【声優道】古川登志夫さん「名優が見せる”プラスアルファの演技”」

演じた役は自分でも把握しきれないほど作品に出会うごとに演技の幅が広がった

今までさまざまな役を演じてきましたが、印象に残っているキャラクターといわれると、やはり初めて主演した『マグネロボ ガ・キーン』の北条猛役ですね。アニメが初めてというだけでなく、二枚目の美少年を演じるのも初めてだったので忘れられません。『うる星やつら』の諸星あたる役は、三枚目路線を演じる転機になった役ですから、やはり印象に残っています。『ドラゴンボール』のピッコロをはじめ、いわゆる悪役も演じさせていただきました。それぞれの作品に出合うごとに自分の守備範囲が広がっていったというか、いずれも演技の幅を広げていくきっかけになった作品です。『世紀末救世主伝説 北斗の拳』のシンも悪役なんですが、もっと憎々しげに演じるのかと思ったら、ディレクターさんから「男の悲哀を出してほしい」と言われて、どこで悲哀を出したらいいのか随分考えましたね。ただ、要求されることが多いほうが、演じていて楽しいんです。

海外ドラマでは『白バイ野郎ジョン&パンチ』のパンチ役をやらせていただきましたが、これもほとんど経験がないまま、いきなり主人公役をいただいてしまった作品です。1時間作品で、しかも当日現場に行って台本を受け取るという形だったので大変でした。海外ドラマとアニメの現場で何がいちばん違うかというと、レシーバーがあるかないかですね。海外ドラマは向こうの役者さんが演じている声をレシーバーで聴きながら演じるので、画面を見てなくても耳できっかけがわかるんですよ。でもアニメは画面を見てないと、いつしゃべっていいのかのきっかけがわからない。絵と台本を同時に見てないと演じられないんです。そういう意味では、アニメのほうが一手間多いという感じがしますね。

実は、自分のホームページにプロフィールとして出演作品を並べてありますが、自分でもすべての役を覚えているわけではないんですよ。節目になった作品だったらだいたい覚えていますが、それでも「今ここで諸星あたるの声を出してください」と言われてもできません。僕が不器用だというのもあるんでしょうけれど、それでも絵を見せられると自然に声が出てくるんです。大先輩の永井一郎さんは「絵を見た途端、声優としての細胞が瞬時に変わるんだ」みたいな難しいことをおっしゃってましたが、たしかに言葉にするとそんな感じですね。でも、自分でもここまで声の仕事の割合が増えるなんて、想像してもいませんでした。「こういう仕事がしたい」とか「こんな役が演じたい」といったこともないまま、いただいた仕事を一つひとつ大切に演じてきただけなんですが、今でも自分の意識としては声優も役者の仕事の一部に過ぎないと思っているんです。

寝る間を惜しんでやりたいことをやった

あと、声の演技以外にラジオもやってましたし、劇団もやってましたし、声優仲間と「スラップスティック」という趣味のバンドを組んで活動したりもしてました。その当時は本当に忙しくて、「歩く睡眠不足」という異名がついたくらいです。本来あってはならないことなんですが、収録現場でうっかり居眠りをしてしまい、台本を取り落としたこともありました。とにかく当時はやりたいことをやり飛ばしていた感じですね。

「スラップスティック」は、最初は趣味の範囲で楽しんでいたんですが、ライブをやったら定員700人のヤクルトホールが満員になっちゃって、当日に会場の時間を延長してもらって急きょ2公演という形で行ったんですよ。そのうわさが広まったのか、レコードを出させてほしいという話が舞い込んだり、すごい作家さんが曲を書いてくれたりと、どんどん話が大きくなっていっちゃったんです。かまやつひろしさん、加瀬邦彦さん、宇崎竜童さん、大滝詠一さん、弾厚作こと加山雄三さん、所ジョージさんなど、誰でも知っているような人が曲を書いてくれるんだから、僕らもびっくりですよ。そういう作家さんとスタジオでお会いしたとき「練習不足だね」って言われたりもしたんですが、僕らはのん気なもので「趣味で始めたんだから、やりたくないことはやらない!」と、うそぶいたりしてました。プロデュースを買って出てくれた羽佐間道夫さんから「これだけのスタッフが本気で売ろうとしているのに、お前らは何をやっているんだ」と本気で怒られたこともありました。今でいう声優ユニットのハシリですが、メンバーが忙しいやつばっかりだったので、羽佐間さんが応援してくれなかったら10年も続いてなかったでしょうね。でも、いまだにはっきり解散したとは言ってないんです。メンバーが亡くなったときに追悼ライブみたいなことをやりましたが、今後活動することはあるのかな。「トークだけでも」って言ってくださる方もいらっしゃるんですが、バンドとしてはそれじゃ詐欺になっちゃいますからね(笑)。