【声優道】折笠富美子さん

声優総合情報誌『声優グランプリ』25周年を記念し発売された、『声優道 名優50人が伝えたい仕事の心得と生きるヒント』が3月9日から公式サイト「seigura.com」にて期間限定で無料公開中!

アニメや吹き替えといった枠にとどまらず、アーティスト活動やテレビ出演など活躍の場を広げ、今や人気の職業となっている「声優」。そんな声優文化・アニメ文化の礎を築き、次世代の声優たちを導いてきたレジェンド声優たちの貴重なアフレコ秘話、共演者とのエピソードなど、ここでしか聞けない貴重なお話が満載。

それぞれが“声優”という仕事を始めたキッカケとは……。

声優ファン・声優志望者だけでなく、社会に出る前の若者、また社会人として日々奮闘するすべての人へのメッセージとなるインタビューは必見です。

魂を燃やして

▼学校指定のジャージで臨んだSETの劇団オーディション
▼「セリフをもっとしゃべりたい!」強い思いが届いて声優の道へ
▼初めてのアニメ演技は〝アウェー感〟が強かった
▼『千年女優』の藤原千代子役で〝スクリーンデビュー〟の夢が実現
▼「だから私はプリキュアになったんだ」と強い使命感を感じた
▼「自分はこれを大事にしている」という信念をもっている人が続いていく
▼「折笠にやらせてみよう」と託していただくことが新たなチャレンジにつながっている

【プロフィール】
折笠富美子(おりかさふみこ)
12月27日生まれ。アトミックモンキー所属。主な出演作は、TV『コップクラフト』セシル・エップス、『ランウェイで笑って』成岡雫、『リトルウィッチアカデミア』ロッテ・ヤンソン、『あたしンち』みかん、『BLEACH』朽木ルキア、スイートプリキュア♪』南野奏(キュアリズム)、webアニメ『モノのかみさま ここたま』ミシル、映画『チェブラーシカ 動物園に行く』チェブラーシカほか多数。

学校指定のジャージで臨んだSETの劇団オーディション

私が役者の世界に入ったきっかけは、高校2年生の終わり、劇団スーパー・エキセントリック・シアター(SET)の劇団員募集を見つけてオーディションを受けたことでした。

研究生オーディションでは、私が最年少で周りは大人の方ばかりでした。「体を動かせる服装で来てください」と言われて、レオタードのお姉さんたちがいるなか、私は学校指定のジャージ、みたいな状況(笑)。特技披露でも切り札がなくて、「とりあえず歌います」と学園祭でソロを披露したことのあった『星に願いを』を英語で歌いました。

何次オーディションまであったか忘れましたが、毎回オーディションから帰宅するたびに、母から「ここまで来られたのだから、いいんじゃない」なんて慰められていました。応援するというよりは、私には無理だろうと思っていたみたいです。「こんなトロい子ができるわけない」と。ですが、関門を抜けて、研究生になることができました。

いざレッスンに行ってみたら「こんなに体育会系なの?」と驚きました。〝ただの高校生〟の私は、体力にも自信がなくて、周囲からも「自転車乗れるの?」と言われてしまうくらい何もない、ゼロからのスタートでした。SET研究生時代はジャズダンス、バレエ、タップダンス、歌唱、演技のそれぞれの基礎、それとバク転などアクロバットと殺陣のレッスンなどを毎日こなす日々。拳立て伏せもしていました。痛かったです。女子なので「ここまででいいです」と多少は手加減してもらえましたが……。そのお陰で精神と身体能力が鍛えられて、体育の成績が8から10に上がりました(笑)。

昼間は学校に行って、夕方からSETのレッスンを受けて……という毎日を1年間続けました。両立は大変でしたが、一緒に学ぶ仲間たちにも恵まれました。演技経験のある人もない人もいっぱいいて刺激をたくさん受けましたね。そのなかで私は最年少、日々いろいろ吸収できる環境でチビッ子扱いされながらも、大人に混じって目標に向かって頑張ることがすごく楽しくて充実していました。

「セリフをもっとしゃべりたい!」
強い思いが届いて声優の道へ

SETの研究生の後半は、卒業公演の稽古をやっていました。公演を1本うって、そこで審査されて、劇団員に昇格できるかが決まるのです。その公演で私とダブルキャストだった女優さんが、劇団ヘロヘロQカムパニー(以下、ヘロQ)の旗揚げメンバーだったご縁で、ヘロQの座長の関智一さん、長沢美樹さんと知り合いました。後に、関さんから今の事務所の社長(当時はマネージャー)を紹介されて声のお仕事を始めることになるので、まさに人とのご縁で声優の道へと運ばれた感じでした。

劇団を辞めてフリーで小劇場や映像の仕事をしていた時期もありました。舞台は知り合いのツテでいい役もいただいていましたが、映像は仕事自体も少なくて、やっと仕事をもらっても「女A」というセリフ一言の端役やエキストラだったり。ですから、「セリフをもっとしゃべりたい!」という思いが強かったんですよ。声優の仕事にたどり着いたときはそのまっすぐな強い願いが届いた感じでした。

声の仕事は、最初に少しゲームに出演させていただきました。そのときはまだ「声優になる」という気持ちが固まっていなかったんですけど、そのすぐあとマネージャーから「とりあえず挑戦してみよう」と言われて、お話をいただいたのがデビュー作の『GTO』のオーディションでした。そこでヒロイン役に選んでいただいたのですが、当時は現場のことを何も知らなくて、アフレコ用に書かれた台本すら初めて見るような状況でした。

声優業を始めてから少しずつでも順調にいい仕事をいただいていたので、周りの人たちからは順風満帆に見られがちでしたが、声のほうでチャンスをいただく以前は、劇団員に昇格してすぐに役をいただけるわけもなかったですし、舞台や映像の仕事場で、その他大勢の役で雑に扱われるような、つらく苦しい経験もしました。「全然仕事がない、この先どうしよう?」とただ待つ日々に不安になった時期もありました。アルバイトもたくさんしましたし、劇団を辞めた後もどのように仕事をつかめばよいか不安でしたね。

その頃は「この余裕ある時間は勉強の時間」と考えていました。といっても、舞台を観に行くお金もなかったので、テレビを観ていました。当時は映像演技にも興味があったので、その時流行していたドラマや人気女優さんのお芝居を録画して、何度も巻き戻したりしながらひたすら研究していました。

「もうダメだな」みたいなことはまったく思わなかったんです。ダメも何も、まだ芽も出ていないわけですから、そういう発想にはならなかったんですね。逆に何かを持っていたら、「それを失くしたらどうしよう」「それが育たなかったらどうしよう」と思っていたかもしれません。とにかく演じたい気持ちだけがひたむきに強くあったので、ある意味、怖いもの知らずだったと思います。