【声優道】銀河万丈さん

声優総合情報誌『声優グランプリ』25周年を記念し発売された、『声優道 名優50人が伝えたい仕事の心得と生きるヒント』が3月9日から公式サイト「seigura.com」にて期間限定で無料公開中!
臨時休校などで自宅で過ごす学生の方々へ向けて3月9日~4月5日までの期間で随時配信予定となっている。

アニメや吹き替えといった枠にとどまらず、アーティスト活動やテレビ出演など活躍の場を広げ、今や人気の職業となっている「声優」。そんな声優文化・アニメ文化の礎を築き、次世代の声優たちを導いてきたレジェンド声優たちの貴重なアフレコ秘話、共演者とのエピソードなど、ここでしか聞けない貴重なお話が満載。

それぞれが“声優”という仕事を始めたキッカケとは……。

声優ファン・声優志望者だけでなく、社会に出る前の若者、また社会人として日々奮闘するすべての人へのメッセージとなるインタビューは必見です。

若人よ、もっとわがままになれ

▼28歳でデビュー スタートはかなり遅かった
▼周りが厳しかった新人時代 「君にはギャラを払いたくない」と言われた
▼いい緊張感とエネルギーに満ちた『ガンダム』の収録現場
▼ゲームの録音は、かなりハードなお仕事!?
▼強い個性を持つクセのある役者にもっと出てきてほしい
▼大事なのは思い立ったときに行動すること

【プロフィール】
銀河万丈(ぎんがばんじょう)
11月12日生まれ。青二プロダクション所属。主な出演作は、アニメ『機動戦士ガンダム』(ギレン・ザビ)、『装甲騎兵ボトムズ』(ジャン・ポール・ロッチナ)、『タッチ』(原田正平)、『北斗の拳』(サウザー)、『交響詩篇エウレカセブン』(グレッグ・イーガン)、ナレーション『開運!! なんでも鑑定団』ほか多数。

28歳でデビュー
スタートはかなり遅かった

僕は大学時代に放送研究会に入っていたんですが、そこでラジオドラマ作りに夢中になっていた時期がありました。当時はもうテレビの時代になっていましたけど、それでもまだ輝かしいラジオの時代の残照みたいなものがあったような気がします。渋谷ジァン・ジァンという、コーヒーを飲みながらラジオドラマを聴くことができる小劇場もありました。

そんなラジオドラマに関われたらいいなとは思っていたけど、ラジオドラマなんて職業として成立するものでもないし、そもそもラジオドラマを作れる場所なんてわからない。とにかくそれに近いことをやっていたのは、劇団くらいしかなかったわけです。

出発点として、まずテアトルエコーの養成所に入りました。もともと「役者になろう」とは思っていなかったけど、始めてみると舞台は舞台で奥深いものがあり、やっていくうちに「面白いな」と思うようになりました。でも結局、テアトルエコーの養成所を辞めちゃいまして。仲間と「劇団作ろうぜ」と劇団を作っては潰して……ということを繰り返しながら、はっきりしない生き方をしていました。ひどく生意気な状態でしたね。

ちょうど養成所を辞めたとき、テアトルエコーの座付き作家(※1)だった井上ひさしさんが脚本を書かれた舞台『天保十二年のシェイクスピア』に出演させていただいて、いろんな舞台の方たちとご一緒できました。そこから小さな舞台をやるようになって……そうやって何となくずるずると過ごしていましたが、どこかに所属しているわけでもないし、胸を張って「俳優です」と言えるほどでもない。まぁ、はっきりしないような状態でしたね。

そうこうするうちに「やっぱり音の仕事がやりたい」という気持ちがはっきりしてきたんでしょうね。その分野の仕事をするために、青二プロダクションに自分の声のサンプルテープを持ち込みました。それが声の仕事をするきっかけになりました。

当時はまだ〝声優〟という職業が確立していなくて、声の仕事は劇団経験者や俳優さんがやられることが多かったと思います。当然、声優の養成所などはなかった。僕は大学を出てから養成所に行って、さらにフラフラして青二プロにたどり着いたわけですが、そこから声の仕事でデビューできたのは28歳の頃。スタートとしてはかなり遅いほうだったと思います。

周りが厳しかった新人時代
「君にはギャラを払いたくない」と言われた

青二プロに入ってから、何度か舞台の仕事もありました。でもやっぱり舞台と声の仕事ではサイクルが全然違っていたので、だんだん声の仕事のサイクルのほうに落ち着いていきました。当時の青二プロで言うと、井上和彦くん、水島裕くん、三ツ矢雄二くんらが同期になります。それぞれ年の差はありますけど。

仕事としては、アニメがいちばん最初だったと思います。その頃、アニメーションに声をあてたことなんてなくて、今のようにテレビもビデオも台本もなかったですから。事前に稽古をすることもなくて、いきなり現場に行くんですね。アニメーションのフィルムの見方を覚えるのにも、ちょっと時間がかかりました。今みたいにタイムコードが出ているわけでもなく、線画も多かったですから。

同じ頃に、洋画もやっていたかな。洋画はアニメーションと少し入り方が違うんですが、セリフをしゃべろうとして「あああ……」と思っているうちに絵が過ぎちゃうことがあって、「参ったなぁ」っていうのが最初でした。まぁ慣れですから、場慣れするしかなかったんですけれども。最初の頃は「何でできないんだろう?」と、ちょっと屈辱的に思っていましたね。経験不足で自分ができないことに対する悔しさ、歯がゆさは随分ありました。同期でデビューした仲間たちも、年齢的には僕より若かったので、「こら、いかんな」という気持ちもありました。

新人の頃は、かなり厳しいことも言われましたよ。ちゃんとセリフを受けられなくて、(相手役の先輩から)台本を投げられたことも(笑)。始めて間もない頃は、富田耕生さんという厳しい先輩がいらして、いろいろなことを教えていただきました。現場には怖い先輩も、教えてくださる先輩もいらっしゃいましたが、同じ仕事をする仲間として「ここはああ、そこはこう」と言っていただけることは、とってもありがたいことだったと思います。時代的には今のほうがちょっとクールなのかもしれませんね。

どこの世界でもそうですが、周りの方々に認めていただくまでには、それなりの時間はかかるものです。あるときプロデューサーの方から「将来何になりたいのか知らないけど、君にはギャラを払いたくない」なんて言われて、僕は「認めていただくまでは、絶対に辞めるわけにはいかない」という気持ちになりました。発奮材料ですよね。そのときの状態が自分の実力とは思っていませんでしたから。根拠のない自信というか、うぬぼれていたんでしょうけれども、「いやいや、こんなはずじゃない。絶対大丈夫!!」と自分には言い聞かせていましたね。