【声優道】増岡 弘さん

偉大な先輩方に支えられつつTVアニメや外画の吹き替えを経験

よく「いつ頃から声優の仕事をするようになったんですか?」という質問をされるんですけど、そう聞かれると「うーん……?」と頭をひねっちゃう。いつだったか、ほとんどわからないんですよ。もっとも当時は〝声優〟って言い方はしていなかった。あれは、後からマスコミが作った言葉なんじゃないかな? 今でも「声の仕事は、あくまで俳優の仕事の中の一つ」だと思っています。

とはいえ、TVアニメに出演したのは、『狼少年ケン』が最初でした。同じ頃に、洋画や海外ドラマの吹き替えの現場にも呼ばれました。「最近アテレコって仕事があるんだよ。レシーバーから(オリジナルの)俳優の声が聞こえてくるから、そのタイミングでセリフをしゃべればいいんだ」なんて言われて現場に行ったんだけど、セリフを聞くほうとしゃべるほうと、どっちに集中していいのかわからなくなってね(苦笑)。しかも昔はフィルムを使っていて、一つのロールが20~30分あるので、1回トチっちゃうと最初から全部やり直しになるんです。これはプレッシャーでしたね……。生放送を経験していらっしゃる先輩方は、天才的にうまくてね。のらりくらりとかわして、まずトチらない。こっちは緊張してすぐトチっちゃうんです。「拳銃を捨てて出てこい!!」ってセリフを、「拳銃をステテコ出てこい!!」って言っちゃったりして。するとディレクターがこう返すんです。「増岡ちゃん、外国の映画にステテコは出てこないよ」って(笑)。

まだ駆け出しの役者だった頃、TVドラマ『七人の孫』にセミレギュラーで出演することになり、日本を代表する名優・森繁久弥先生とご一緒しました。といっても、こっちは端役の若手で、あちらは大スター。天と地ほどの差がありましたが(苦笑)。でもTBSのスタジオで待ち時間があると、先生は僕らにいろんなお話をしてくださいました。

ある日のこと、先生は「君たち、出演料をもらったら、貯めといて自分のお墓を買いなさいよ」とおっしゃいました。「お墓ですか? でも、まだ若いですから」と言うと、「若いから言ってるんだよ。お墓を先に買っておいて『自分はいずれここに入る。それまでの人生、思い切り生きよう!』と考えると、腹が据わっていい芝居ができるんだ」と言われました。先生は、その場の芝居がどうのこうの、ではなく「どういう気持ちでこの人生を生きていくのか」という大きなお話をしてくださったのです。このときのお話は今も忘れていません。

プレッシャーの大きかった昔のアテレコ
セリフをトチって先輩からどなられることも

こうした偉大な先輩方に支えられて、僕はTVドラマやアニメ、洋画の吹き替えなどの仕事をやらせていただいていました。当時声の仕事をしていた先輩方には、ユニークな方がたくさんいらっしゃいました。八奈見乗児さん、たてかべ和也さん、肝付兼太さん、滝口順平さん、熊倉一也さん……皆さん、面白い方で「仕事を楽しむ」という雰囲気が好きでした。
なかには「酔っぱらわないと仕事ができない」なんて方もいました。スタジオにコンロを持ってきて、スルメを焼くんですよ(笑)。そしてポケットから瓶入りの焼酎を出して、飲みながらアテレコするという……そういう強者もいましたね。アテレコってすごく緊張するから、自分をリラックス、解放させるための儀式だったのでしょうか。

昔のアテレコは、本番前日に1回しか試写を観られなくて、1回テストしてすぐ本番でした。一つセリフをトチると20~30分のロールを巻き戻して最初からやり直しですから、大変なプレッシャーでした。セリフをトチると、怖~い先輩からよく怒られました。「おい増岡、いいかげんにしろよ!! 俺は次の仕事があるんだ。もう1回トチったらどうするんだよ」なんてどなられて、「すみません、すみません」って。もう、怖かったですよ~。台本に指の跡がびっしりとつくくらい汗をかきました。

今のアテレコは事前にビデオをもらえるし、秒数も出ています。そしてデジタルだから、トチってもすぐにやり直すことができます。みんな軽い感じで「すいませ~ん。もう1回やらせてもらっていいですか?」なんて言ってますからね。僕らの若い頃はこんなに解放された気分でアテレコをやったことがなかったから、「今の人たちは天国だなぁ」って思います(笑)。