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【声優道】平野 文さん「演技の生理を身に付けること」

声優総合情報誌『声優グランプリ』25周年を記念し発売された、『声優道 名優50人が伝えたい仕事の心得と生きるヒント』が3月9日から公式サイト「seigura.com」にて期間限定で無料公開中!
臨時休校などで自宅で過ごす学生の方々へ向けて3月9日~4月5日までの期間で随時配信します。

アニメや吹き替えといった枠にとどまらず、アーティスト活動やテレビ出演など活躍の場を広げ、今や人気の職業となっている「声優」。そんな声優文化・アニメ文化の礎を築き、次世代の声優たちを導いてきたレジェンド声優たちの貴重なアフレコ秘話、共演者とのエピソードなど、ここでしか聞けない貴重なお話が満載。

それぞれが“声優”という仕事を始めたキッカケとは……。

声優ファン・声優志望者だけでなく、社会に出る前の若者、また社会人として日々奮闘するすべての人へのメッセージとなるインタビューは必見です。

演技の生理を身に付けること

▼人から言われて始めたことが面白くて仕方がなくなった
▼声優という仕事のコンマ1秒を操るテクニックに惹かれた
▼主役は取り扱う素材で紹介する自分はあくまで裏方
▼自分が望んだことに対しては前向きな興味をもてる
▼今の自分だからこそ演じられるような役をやりたい
▼声だけですべてを表現するからこそ大事な演技の生理
▼役者にとってのお金は貯めるものではなく芸のために使うもの

【プロフィール】
平野 文(ひらのふみ)
4月23日生まれ。青二プロダクション所属。主な出演作は、アニメ『うる星やつら』(ラム)、『恋子の毎日』(恋子)、『アニメ三銃士』(ミレディ)、『ノンタンといっしょ』(ナレーション)、『つり球』(ケイト)、TV『平成教育委員会』(ナレーション)ほか。エッセイストとして『築地市場のさかなかな?』『お見合い相手は魚河岸のプリンス』『築地魚河岸嫁ヨメ日記』など著作多数。

人から言われて始めたことが
面白くて仕方がなくなった

声優には子役からこの世界に入ったという人が多いんですが、私もその一人です。ずっと児童劇団で芝居をやっていたんですが、17歳のときにディスクジョッキーのオーディションを受けて、ラジオに出演することになりました。

その頃、FENで放送されていたウルフマン・ジャックのDJを聴いて、私もこんなリズミカルに歌うようにしゃべってみたい、それを英語ではなくて日本語でやってみたいと思っていたので、ちょうど渡りに船といった感じでしたね。そうしたらお芝居よりDJのほうが楽しくなってしまって、それからしばらくはラジオ一辺倒になりました。

DJのどこがそんなに楽しかったのかというと、決められた時間内に自分の言葉で何かを伝えること。そのほうが、台本に書かれたセリフで演じるよりも、自由度が高くて面白いと感じたんです。そして、ラジオのDJをやるからには深夜放送をやってみたいと思い、大学卒業をきっかけに文化放送の『走れ!歌謡曲』のパーソナリティを3年間担当させていただきました。

そもそも私が児童劇団に入ったきっかけは、従姉妹が習っていたバレエを観たから。それで私もバレエを習い始めたんですが、その先生がバレエだけでなくミュージカルにも出させてくださり、そのうち子供番組にも出演させてもらうようになって……そこで「児童劇団で芝居の勉強をやったほうがいいよ」と言われて児童劇団に入ったんです。DJも最初は「オーディションを受けてみる?」と言われただけだったのに、やってみたらすごく面白くて夢中になっちゃった。どんなことでも、自分が実際に体験してみないと面白さはわかりませんね。

声優という仕事の
コンマ1秒を操るテクニックに惹かれた

声優の仕事を始めたのも、ラジオを聴いてくださっていたリスナーさんの一言がきっかけなんです。番組に寄せられた受験生のリクエストハガキに、よく「『○○ちゃん頑張って』と言ってください」みたいなことが書かれていたんですが、それがだんだんと「応援団風に『頑張って』と言ってください」「看護婦さんのように励ましてください」みたいにエスカレートしていっちゃった(笑)。リクエストされればそれなら……と思って、そういう感じで読んじゃうでしょ(笑)。そうしたら「文さん、アニメの声をやってみたらどうですか?」というハガキをいただいたんです。そう言われて初めて声優の仕事について考えてみたんですが、ふと気がついたんです。DJが曲紹介するときって、イントロが15秒あったら14・5秒まで紹介して、言葉が切れて、残りの0・5秒でリスナーがふっと一息ついたところで歌が始まる、というのが耳心地のいい曲紹介のベスト形なんです。

アニメで絵に合わせて声を当てるというのも、DJの曲紹介と同じくコンマ1秒を操る技術なのではないか。そう考えて、私にもできるかもしれない、やってみたいと思うようになりました。声だけでいろいろな役になれるというお芝居の面ではなく、テクニック的な部分に惹かれたんです。

それで初めて受けたオーディションが『うる星やつら』のラムちゃんでした。児童劇団で芝居のレッスンを受けていたとはいえ、「通行人A」とか「少女B」などといった脇役を演じることなく、いきなりメインキャラクターで出演することになってしまいました。でも、本当に楽しかった! ほかの人のセリフのときにはひっそりと息をひそめていて、ラムちゃんの口が開くと同時にしゃべり出す。アニメの収録スタジオには多くても4~5本しかマイクがないので、出演者はマイクごとに、数人が入れ替わり立ち替わりセリフをいうんです。自分のセリフの直前にマイク前に入って、セリフを言い終わったら即座にどく。それも音を立てずに。そんな作業もスポーツ感覚で楽しんでいました。

考えてみたら、児童劇団で芝居をしているときから、自分が作中人物に成り代わって演じるということにはあまり興味がなかったんです。変身願望もなかったし、自分がどんどん前に出てスポットライトを浴びたいという欲もありませんでした。だから演技をすることよりも、コンマ1秒以下の反応が要求されるような、職人的なテクニックを駆使する裏方作業のほうに惹かれるんです。もちろん、芝居の基礎は児童劇団で学んでいましたし、ずっとラジオDJやナレーションなどの仕事のおかげで、マイクの使い方など技術的なこともある程度体得していたからこそ、職人技みたいな感覚を純粋に楽しめたのかもしれません。

アニメで演じた役のなかで忘れられないのは、『アニメ三銃士』のミレディ役です。『うる星やつら』の音響監督をされていた斯波重治さんが、新たに『アニメ三銃士』を手掛けることになったときに、「この役をやりませんか?」とオーディションもなしにオファーをくださったのです。ミレディは妖艶で色っぽくて意地悪で、ラムちゃんとは対極のタイプ。最初は「できません」とお断りしたんですが、斯波さんは「大丈夫、できます」とおっしゃったんです。『うる星やつら』でずっとお世話になっていたこともあり、「じゃあ、ついていきます!」と斯波さんの言葉を信じて演じさせていただくことにしました。ラムちゃんのときは、イメージとして声帯をちょっと上に向ける感じで声を出していたんですが、ミレディはキャラクターの絵を見た印象から、逆に声帯をちょっと下に向けるイメージで演じました。ミレディ役のおかげで、それまで自分の中にはないだろうと思っていたもの、いうなれば自分の中でずっと眠っていた原石のようなものを、斯波さんに引き出していただいた気がします。

主役は取り扱う素材で
紹介する自分はあくまで裏方

今では声の仕事以外にエッセイも書いていますが、私の中では方向性の違いは感じていないんです。私はDJとしてフリートークをしていましたが、DJって自分のことはあまり話さないんですね。たとえば、この曲のここがいいと紹介したり、リスナーからのハガキを元に「こういうことを言っていた人がいます」などと語る。それは自分の話ではなく一種のレポートですよね。自分自身についてしゃべっているのではない。エッセイも同じ。レポートみたいなものです。築地の旬の魚について「3分間でしゃべってください」と言われるのも「500文字で書いてください」と言われるのも、私の思考回路としてはまったく変わりません。秒数制限のなかでしゃべっていることを、字数制限のなかで同じ内容で文章に変換させると、エッセイになっちゃうんです。もちろん自分の視点からの話にはなっちゃうんですが、媒体は変わっても自分の軸はまったくブレていません。

また、DJやナレーションの仕事を長くやっていると、次第に時間の感覚が分かるようになってくるんです。特に1秒以下の感覚ですね。たとえば15秒という時間内に決められた文章を読む場合、「このくらいのペースだと0・5秒余る」「このままのペースで読んでいくと、0・2秒くらいこぼれるな」といったことが不思議と自然にわかるようになってくるんですね。でも、ちょっと早口で読まないと秒数内に終わりそうにないときでも、聴いている人には「早口でしゃべっているな」と感じさせてはいけないので、そこは今まで培ってきたテクニックで補っていくんです。そういう作業が楽しいんですよ。DJもナレーションも文章を書くのも、あくまでも主役は取り扱う素材であって、読んだり書いたりする私は、裏方なんです。

声優も最近はグラビアに登場したり歌を歌ったりと活動範囲が幅広くなってきましたが、私はあくまで裏方だと思っています。というより、私自身は声優として裏方でありたいんですね。

自分が望んだことに対しては
前向きな興味をもてる

エッセイを書き始めたきっかけは、私が築地市場の仲卸業を営んでいた家に嫁いだことでした。それまでも結婚願望は漠然とはあったんですが、声優やDJといった同業者とは結婚する気はなかったんです。ちょうどそのころ、『うる星やつら』の放映が終わって、NHKの番組で築地の魚河岸をレポートする仕事をしていたんですが、私は別に魚河岸に詳しいわけではなかったので、素人目線で知らないことを素直に尋ねていく、といった内容でした。

魚河岸の人にとっては当たり前と思っていることをいちいち聞かれるんですから、魚のプロにとっては、さぞ面倒臭かったことでしょうね。でも、築地というところは、挨拶とお礼さえしっかりしていれば、新参者でもすごく温かく受け入れてくれるんです。私は生まれも育ちも東京なので地元の人間だと思っていたんですが、築地にはまだ旧き良き江戸っ子文化みたいなものが息づいていて、「私は東京生まれではあっても、江戸っ子ではなく東京っ子なんだ……」と感じました。しかも築地は完全な男社会で、女性は陰から支える役割に徹していて、決して表に出てこない。そんなところが実に私好みでした。それで、お嫁に行くなら魚河岸の人のところがいいなと思って、お見合いをお願いしたんです。極端な話、魚河岸の人なら誰でもよかった(笑)。そう思ってしまうくらい、魚河岸の人はみんな気っ風がよくて、魚河岸全体が一つの大家族のような温かさをもっているんですね。

実際に結婚してみて、ここにお嫁に来て良かったと思いました。自分の仕事とはまったく異業種の世界に身を置いているという感覚も心地良かったし、築地では魚河岸の嫁に徹しているけれど、仕事に行くときは、たとえば昭和通りをまたいで銀座に入ると「平野文」になる、といったスイッチの切り替えもできるんです。今までは公私ともすべてが平野文だったので。今ではスイッチを切り替える楽しさも知りました。築地の嫁になると決まったときは、周囲から「大丈夫か?」とかなり心配されましたけど(笑)、私としては「何をそんなに心配しているんだろう」というくらい自覚がなかったんです。

築地魚河岸についてのエッセイは、ご依頼をいただいたので書き始めたんですが、書いている内容はNHKのレポーターをしていた頃と変わりません。たとえばイワシのことを、魚河岸ではときとして「七つ星」と言うんですが、それは「イワシの背に7つの斑点があるから」で、その理由を聞くまでは何のことかわかりませんでした。魚河岸の中に入ったからこそ知ったそういったサプライズを、ほかの人にも知っていただきたいと思ったのが動機です。築地では、朝起こったことが昼にはもう全員に知られているというような気風があるので、私がエッセイを書いていることも皆さんご存知で、面白そうなネタを進んで提供してくれたりということもあります。夫は「まるで俺の暴露本だよ」と嘆きつつ笑ってますけどね(笑)。築地にはそんな、何があっても動じないという懐の深さがあるので、私もすごく気楽だし、皆さんに支えられているという実感があります。本当に、魚河岸にお嫁に来て良かったと思います。何しろ結婚した当初、築地に抱いていたイメージというのは、四半世紀たった今でも裏切られていないんですから、すごいところでしょう?

改めて考えてみると、築地は自分から望んで、好きでそこに住みたいと思ったから、今でもいいところを探そうとするんです。好きでやっていることだからこそ、続けていける。これは声優の仕事も同じだと思います。声優さんになりたいという人は多いけれど、声優になるのは決して簡単なことではないでしょう。私も誰かに「声優になりたいんです」と相談されたら「個人的には薦めませんけどね」と答えると思います。でも声優に憧れて、実際に声優になった人もいらっしゃるのでしょう。そういう人たちはそれは声優という仕事の楽しさを知っているからこそ、別の言い方をすれば声優の仕事への興味が前向きだからこそ、声優を続けていられるのではないでしょうか。

今の自分だからこそ
演じられるような役をやりたい

2012年に、『つり球』というアニメでついにおばあちゃんデビューができました。これがもう楽しいこと! 最初はばあちゃんなんだからとちょっと低めの声で演じたんですが、「もっと高い声でいいです」「フランス人という設定なので、かっこいいばあちゃんで」というリクエストをいただきました。続いて、韓流ドラマもデビューできたんです。それも超イジワルな母ちゃん役! 心底意地悪いセリフを思いっきり演じたもので、心配になって「ちょっと意地悪すぎますか?」と聞いたら、監督さんから「いいですねぇ!」とOKをいただけたので、気持ち良く演じてます(笑)。こういう役は、自分が年齢を重ねてきたからこそできる役だと思うんです。若いうちは「多分こんな感じだろうな」という想像で演じるしかないので、なんちゃってばあちゃんにしかなってなかったでしょう。だからこそ、今の自分だから演じられる役をこれからもやっていきたいですね。

私の演技には、築地に嫁いだことも大きく影響していると思います。実際に普段の言葉遣いも多少荒くなったし、しゃべるテンポも早くなったし、ときにはたんかを切ることもあるので、そういう役も演じられるようになりました。築地は男社会といいましたが、女性を非常に大事にしてくれるので、中にいるとすごく優しくなれるんです。意地悪な役を演じるときには、その逆をやればいいんですから、築地で暮らしているお陰で演技に幅が出てきたように思います。

ただ怖いことに、歳を重ねるほど、その人の性格や日々の暮らしぶりが声に出るようになってしまうんですね。見た目ならメイクや衣装でごまかすこともできますが、声はそういうわけにいきません。ですから、あまり荒れた生活にならないよう、無意識のうちに注意しています。やっぱりラムちゃんを演じた頃とかけ離れた声になっては、原作の高橋留美子先生や作品を愛してくださるファンの方、そしてなによりラムちゃん自身に対する裏切りですから。それが演じた者の責任ですね。

2010年に、『声の魔力 幸せになれる声レッスン』という本を出しました。これは声優になりたい人向けというわけではなくて、普段の暮らしのなかで声がステキに出せる、企画をプレゼンするときや上司に話しかけるときなどにステキな声で話してみたいという人のための内容です。本の中にツイッターのURL(@hiranofumi)が書いてあって、内容に関する質問はいつでも受け付けていますので、興味のある方、ステキな声を出したい、声に自信をもって生活したいという方は手に取ってみてください。

声だけですべてを表現するからこそ
大事な演技の生理

最近の若手声優さんを見ていると、演技の生理をどこまでわかっているのかなと思うときがあります。声優は、マイクから声を外しちゃいけないから、直立不動で演技をしますよね。実写ドラマだったら走っているときは走っているアクションができるけれど、声優は走っているときの声、食べているときの声、泣いているときの声、どんなときでも常に直立不動の姿勢で出さなくてはいけないんです。だから、たとえば、走りながらしゃべるというのはどういうことなのか、自分の頭と体でわかっていないと、それはできないんです。普通の役者よりもよりいっそう、演技の生理をわかっていないとダメなんじゃないでしょうか。私自身も声優デビューした当初は、先輩方から「わかってないなあ」。そう思われていたことでしょうね。

声優になりたいと思う人のうち、アニメが好きという人も多いと思います。でも、いくら好きなアニメのセリフでも、まねはしないほうがいい。私はそう思います。そういう人が声優になって、まねで身に付けた演技をすると、それを見た人がさらにそれをまねる。それが続いていくと「こういうキャラはこういう声でないとダメ」などというような固定概念ができてしまうように思うんです。声優になりたいからといって、アニメそのものに詳しくなる必要は、私はないと思ってます。それよりも、演技の生理をわかったうえでマイクの前に立つ、こちらのほうがずっと大事でしょう。

そういう演技の生理を身に付けるためには、とにかく、どんなことにも挑戦してみることです。そして、商業演劇でもアングラでも歌舞伎でも、とにかくたくさんの芝居を観ること、芝居に限らず、あらゆる芸能・芸術に接してみることでしょうね。洋画のアフレコをするとき、画面に映っているのがアメリカ人だったら、アメリカ人がどんな場面でどんなリアクションをするのかわかっていないとセンスある演技はできないと思います。そのためには実際にアメリカに行ってみることも必要。「こんなセリフだったらこんな感じだろう」とすべてイメージだけで演じてしまっては、おそらく、画面と声にギャップが出てきてしまうのではないかな。

役者にとってのお金は貯めるものではなく
芸のために使うもの

ただ、私がこう言っても、若い人にはなかなか通じないかもしれません。事実私自身も、児童劇団で言われたこと、声優デビュー当時に言われたことなどは、そのときは「何だそんなこと」と思って聞き流していたのに、今になってみれば「ああ、あれはこういうことだったのか」と納得することがたくさんありますから。

それからもう一つ。児童劇団時代から、「芝居を観るなら金を払って観ろ」とよく言われました。自分でお金を払って鑑賞するというのはとても大事なことなんです。招待券やサンプルビデオで観るのと違ってちゃんと身になるのです。自腹を切っていれば無意識のうちに元を取ろうとして真剣に観るでしょう。役者にとってのお金は、貯めるものではなくて芸のために使うもの。私はそう思います。

私も児童劇団時代から長いことピアノ、バレエ、日舞などさまざまなお稽古事を経験して、そのときは「何の役に立つんだろうな」と思っていたのに、後になって仕事に役立ったことがいくつもありました。もちろん、やってみたら自分に向いてないとわかってやめたものもあります。三味線はダメでしたね(笑)。右手と左手がまったく違う動作をするというのが、どうにもできなかったんです。同じような理由で、笛もダメですね。だから、築地の祭り囃子では太鼓を担当しています。大枚はたいて習ってみてもダメなことはありますが、挑戦してみなければ自分に向いていないこともわかりません。だからこそ、どんなことでも一度は挑戦してみる価値があるのではないでしょうか。結婚も、そうかもしれませんよ(笑)。

(2012年インタビュー)