁にぶつかり 毎週夜遅くまで居残り収録……
▼勉強の内容は変わっても声優としてのゴールはない ▼自分さえ諦めなければ何歳からでもスタートできる

【プロフィール】
大原めぐみ(おおはらめぐみ)
4月16日生まれ。ケッケコーポレーション所属。主な出演作は、アニメ『ドラえもん』(野比のび太)、『それでも町は廻っている』(夏彦少年、末兼レポーター)、『やなせたかしメルヘン劇場』、ゲーム『スぺクトラルジーン』(エンジュ)ほか多数。

声優無料育成オーディションに参加
緊張よりも楽しさのほうが大きかった

私は小学校1年生の頃、児童劇団に入っていたんです。父親が私を芸能人にしたかったみたいで、毎週末に劇団に通っていました。映画やドラマにメインで出たことはなかったのですが、CMなどにエキストラで出演したことがあります。それから小学校の演劇クラブでも少しお芝居をやりましたが、そのときも楽しかったです。

声優という職業に憧れたのは、10代後半の頃でした。何となく「華やかな世界っていいなぁ」と思って。そんな憧れというのも、どこかに父親の影響があったのかもしれないですね。

勉強は苦手だったので、唯一好きな科目だった英語を磨こうと、専門学校で英語の勉強をしていました。でも、英語を仕事にできるようなレベルにはまったくいけなくて、自分の将来についていろいろと模索していたんですね。19歳か20歳の頃です。そんな時期に、雑誌で「声優無料育成オーディション」の募集記事を見つけて応募したんです。

そしたら3次審査まで進んで、審査で舞台に立ったんですよ。すごく緊張したんですけど、それよりも楽しさのほうが勝りました。結果的にオーディションはそこで終わってしまいましたが、その経験が私の背中を押ししてくれました。
その頃、2回くらいオーディションを受けたんですけど、1次審査で落とされることはなく、わりといいところまでいけたので、そのことが自信につながり、「基本的な勉強をすれば、声優になれる可能性があるんじゃないか」と勘違いしてしまったんです(笑)。思えば、そこがスタートでしたね。

自分の中の可能性を信じて
結婚・出産後27歳で声優の道へ

「声優になるには、基本的なことから学ばないと難しいんじゃないか?」と気づいた私は、声優の勉強をするために養成所に通い始めます。それが27歳のとき。私はすでに結婚して、子供を出産して、専業主婦をしていました。そのタイミングで声優の勉強を始めるなんて〝勇気のいる決断〟だと思われるかもしれません。でも、私はそこが変わっていたというか、ほかの人と違っていたところで、「やればできるんじゃないかな?」と思っちゃったんですよ(笑)。自分の中の可能性を信じて「やってみなければわからない」と、素直に行動に移すことができました。

声優養成所のレッスンには2年間通いました。養成所に1年通ったところで今の事務所の入所オーディションに受かって〝預かり〟になり、2年目からは養成所と並行して事務所でも勉強していました。その預かり期間に初めてゲームのお仕事をいただいて、声優としてスタートしたわけです。

最初の現場では、もう緊張しかなかったです。もちろん自分が「こうやりたい」という芝居を練習してから現場に臨んだのですが、緊張しすぎて出し切ることができず、悔しい思いをしました。何が何だかわからないうちに収録が終わっていましたね。でも、そのおかげで、緊張する自分をどう打破すればいいんだろうという課題をもつことができました。

周りの人たちの支えに感謝
仕事と子育てを両立することの難しさ……

声優デビューして13年目に入った私ですが、これまでお仕事を続けてこられたいちばんの要因は、家庭環境に恵まれていたことだと思います。主人がすごく協力的で、応援してくれる人だったんですよ。私が「声優の勉強をしたい」と言い出したときも「君がやりたいのなら、やってみれば?」と賛成してくれて。私が説得する必要はまったくなかったです。

レッスンに通い始めてからは、主人が子供を見てくれるようになりました。主人は子供好きで、子育てが大変だとこぼすこともなく、私がレッスンから帰っても温かく迎えてくれました。レッスンは週1回、日曜の3時間でしたが、子供がまだ1歳くらいだったので、世話は大変だったと思います。主人には本当に感謝しています。

声優としてお仕事をするようになってからも、主人は協力してくれています。年に数回、映画のキャンペーンなどで地方に行く仕事もあるんですよ。1泊のときはご飯を用意して行きますけど、2泊以上になると、子供と一緒に外に食べに行ってもらったり、なるべく主人に負担がかからないようにしています。私が仕事で、主人も出張で出かけるときは、私の母親やママ友に助けてもらったこともありました。本当に周りの人たちの協力があって、何とかお仕事と子育てを両立してこられました。お世話をかけた皆さんには感謝の気持ちでいっぱいです。

それでももちろん、仕事と子育ての両立の難しさを感じたときもありますよ。たとえば、子供が病気になってしまったのに、自分は仕事に行かなくちゃいけない、というときは胸が痛みますね。でも、現場に穴をあけるわけにはいきませんから。また、仕事が入って子供の学校行事や発表会を観に行けないときもつらいです。そんなときは子供に「仕事のほうが大事なんだ」と思われるのは嫌なので、「同じぐらい大事だけどごめんね。観に行けないけど応援しているからね。頑張っておいで」と話して理解してもらっています。

〝無欲〟で臨んだオーディションで
のび太役に大抜擢

私の代表的なキャラクターといえば、やはり『ドラえもん』の野比のび太です。これまで12年間、私はこの『ドラえもん』という作品に育てていただいた感覚があります。

『ドラえもん』は子供の頃からめちゃくちゃ観ていました。「こんな道具があったらいいな」と妄想したり、勇気づけてもらったり、つらいときに現実逃避させてもらったり……すごく救われた作品です。気が付けば『ドラえもん』が存在していて、毎週この時間にテレビをつければドラえもんに会えるという安心感がありました。ストーリーも『水戸黄門』のように、最後に必ず平和になって一件落着する感じがいいんですよね。

そんな私がのび太役をやらせていただくようになったのは、事務所の所属になって1年か1年半くらいの頃でした。最初にテープオーディションがあって、「自分がやりたい役をやってください」と言われたので、のび太とドラえもんをやりました。そのときは、大好きな『ドラえもん』のオーディションを受けられるというだけでうれしくて、自分が審査に通るなんて1ミリも考えていなかったんです。

その後の2次審査は、スタジオオーディションでした。そこには、自分がすごいと思っていた声優さんたちがいらして、「あの方たちも受けてるんだ~!!」って、何だか夢のような感じでした。そういう方たちにお会いできてラッキー!!みたいな(笑)、ミーハーな感覚だったんですよ。本当に無欲で「ここまでこられただけで幸せ」という感覚しかなかったので、緊張もあんまりしなかったですね。

そして3次審査に参加しました。そのとき実は、もうあのメンバー(水田わさび、大原めぐみ、かかずゆみ、関智一木村昴)で決まっていたみたいなんです。それを知らされていなくて「いろんな組み合わせで試しているのかな」と思いながら読み合わせをしていたら「これで決まりです」と言われて……。まさか自分が選ばれるなんて思ってなかったので、「ドッキリじゃないの?」とカメラやドッキリのプラカードを探してしまいました(笑)。頭も真っ白になって「うそでしょ? どうしよう? 選ばれちゃった」というのが素直な感想でしたね。

後でスタッフさんから聞いた話ですが、「素直で真っすぐなところが良かった」そうです。ヘンな欲もなかったし、「こうやろう」というものもなく、自分の中から自然にのび太くんを出せたのがよかったみたい。『ドラえもん』以前もいくつかオーディションを受けていましたが、何にも引っ掛かりませんでした。そんな私がこんな大きな作品に携われるようになるなんて、本当に驚きでした。

〝声だけで表現する難しさ〟の壁にぶつかり
毎週夜遅くまで居残り収録……

『ドラえもん』に決まってうれしくて、「決まったからには頑張ろう」と思っていたんですけど、「自分にできるのかな? やっていけるのかな?」という不安も大きかったのです。でもその不安は、徐々に覚悟に変わっていきました。

いざ収録に入ると緊張だらけでした。それまで自分が観ていたアニメーションをやってらっしゃる憧れの声優さんたちが現場にいらして、そのなかで、自分がマイク前に立って芝居で絡んでいくわけですから。その作業って、すごいことだと思いました。

最初の頃は余裕もなくて、アドバイスをいただいても、自分が要求されていることをちゃんとキャッチできなかったんですよ。現場のスタッフさんも、もどかしかったんじゃないかと思います。自分の気持ちはのび太役とシンクロできていると思うのに、それを声だけで表現することが難しくて。そのとき、音で感情の起伏を表現する難しさという壁にぶつかりました。監督さんからも「気持ちは合っています。でもそれじゃ届きません」と言われて、「どうしたら声だけで観る人に届けることができるのか?」と悩みました。映像だと表情や仕草でも表現できるけど、〝声だけ〟というのは本当に難しかったですね。

随分〝居残り〟収録もやりました。『ドラえもん』では収録前に入って先にリハーサルをして、ほかのキャストの皆さんが入って収録スタート。皆さんの収録が終わってから、私はその後、自分ができていないところを居残りで録っていました。毎週夜遅くまでやってましたね。
私に付き合ってくださったスタッフさんはもちろん大変だったと思います。ドラえもん役の水田わさびさんもずっと付き合ってくださって、本当にありがたかったです。わさびさんだけなら録り終わって帰れるところを、ドラえもんとのび太の関係性があるので、一緒に残って見守ってくださったんですよ。

スネ夫役の関智一さんにも相談させていただいて、「自分の考えている、感じているのび太くんでやれればいい。いろいろ考えなくても、めぐみちゃんはのび太くんなんだから、そのままでいいんだよ」と言っていただきました。また、しずかちゃん役のかかずゆみさんとも「この話はどうやったら面白くなるかな」と話し合ったり、「このセリフは、こう立てたらいいよ」とアドバイスをいただくこともありました。

『ドラえもん』のキャストは皆さん忙しい方なので、個々で動いている感じもしますけど、誰かが困っていたら、サッと手を差し伸べてくれるんです。私はフォローするよりもっぱらフォローされることが多いので、支えていただいている感覚が常にあります。本当に感謝しています。ベタベタした感じではないけど、みんなでいい作品を作り上げていこうという結束力はすごくあると思います。

勉強の内容は変わっても
声優としてのゴールはない

その後、『ドラえもん』の〝居残り〟収録にかかる時間は少しずつ短くなって、だんだん早く帰れるようにはなりました。役にシンクロする感覚がつかめるようになったのは10年くらいたった頃。つい最近のことですね。今ではようやく役とシンクロできる感覚が多くなってきて、『ドラえもん』という世界観をのび太と一緒に楽しめるようになってきました。

ただ、気持ちを音で表すのは本当に難しくて、今、声優の勉強をされている皆さんも、この壁を感じることがあるんじゃないかと思います。私も「どうしたら監督の求めている芝居に到達するんだろう」と思い悩んで、プロデューサーさんに相談したこともありましたが、そのときは「それは大原さんが自分で気づかないとできないんじゃないかな。私たちも、言葉では説明できないから」と言われました。なので、現場で先輩たちがどうやって表現しているのかを見て、必死にヒントを探していました。これは自分自身の感覚でくみ取っていくしかありません。

現状で満足したら成長が止まってしまうので、常に勉強は必要です。勉強の内容は変わっても、声優としてのゴールはないと思います。常に好奇心をもって何かに挑む行動力が必要でしょうね。もちろん今も現場でダメ出しをいただくことがありますが、そこを真摯に受け止めて、何らかの成長を得られたらと思っています。

これまで現場で怒られたこと、ご指摘いただいたことは、たくさんあります(笑)。何度もやり直しているうちに、声がお腹から出ていなかったことで芝居の幅が狭まっていたことに気づいたことも。先輩方は体が楽器のようになっていて、2オクターブ、3オクターブと声が出るんですよ。私はきちんと声が出ていなかったから、その幅が狭くて、表現の幅も狭かったんです。これから声優になる皆さんは、体が楽器になるように、自在に声を出せるように、腹式の発声をしっかりマスターしておいてほしいです。

そういう失敗や反省から学べることもたくさんあるのですが、これからの若い声優さんたちは〝失敗すると次につながらなくなる恐怖感〟をもって挑まなければいけないとも思います。

もちろん、私も〝『ドラえもん』をクビになるかもしれない危機感〟は常にもっていますよ。あるとき「もう(役を降りていただいて)いいですよ」と言われても後悔しないように、毎回「今できることを全力でやろう」と思って取り組んでいます。そういう気持ちは、もち続けていないといけない。そこを甘えたら、その気持ちが音や芝居になって出てしまう気がするんです。

のび太はやっぱり国民的キャラクターなので、責任感は常にもっています。「観てくれる皆さんに楽しんでもらうにはどうしたらいいのか?」と考えながら台本を読んだり、表現の仕方を工夫しています。そんななか、ファンの方から「のび太が頑張っている姿を見て勇気をもらっています」という内容のお手紙をいただいくこともあって、のび太を演じる上で大きな励みになっています。声優として、とてもやりがいを感じますね。

毎年、自分の子供を連れて『ドラえもん』の映画を観に行くのですが、劇場で笑っている子供の姿を見ると、「ああ、やっていて良かった?」と思います。劇場で大人も子供もスクリーンに惹き込まれて心が動いている状態を目のあたりにすると、「私って、こんなに素敵なお仕事をさせてもらっているんだ」と幸せを感じるんです。

自分さえ諦めなければ
何歳からでもスタートできる

今、若い声優さんたちを見ていると、自分が新人時代にダメ出しされて悩んでいたことを思い出しますね。「自分はこういう芝居をしたい」と主張したり、自分の考えを変えられない人もいると思いますが、指摘されたことを素直に受け入れることが大切です。相手(音響監督など)が何を求めているのか、自分は何を求められているのかをしっかりキャッチし、掘り下げて考えてみること。相手に寄り添ったり、相手を思いやる気持ちがないと、求められた芝居を出すことはできないと思います。

また、すべての経験が役者の引き出しになるので、いいことも悪いこともたくさん経験しておくこと。それらが役に立つときが絶対に来るので。学生なら部活やバイト、恋愛など何でもいいのでいろんな経験をしてほしいです。つらい経験でも、何もやらないよりは、そこから学びとれるものがいっぱいあります。たくさん心が動くきっかけになりますから、何にでもトライしたほうがいいと思いますよ。

昨今は声優業界も低年齢化してきていますが、本当は自分さえ諦めなければ何歳からでもスタートできるんです。私も27歳で声優を目指し始めて、養成所に入ったときは年齢が上のほうでしたけど、私より年上の方もいました。やる気さえあれば大丈夫!! ぜひ夢に向かって行動を始めてください。

(2017年インタビュー)