キャラクターの裏に隠された声優たちの素顔に迫る、インタビュー企画『声優図鑑 by声優グランプリ』。
今回は『アイカツスターズ!』で声優デビューを果たし、『はるかなレシーブ』『ウマ娘 プリティーダービー』など数々の話題作に出演。さらに、2025年の6月に公開され話題となった映画『ヴァージン・パンク Clockwork Girl』では主人公・神氷羽舞役を務めた宮下早紀さんが登場!
声優を志したきっかけや幼少期のエピソード、現場で培った演技への向き合い方、そして「尊敬される役者になりたい」と語る未来予想図まで、たっぷりとお話をうかがいました。
![]() 宮下早紀 みやしたさき●12月4日生まれ。俳協所属。主な出演作は、アニメ『神之塔 -Tower of God-』(マナ)、『探偵はもう、死んでいる。』(シエスタ)、『はるかなレシーブ』(比嘉かなた)、ゲーム『ヘブンバーンズレッド』(蒼井えりか)、『ウマ娘 プリティーダービー』(スティルインラブ)ほか。 公式HP:https://haikyo.co.jp/profile/profile.php?ActorID=13083 ★宮下さんの手書きプロフィール&コメント動画は2ページ目に!  | 
事務所のオーディションが転機でした
――声優を志す前の幼少期はどのような性格だったのでしょうか?
実は、生まれた時は28週の早産で、未熟児として生まれたんです。心臓に穴があいていて自発呼吸もできず、幼少期は体力がなくて。幼稚園のお散歩では、いつも列から遅れて先生と二人で歩いていました。さらに恥ずかしがり屋で引っ込み思案な性格だったので、自信のない子供でしたね。でも、小学生の時にアニメに出会って。ヒロインの女の子がとても明るかったり、非日常のような世界が広がったりしていてすごく憧れました。そこから少しずつ前向きになって、給食委員長をやってみたり、運動場でみんなと遊んだり、放課後に公園で鬼ごっこをするようになりました。幼少期と比べると、だいぶ明るくなったと思います。
――プロフィールには「散歩」が趣味と書かれていました。
はい。長距離を歩くのが好きなんです。スマホの万歩計で1万歩を超えると「今日はすごく運動した!」という達成感があって。高校の持久走も、足は速くはなかったのですが自分との戦いだと思って、絶対に歩かずに走り切っていました。追い込まれて最後までやりきったときの達成感が気持ちよくて。短距離のような瞬発力は苦手なんですけど、持久力を試されるようなことは好きですね。
――今でも走ったりするんですか?
ときどき、夜中に走ります。もし声優の仕事をしていなかったら、きっと自発的に走ることもなかったと思います。今はコンテンツのお仕事でダンスを踊ることもあるので、この仕事のおかげで新しい経験ができているなと感じています。
――声優を志すまでには、どのような経緯があったのでしょうか?
小学生の頃からアニメが好きなお姉ちゃんの影響をすごく受けていました。ある時、お姉ちゃんが誕生日プレゼントに買ってもらったアニメイベントのDVDを一緒に観たんです。ステージ上で声優さんがアフレコを再現していたり、キャラクターソングを歌ったり、楽しそうにトークをしていたり……。その姿を見て「元気をもらえる!」と憧れを抱いたのが最初のきっかけでした。
――ご家族の影響も大きかったんですね。
そうですね。お姉ちゃんと一緒にDVDレンタルショップへ行って、ジャケットのイラストだけで作品を選んで観たりしていました。そこから自然とアニメに興味を持つようになりましたね。
――当時から「声優になりたい」と思っていたんですか?
最初はただの憧れでした。小学校高学年の頃から声優という職業を意識しはじめて、中学でもなりたい職業として声優と書くようになって。漠然と夢見ていただけなんですけど、本格的になりたいと強く思うようになったのは高校生の頃ですね。高校生の時にはネットで調べて早口言葉や外郎売(ういろううり)を練習したり、録音機を買って自分の声を録音してチェックしたり、自分なりにトレーニングをしていました。筋トレもして、声優に必要そうなことをとにかく試していたのを覚えています。
――情報収集も積極的に?
はい。中学や高校の頃から『声優グランプリ』を読んでいました。オーディション情報が載っていたり、付録の「声優名鑑」がとにかくうれしかったんです(笑)。
――大事にしていた名鑑にまつわる思い出も?
あります(笑)。ある時、お姉ちゃんが私の大事にしていた声優名鑑をマグカップの下敷きにしてしまって……。どかしたら表紙に丸い跡が残っていて、ちょっとケンカになりました。そんな思い出があるくらい、本当に宝物でしたね。
――実際に進路を決めた時はどんなやりとりがあったのでしょうか?
ある時「どうしても上京したい」と伝えたんです。その条件として、「養成所には通わせられないけれど、もし事務所に所属できるならいい」ということになって。それで受けたのが以前所属していた事務所、シグマ・セブンのオーディションでした。ありがたいことにグランプリを頂けて、それで上京が決まり、両親も納得してくれて。ほかにもいろいろオーディションを受けてはいましたが、この経験が大きな転機になりましたね。











