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【声優道】折笠富美子さん「魂を燃やして」

『声優道 名優50人が伝えたい仕事の心得と生きるヒント』が3月9日から期間限定で無料公開中!
臨時休校などで自宅で過ごす学生の方々へ向けて3月9日~4月5日までの期間で随時配信します。

アニメや吹き替えといった枠にとどまらず、アーティスト活動やテレビ出演など活躍の場を広げ、今や人気の職業となっている「声優」。そんな声優文化・アニメ文化の礎を築き、次世代の声優たちを導いてきたレジェンド声優たちの貴重なアフレコ秘話、共演者とのエピソードなど、ここでしか聞けない貴重なお話が満載。

それぞれが“声優”という仕事を始めたキッカケとは……。

声優ファン・声優志望者だけでなく、社会に出る前の若者、また社会人として日々奮闘するすべての人へのメッセージとなるインタビューは必見です。

魂を燃やして

▼学校指定のジャージで臨んだSETの劇団オーディション
▼「セリフをもっとしゃべりたい!」強い思いが届いて声優の道へ
▼初めてのアニメ演技は〝アウェー感〟が強かった
▼『千年女優』の藤原千代子役で〝スクリーンデビュー〟の夢が実現
▼「だから私はプリキュアになったんだ」と強い使命感を感じた
▼「自分はこれを大事にしている」という信念をもっている人が続いていく
▼「折笠にやらせてみよう」と託していただくことが新たなチャレンジにつながっている

【プロフィール】
折笠富美子(おりかさふみこ)
12月27日生まれ。アトミックモンキー所属。主な出演作は、TV『コップクラフト』セシル・エップス、『ランウェイで笑って』成岡雫、『リトルウィッチアカデミア』ロッテ・ヤンソン、『あたしンち』みかん、『BLEACH』朽木ルキア、スイートプリキュア♪』南野奏(キュアリズム)、webアニメ『モノのかみさま ここたま』ミシル、映画『チェブラーシカ 動物園に行く』チェブラーシカほか多数。

学校指定のジャージで臨んだSETの劇団オーディション

私が役者の世界に入ったきっかけは、高校2年生の終わり、劇団スーパー・エキセントリック・シアター(SET)の劇団員募集を見つけてオーディションを受けたことでした。

研究生オーディションでは、私が最年少で周りは大人の方ばかりでした。「体を動かせる服装で来てください」と言われて、レオタードのお姉さんたちがいるなか、私は学校指定のジャージ、みたいな状況(笑)。特技披露でも切り札がなくて、「とりあえず歌います」と学園祭でソロを披露したことのあった『星に願いを』を英語で歌いました。

何次オーディションまであったか忘れましたが、毎回オーディションから帰宅するたびに、母から「ここまで来られたのだから、いいんじゃない」なんて慰められていました。応援するというよりは、私には無理だろうと思っていたみたいです。「こんなトロい子ができるわけない」と。ですが、関門を抜けて、研究生になることができました。

いざレッスンに行ってみたら「こんなに体育会系なの?」と驚きました。〝ただの高校生〟の私は、体力にも自信がなくて、周囲からも「自転車乗れるの?」と言われてしまうくらい何もない、ゼロからのスタートでした。SET研究生時代はジャズダンス、バレエ、タップダンス、歌唱、演技のそれぞれの基礎、それとバク転などアクロバットと殺陣のレッスンなどを毎日こなす日々。拳立て伏せもしていました。痛かったです。女子なので「ここまででいいです」と多少は手加減してもらえましたが……。そのお陰で精神と身体能力が鍛えられて、体育の成績が8から10に上がりました(笑)。

昼間は学校に行って、夕方からSETのレッスンを受けて……という毎日を1年間続けました。両立は大変でしたが、一緒に学ぶ仲間たちにも恵まれました。演技経験のある人もない人もいっぱいいて刺激をたくさん受けましたね。そのなかで私は最年少、日々いろいろ吸収できる環境でチビッ子扱いされながらも、大人に混じって目標に向かって頑張ることがすごく楽しくて充実していました。

「セリフをもっとしゃべりたい!」
強い思いが届いて声優の道へ

SETの研究生の後半は、卒業公演の稽古をやっていました。公演を1本うって、そこで審査されて、劇団員に昇格できるかが決まるのです。その公演で私とダブルキャストだった女優さんが、劇団ヘロヘロQカムパニー(以下、ヘロQ)の旗揚げメンバーだったご縁で、ヘロQの座長の関智一さん、長沢美樹さんと知り合いました。後に、関さんから今の事務所の社長(当時はマネージャー)を紹介されて声のお仕事を始めることになるので、まさに人とのご縁で声優の道へと運ばれた感じでした。

劇団を辞めてフリーで小劇場や映像の仕事をしていた時期もありました。舞台は知り合いのツテでいい役もいただいていましたが、映像は仕事自体も少なくて、やっと仕事をもらっても「女A」というセリフ一言の端役やエキストラだったり。ですから、「セリフをもっとしゃべりたい!」という思いが強かったんですよ。声優の仕事にたどり着いたときはそのまっすぐな強い願いが届いた感じでした。

声の仕事は、最初に少しゲームに出演させていただきました。そのときはまだ「声優になる」という気持ちが固まっていなかったんですけど、そのすぐあとマネージャーから「とりあえず挑戦してみよう」と言われて、お話をいただいたのがデビュー作の『GTO』のオーディションでした。そこでヒロイン役に選んでいただいたのですが、当時は現場のことを何も知らなくて、アフレコ用に書かれた台本すら初めて見るような状況でした。

声優業を始めてから少しずつでも順調にいい仕事をいただいていたので、周りの人たちからは順風満帆に見られがちでしたが、声のほうでチャンスをいただく以前は、劇団員に昇格してすぐに役をいただけるわけもなかったですし、舞台や映像の仕事場で、その他大勢の役で雑に扱われるような、つらく苦しい経験もしました。「全然仕事がない、この先どうしよう?」とただ待つ日々に不安になった時期もありました。アルバイトもたくさんしましたし、劇団を辞めた後もどのように仕事をつかめばよいか不安でしたね。

その頃は「この余裕ある時間は勉強の時間」と考えていました。といっても、舞台を観に行くお金もなかったので、テレビを観ていました。当時は映像演技にも興味があったので、その時流行していたドラマや人気女優さんのお芝居を録画して、何度も巻き戻したりしながらひたすら研究していました。

「もうダメだな」みたいなことはまったく思わなかったんです。ダメも何も、まだ芽も出ていないわけですから、そういう発想にはならなかったんですね。逆に何かを持っていたら、「それを失くしたらどうしよう」「それが育たなかったらどうしよう」と思っていたかもしれません。とにかく演じたい気持ちだけがひたむきに強くあったので、ある意味、怖いもの知らずだったと思います。

初めてのアニメ演技は〝アウェー感〟が強かった

私は『GTO』のヒロイン・冬月あずさ役で声優デビューという形になりました。アニメのアフレコ台本を見たのはこのときが初めてでしたし、カット割りを理解して絵をチェックするのも、アドリブの息だけで感情を表現するのも初めて……。そんなスタートだったので、かなり戸惑いました。

幸い、最初の収録日までに時間があったので、山寺宏一さん主演アニメの収録現場を見学させていただき、学ばせていただきました。『GTO』では、この道に入るきっかけをくれた関智一さんとの共演もあり心強かったです。周囲のレギュラーの皆さんに、台本チェックの仕方など技術的なことを実践を通して教わり、本当に支えていただきました。

昨今、声優界はタレント的な事務所の数も多くなりましたし、異業種の方が声優をやる機会も増えていますけど、私が声優デビューした頃は私のような存在はまだ〝アウェー感〟が強かったと思います。それまで舞台や映像の仕事はやっていましたけど、声優としての表現は全くの初心者。制作スタッフの方たちは「折笠さんのもつ芝居の空気感が今までの声優とはちょっと違うことが面白いから」と私を選んでくれたそうです。〝違和感〟が私の個性につながった幸運なデビューだったと思います。

ビッグタイトルのヒロインでデビューしたということで、注目をされ、たくさんのチャンスをいただく機会に恵まれたり、役者仲間の励ましもありました。半面、ライバルからの妬みもそれなりにありました。ですがそのおかげで、仕事に対し、役に対し、真っすぐに誠実でいるあり方をいつも考えていました。心ない周りの目より、自分の〝進む先〟のほうが重要でしたから。

『千年女優』の藤原千代子役で
〝スクリーンデビュー〟の夢が実現

たくさんのキャラクターを演じさせていただくなか、特に印象に残っている作品やキャラクターを挙げるとしたら……選ぶのは難しいですけど、『ヴァンドレッド』のメイア・ギズボーンはその一つです。髪の色が青いキャラクターを演じるのも初めてでしたし(笑)、アニメイベントに初めて出演したのがこの作品で、アニメファンの人がどういう雰囲気なのかもわからなかったですから、クールなキャラクターと自分のギャップに驚かれてしまうかもとドキドキでした。イベントではトークや生アフレコをしましたが、共演者の皆さんが盛り上げてくださり、初めてファンの皆さんに直接感謝をお伝えできたことがとてもうれしかったことを今も覚えています。

劇場版アニメ『千年女優』の藤原千代子は深く印象に残っています。主人公の大女優・藤原千代子の役を、70代を荘司美代子さんが、20~40代を小山茉美さん、少女時代を私、の3人の声優で演じたんです。この作品は、公開されるまでにいろんな海外の映画祭に出されて、その後で日本に戻ってきて公開という形だったので、アフレコしてから随分時間がたってからの公開だったんです。時がたっても色あせない素晴らしい作品です。

アフレコした時期は、声優のお仕事を始めて1年もたっていない頃で、本当に大抜擢でした。周りも大御所の方ばかりで、文字通り必死で演じました。千代子という役も少女時代は特に、ひたむきに駆け抜けるようなキャラクターなので、演じる自分と役がシンクロしていました。振り返ると必死に走っていたあの頃の自分も愛おしいというか……。それと、少女の千代子は映画のシーンが多かったのですが、映画に出演してみたい夢をもっていたかつての自分が(役の上で)いろんな映画で演じていて。とても個人的なことですが「夢が叶った」という喜びもありました。

「だから私はプリキュアになったんだ」と強い使命感を感じた

もう一つ、印象に残っている作品を挙げるとすると『スイートプリキュア♪』ですね。『プリキュア』シリーズは、初代の頃から何度となくオーディションに呼んでいただいたのですが、どんどん年齢とキャリアを重ねてきて「もう難しいのかもしれない」と心の中では希望と諦めが混ざり合っていました。ですが、そんな壁を打ち砕き、シリーズ8作目にして南野奏役をいただいたときの喜びは大きかったです。

『スイートプリキュア』は震災の起こった年の番組で、作り手側の、より強い前向きなメッセージが込められていました。アフレコやたくさんのおもちゃ用の音声の録音などに加えて、被災地の方々に向けてのメッセージを送ったりする機会もいただきました。私は作品に関わるときはいつも「この作品を通じて少しでも皆さんに元気を届けられたら」という気持ちをもっていますが、『スイートプリキュア』の始まりは「みんながピンチのときだからこそ、私はプリキュアになったんだ」という重責と強い使命感を感じていました。

声優のお仕事を始めて、いろんな作品に出させていただきました。華々しく声優デビューしたから安泰なんてことはなく、いい時期もあれば、なかなか新しい役をつかめない時期などの波はやってきます。オーディションに受からなくて「ああ、この役演じたかったな」と人知れず落ち込むこともたくさんありました。ご縁がなかったことに、「今の私には何が足りなかったんだろう?」と、自分なりに考えています。選考後に「最後の2人まで残っていたんですけど」と言っていただくことがたくさんあるので、その言葉を信じ「次は選ばれるように」と気持ちを切り替えたり。役者道は日々心と向き合い、強く信じて進んで行くことの繰り返しですね。

「自分はこれを大事にしている」
という信念をもっている人が続いていく

最初は何もわからずただ純粋に「セリフがしゃべりたい」という気持ちから始まったので、この世界で長く続ける秘訣があるなら「こっちが聞きたい!」と思います(笑)。そもそも私が声優という仕事をするようになった経緯も、特殊だと思うんです。いろいろなご縁が私を運んでくれて、ここまで来られたと感謝しています。

ご縁に恵まれたときに、自分がそのご縁にすべて応えられてきたかどうかはわかりませんが、常にそのときの自分の精いっぱいを出してやってきました。そのおかげで、一緒にお仕事をした監督やスタッフの方から今でも「また一緒に仕事したいので頑張ります」なんて言っていただけたり、過去の作品を観て「一緒にお仕事したかったんです」と言ってくださる若いスタッフの方に出会えたり、そうやって私の演技を信頼してくださる方々がいてくれて、今の私があると思っています。

私が声優デビューした頃と比べると、今ははやりの移り変わりのスピードが速いし、芝居以外の部分で声優に求められることがすごく多くなっていると感じます。もし私が今の時代に20代でデビューすることになったら、埋もれてしまうかもしれないくらい、後輩の子たちは本当に器用ですごいと思います。そんななかで続く人というのは「これが大事」というものをしっかりもっている人なのではないかと私は思います。上の世代の方とご一緒しても同じく感じるのは、大事にしている信念のある方は確固たる個性をもっているということ。どんなことでも、信念をもっている人は輝き、道を切り拓くのではないでしょうかね。

私は「役者として表現すること」がいちばん大事です。20代の頃、アイドルやタレント的なことを求められた時期もありましたが、周りのスタッフには「そういう活動をするより、その時間で1本でも多く演じてたいです」としつこいほど訴えていました。逆にタレント的な活動をしていたらもっと知名度が上がっていたかもしれないけど(笑)、不器用ですが、それが私の生き方なんです。

たとえば若手声優でタレント的な活動もしているなか、「合間にアフレコやります」というスタンスをとる人を怒る方もいらっしゃるようですけど、その本人が「いちばんやりたいこと」をきっちり貫くのであれば、「今の時代、いろんな声優がいていいのでは」と私は思っています。とはいえ、アフレコの仕事をそれなりな感じで無難にやっていたら、それは作品に失礼。寝ないで絵を描いたり、その作品を必死で作っている人たちがたくさんいるわけですから、それを踏まえたうえで声優のあり方というのを意識してほしいですね。

「折笠にやらせてみよう」と託していただくことが
新たなチャレンジにつながっている

新人の頃、ポケモンのスタジオで初めて大谷育江さんの〝ピカチュウ〟の演技を間近で観たとき、その表現力の数々にとても感動したんです。鳴き声だけで怒ったり喜んだりしていることがきちんと伝わるのはすごいなって。それで「いつかあんな役をやってみたい」と言っていたら、WEB作品の『ポケモンジェネレーションズ』でピカチュウの役をやらせていただくことになりました。大谷さんのピカチュウとはまったく違うピカチュウを求められ……「私が別のピカチュウの表現を作るんですか!?」とプレッシャーで胃がキリキリ、前日は眠れませんでした(笑)。関係者の皆さんからは好評価をいただきましたが、自分ではまだまだ反省ばかりです。

歴史があるタイトルに呼んでいただくと、プレッシャーが大きいですね。ですが「折笠にやらせてみよう」と信頼して託していただくことが新しいチャレンジになって、結果的に引き出しが増えて、いろんな役をやらせてもらえている今につながっている気がします。

今は「こんな役がやりたい」というよりも、託された役に対してどれだけ高いクオリティで応えられるか、が私のテーマです。「予想以上!」と言われるくらいのレベルに上がっていきたい。それは役者にとっては永遠のテーマで、デビューのときからずっと変わらない課題ですが、そこに「量より質」という思いがさらに強くなっています。

先輩方を見ていると、頭で作りあげる技術以上の役作りを感じます。スタジオでどうこうするというよりも、歳を重ね、人としての年輪というか、その方の生き方が役の声に乗っているような気がするんです。ですから日々の生活の中で自身の心を育むことも、とても大事なのではないかと思います。私が憧れている先輩は、『ヴァンドレッド』や『明日のナージャ』などでもご一緒した京田尚子さん。圧倒的なエネルギーをもって、プロフェッショナルなお仕事をされていて、女性らしくてかわいらしくて。本当に魅力的な方です。あの年齢になってもお仕事を続けていらっしゃるということにも憧れます。

声優に限らず、社会に出て仕事をするうえで重要なのは、「自分がその場所で、どうあるか」ということなのかなと思います。その場その場で自分が今、全力でできることをやって、「魂を燃やす」というか。そういう生き方を本気でしていれば、いつかちゃんと花は咲くのではないかなと。私はそう信じています。

(2017年インタビュー)