キャラクターの裏に隠された声優たちの素顔に迫る、インタビュー企画『声優図鑑 by 声優グランプリ』。
今回登場していただいたのは、『ようこそ実力至上主義の教室へ 4th Season』の天沢一夏役、『ウマ娘 シンデレラグレイ』のベルノライト役などで活躍中の瀬戸桃子さんです。幼少期から気が強かったという瀬戸さんですが、あることをきっかけに性格が一変。作品や先輩声優との出会いで明るい性格を取り戻したお話など、たっぷり語っていただきました。
![]() 瀬戸桃子 せとももこ●8月17日生まれ。トイズファクトリー所属。主な出演作は、アニメ『真夜中ハートチューン』(井ノ華六花)、『うるわしの宵の月』(日比谷寿)、『ようこそ実力至上主義の教室へ 4th Season』(天沢一夏)、『ウマ娘 シンデレラグレイ』 (ベルノライト)ほか。 公式HP:https://www.toysfactory.co.jp/artist/momokoseto ★瀬戸さんの手書きプロフィール&コメント動画は2ページ目に! |
部活の先輩に影響されて本格的に声優を目指しました
──幼少期はどんな子供でしたか?
とても目立ちたがり屋で、「誰かを笑わせたい」「笑顔にしたい」という一心で生きていましたね。『クレヨンしんちゃん』を観て、同じことをしたら笑ってもらえるかも、と思ってマネしてみたりして。みんなが笑ってくれると、うれしくてウルウルしちゃうくらいでした。人前に立つのが好きだったので、学級委員長や部長を務めることも多かったですね。気が強くツンツンしている時期もあったのですが、意外ととても繊細でして。強気に振る舞うことで自分を守っていた部分もあったと思います。どうしたら人の心に残れるだろう、といつも考えていて、その延長でお笑い芸人に憧れた時期もありました。
──声優という職業を認識したのはいつ頃ですか?
中学1年生の頃だと思います。アニメや漫画は幼少期から大好きだったのですが、中学3年生になってもサンタクロースを信じていたほど、かなり夢見がちな子供で(笑)。小学6年生の頃までは、アニメのキャラクターも本当に存在しているものだと思っていたんです。そこから少しずつ、「あ、声を演じている人がいるんだ」「声優という仕事があるんだ」と気づくようになって、純粋にすごいなと感じるようになりました。
──当時はどんな作品をご覧になっていたんですか?
『ムーミン』は今でも好きで、昨年21歳の誕生日には埼玉にある「ムーミンバレーパーク」へ行きました。『プリキュア』や『プリティーリズム』『アイカツ!』などといった作品も大好きで、当時はグッズを集めていたのを覚えています。中学生になると『DEATH NOTE』や『HUNTER×HUNTER』など、同世代の間で話題になっていた作品を一気に観るようになりました。また、仲の良かった友人が『のんのんびより』や『繰繰れ!コックリさん』といった深夜アニメが好きだったこともあり、次第に幅広いジャンルのアニメに触れるようになっていきました。その頃から、作品だけでなく声優さん自身や演技にも自然と興味を持つようになった気がします。
──声優を目指そうと思ったのはいつ頃だったのでしょうか?
中学3年生の三者面談では、「ラジオDJになりたい」と話したことを覚えています。当時から声優という仕事にも興味はあったのですが、家族があまりアニメを観る環境ではなかったこともあって、少し言い出しづらかったのかもしれません。ただ、声を使った仕事がしたいという思いは、ずっと心の中にありました。本格的に声優を目指しはじめたのは高校3年生の頃です。高校では軽音部に所属していて、音楽に触れながら、自分が「好きなものに対してはとことん向き合えるタイプなんだ」とあらためて感じるようになりました。大学や専門学校に進む道も一瞬考えましたが、自分の性格を考えたときに、好きなことを伸ばせる仕事に就けたら本望だなと思うようになって。ちょうどその頃、一つ上の先輩が声優のスクールに通いデビューをしたと知ったことも、大きな後押しになりました。「自分もここまで本気で向き合ってみたい」という気持ちが強くなり、同じスクールに通うことを決めました。
──スクールに通っていた時のことは覚えていますか?
高校に通いながらだったので大変ではありましたが、とても楽しかったです。通いはじめて「好きなことを学ぶのはこんなにも楽しいんだ」と実感しましたし、「ここが自分の居場所かもしれない」と感じられたことは大きかったですね。一方で、親はすごく厳しくて、「1年で事務所に入れなかったら辞めなさい」と言われていました。だからこそ、家でもきちんと努力している姿を見せるようにしていましたし、父からは「なぜ声優になりたいのか」「どんな目的でスクールに通っているのか」と、面接のように問いかけられることも多かったです。今振り返ると、そうした時間があったからこそ、今の自分があるのだと思います。今でも実家に帰ると「調子に乗っていないか」「ちゃんと逆算して努力するんだぞ」と、毎回のように言われます。家族は、常に自分を引き締めてくれる存在なのかもしれません。実家は埼玉なので、帰ろうと思えばササっと帰れる距離ではあるのですが、「仕事はあるのか」「簡単に帰ってくるな」と言われてしまって、なかなか帰れないんです(笑)。
──そのスクールの在校生を対象に『ライアー・ライアー』のオーディションが行われたことが、デビューのきっかけになったんですよね?
スクールに入ってから4カ月ほどでオーディションを受けたのですけど、不思議と自信がありました。もちろん緊張はしていたのですが、それ以上に「自分の力を発揮できるチャンスだ」という気持ちのほうが大きかったです。これまで積み重ねてきた努力があったからこそ、緊張よりも楽しさが勝っていたのだと思いますし、その経験を通して、あらためて努力の大切さを実感しました。自分にとって、初めてのオーディションだったのですが、なぜか「もう何度も経験しているような感覚」がありました。
──合格を聞いた時のことは覚えていますか?
東京から埼玉へ戻る途中で「結果が出ましたよ」と連絡を頂いたんです。あまりにも早かったので、「これは落ちたかな……」と思っていて。電車を降りてからあらためて結果を聞いたら「合格です」と言われました。当時は、自分のやってきたことを認めてもらえたようで、とてもうれしかったですね。ですが、そこがようやくスタートラインに立てた瞬間というか、初めて靴を履けたような感覚でした。
──そこから初めてアフレコに参加されますが、いかがでしたか?
服の上からでも心臓の動きがわかるほど緊張していました。失敗もありましたし、先輩方のお芝居を目の当たりにして、「自分はまだ靴すら履けていなかったんだな」と痛感しました。当時は、今の自分に何が足りないのか、何にぶつかっているのかもわからなくて、「どうしてできないんだろう」と何度も自問自答していました。悔し泣きをしたのはあの時が初めてで、家に帰って思わず泣いてしまいました。涙がすーっと流れてくる、いわゆる男泣きみたいな感じで(笑)。また、お仕事を本格的に始めたことで、自分との向き合い方や性格が大きく変わった気がします。当たり前のことなのですが、現場に立つようになって、「声優として作品に参加する」ということは、同時に社会人として、責任を背負うことでもあるのだと実感しました。その頃から自分の立ち位置や振る舞いを意識するようになり、性格も少しずつ変わっていったのだと思います。
──それでも、続けたいという思いが強かったんですね。
そうですね。オーディションで選ばれなかったら自分の責任みたいなところが性にも合っていて、悔しさはありましたけど、辞めたいなと思うことはいっさいなかったです。「やってやんよ!てやんでえ!」と自分を鼓舞しながら頑張っていましたけど、やっぱり1~2年目はすごく苦しかったですね。
──その苦しさから抜けられたのはいつ頃だったのでしょうか?
デビューして半年くらいで『ウマ娘 シンデレラグレイ』のオーディションを受けて、ベルノライトという役を頂いたんですけど、そこから1年後に収録が始まって。私がデビューしたての時はコロナ禍というのもあって一人で録ることが多かったんですけど、『シングレ』は皆さんと録ることができて、その辺りから緊張に勝るお芝居の楽しさを知れたり、いい意味で肩の力を抜けるようになりました。それにスタッフの方たちがすごく温かくて、現場に行くたびに自信がついていたような感覚がありましたね。だから今も、一つひとつの現場に対してすごくありがたいなと感じています。















