【声優道】高橋広樹さん「大事なのはエンターテイナーでいること」

『美女と野獣』をきっかけに声の世界へ
デビュー作は『マクロス7』

その専門学校で2年間勉強しましたが、最初に通っていた養成所も継続して通っていました。貧乏ながらも月謝を払い、専門学校の卒業公演や中間発表のとき以外は、ずっと通い続けました。そしたら、その養成所の方から「アニメのオーディションに行ってみませんか?」と声がかかったんです。19歳の夏でした。

そのオーディションで、一緒に受けていた女性の方が『美女と野獣』のセリフをやることになったんです。そこでスタッフさんが「野獣役をやる人、いない?」と言ったので、とっさに「僕、やります」と手を挙げてやらせてもらいました。何しろ野獣の声ですからね、19歳の僕が出せるいちばん低〜い声でやったのを覚えています。

結局そのオーディションでは落ちてしまいましたが、別の役でそのアニメにレギュラー出演させていただくことになったんです。もう急展開ですよ!! 19歳の僕がもらった役が、34〜35歳でスキンヘッド、褐色の肌をもつ、筋骨隆々なパイロット部隊の隊長の役でした。その部下役で、当時絶好調の子安武人さんがいらっしゃって。「こんな貫禄のある役を、僕がやるの?」と驚きました。それがデビュー作の『マクロス7』でした。

その作品のディレクターさんは僕の恩師で、今でもお会いするとドキドキしてしまう方です。その方に直接お聞きしてはいないけど、僕がオーディションで〝野獣の声〟をやっていなければ、あの隊長の役を振ってくれなかったと思います。あのとき「僕、やります」と積極的に手を挙げてよかった。

『マクロス7』の現場ですが、最初の頃は何もできなかったですね。とにかく緊張していて……。オーディションのときの〝野獣〟の声がよかったんだろうなというのはわかっていたんですけど、緊張で声がうわずって低い声が出ない。絵の雰囲気と全然違う声になっちゃうし、ドキドキしているから早口になって口の動きとも合わないし。NGを食らって何度もやり直して、やればやるほどグズグズになっていくという悪循環でした。結局そのキャラクターは、頑張って低い声にしようとして、でもできなくて、ダミ声みたいな感じになっていました。舞台役者になろうと思っていたこともあって、養成所でアフレコのレッスンをまったくしてこなかったんです。当時は、養成所にもアフレコ設備が整っていなかったし。だから、ほぼぶっつけ本番みたいな状態でアフレコスタジオに行ってましたね。

「お前は芝居が下手だな」と言われることがありがたかった

その頃の現場では、とにかく言われていることがわからなかった。今、『声優グランプリ』の記事を読んでいる人たちは、業界用語や専門用語も知っていたりするけど、僕の行ってた養成所では「そんなことはいいから、心のほうが大事。技術や専門用語は二の次」という感じだったんですよ。それでNGを出し続けて10回、20回と同じセリフをやっていると、後ろから舌打ちが聞こえてきたり、台本がバサッと落ちたりするんです。誰かがわざと落とすんですよ、それも結構な大きい音で。これには無言のプレッシャーがありましたね(苦笑)。僕はただただ「すみません」としか言えなかったけど……。

その頃に「お前は芝居が下手だな」って言ってくれた先輩がいて、その方とは今でも仲良しですよ。「お前、本当に下手だな。辞めちまえ」って、ずっと言われてたんですよ。でも、そう言ってくれるのは、愛があるってこと。何も言われないのは、突き放されていることだと思うんです。その意味では、20年ほど前の現場って、すごく愛にあふれていて、〝新人が出てきたら育ててあげよう〟という雰囲気がありました。怒られながらも「お前は下手なんだから、もっとこうしたほうがいいぞ」みたいなアドバイスをいただいたりもしました。「もっとゆっくりしゃべれ」「もっと声を出せ」とかね、文字にしちゃうと初歩的でささいなことだけど、僕にはすごくありがたかった。なんせ緊張している新人としては、そんなことも意識できない状態にいますから。それに、細かいアドバイスをもらうと、あれもこれもと追いかけちゃってとっちらかったりするけど、単純なことに集中すると余計な邪念がなくなって案外うまくいったりするんです。先輩方はきっとそれをわかってらっしゃって、そういう状態に導いてくださったんだろうなと思います。

そういうことはその場では気づけなかったし、愛があるとも感じなかったんですよ。でも、昔のアニメは1年間あったので、何度も現場に行くうちに徐々に〝愛〟を感じるようになりました。そして先輩方と一緒に食事に行ったり、飲みに行ったりさせていただきました。当時、男性の声優さんはみんな怖かったですよ。特に10年以上のキャリアのある方は、怖いと思っていました。でも仕事に厳しいというのは、ある意味当然のこと。それはそうですよね。観る方に喜んでいただくために、芝居して録音をする現場ですから。当時の僕は怖いと思っていたけど、今思えば、至極当然だと思います。僕が怒られていたのは叱咤激励であり、いい作品を作るための当然の作業だったんだなって。

『遊☆戯☆王』に出演したことで自分のベクトルがファンへ向くように

僕のターニングポイントになった作品というと、『遊☆戯☆王デュエルモンスターズ』です。デビュー作の『マクロス7』が終わった後、声優としてのお仕事は全然なくて、たまに『マクロス7』のディレクターさんに呼んでもらっていたくらい。ずっと舞台をやりながら、たまに声のお仕事をさせていただくという感じでした。

『遊☆戯☆王』以前にも、いくつかレギュラー番組はありましたが、役者1本で食っていけるほどの稼ぎはなかったんです。そんななか、ある制作会社の方に呼んでいただいたことがきっかけで、『遊☆戯☆王』に出演することができました。これが1年以上のレギュラーになり、この作品に出演させていただいたことでファンの方の存在というのを感じ始めたんですね。

『遊☆戯☆王』のすぐ後に『HUNTER×HUNTER』が始まるんですけど、そのとき確実に自分の認知度が上がったのを実感しました。『遊☆戯☆王』、『HUNTER×HUNTER』、そして『テニスの王子様』という一連の作品の流れが、僕の20代の声優人生においてすごく大きな意味を占めています。その最初が『遊☆戯☆王』なのかなっていう気がしています。

それまでの僕は、ファンに喜んでもらえるのがエンターテイナーだということを考えられていなかった。当時のファンの方には大変申し訳ないんですけど、気持ちが自分に向いていて「自分がどうやったらうまくできるだろう」とか、そんなことばかり考えていました。演劇をやるときも、お客さんに来ていただいて喜んでもらいたいという気持ちはあるんだけど、「自分がどう芝居をするか」という自己顕示欲のほうが強かったんですよ。そのとき、あるプロデューサーさんから「それじゃ、観てくれている人は楽しくないよ」と言われて、「それはそうだよな」って思いました。

そんな僕が『遊☆戯☆王』をやり始めてから、やっと観てくれている方のことを考えられるようになりました。情けないことですけどね(苦笑)。やっと意識できるようになって、観てくださる方に喜んでいただくということにベクトルが変わったような気がします。「このセリフはもっと熱く言ったほうが喜ばれるよね」みたいな言い方をよくされたのも『遊☆戯☆王』でした。この作品を経験して、かつて「観客を熱狂させたい」とプロレスラーに憧れていた頃の自分とつながったのかなって思います。

アニメの仕事をしたいなら声優は目指さないほうがいい

僕の声優としてのキャリアは22年になりますが、どうしてここまで続けてこられたのかは自分でもまったくわからないです。ただ、20代、30代の頃は、あまり「声優を続けたい」とは思っていなかったかもしれない。「お芝居を続けたい」ということをずっと考えていて、声優ということにはこだわらなかった。それがよかったのかなとも思います。

僕がデビューしたばかりの時代は、声優って、もっと職人の仕事というか、専門職だったと思うんですよ。でも今の時代、声優の仕事ってすごく多様化していますよね。新人発掘や育成のやり方も、昔とは随分と質が変わってきています。そんななかで、今すでにデビューしている人たちは立派だと思います。細かい数字は忘れたけど、何千人という人たちが声優学校や養成所に通っていて、最近は大学にも声優学科ができている。そのものすごい競争率を勝ち抜いて、業界に入ってきているわけですからね。僕なんかは「下手だったけど、何とか拾ってもらって育ててもらった」という感じでしたが、今の若い人たちは早いうちに実力をつけてアピール力もつけて世に出てきたわけだから、みんな肝が据わっているし、素晴らしいと思います。

最近の業界は、コンテンツ量は変わらないのに役者の数が増えていて、しのぎの削り合いになっているから大変だと思います。こういう時代が今後もしばらく続くだろうし、これからもっとデフレの状態になっていくと思うので、気持ちが萎えないようにしてほしいと思います。声優の〝アフレコの仕事〟の割合は減っていくはずなので、そこでめげないでほしいですね。その代わりに、いろんなメディア露出や広報活動があったり、CDを出したり、プロデュース公演の朗読会やいろんな催し物があったりする。「そういう時代になっていくぜ」ということは僕も覚悟しているし、みんなにも思っていてほしいかな。今の人たちはわかっていると思いますけど。

今、声優を目指している人たちは、アニメの雑誌に載るような声優たちがどういう活動をしているか知っているはずなので、あえて言いますが……アニメの仕事がしたいなら、声優は目指さないほうがいいと思います。それよりも、アニメの制作会社に入ったほうがアニメに関わることができますからね。声優を目指すなら「エンターテイナーを目指す」とかね。そういう気持ちでないと、後からいろんな環境の変化に追われることになると思います。

僕もたまに専門学校に講師として呼ばれたりするんですが、「声優ってどんな感じかな?」「自分にできるかな?」「やってみようかな?」って感じの、わりと曖昧な気持ちの子が多いんです。まぁ、自分も最初はそうだったから、あまり強くは言えないんですけど(苦笑)。ただ、「自分は何がやりたいのか?」「何のためにレッスンを受けるのか?」ということは早いうちに意識しておいたほうがいいんじゃないかなって思います。「アニメのキャラクターのようなセリフが言いたい」と思うんだったら、劇団に入って演劇を志したほうがいいだろうし。演劇をやっていれば、そのうち声の仕事も来たりしますから。学校選びの段階で自分が自分が何をしたくて、声優の何に憧れていて、何のために勉強したいのかということをしっかり意識してレッスンをしたり、学校を選んだほうがいいと思います。

最期まで役者で。
舞台の上で死ぬのが究極の夢!!

僕の場合、アニメ『遊☆戯☆王』以降は、お陰様でアルバイトをしなくても食べていけるようになりました。でも泣かず飛ばずの数年間というのは、アルバイトか演劇の日々でした。演劇も2カ月に1公演ぐらいのペースでしたが、お客さんが少ないながらも芝居をやり続けて役者でい続けられていたので、それがモチベーションになっていました。そもそも「声優を目指してなかったのに声優になれた」という時点で奇跡だったので、「夢の時間は終わった……」なんて思っていました。声の仕事がなくてもそれで腐ることはなかったし、たまに仕事が来ると「ありがたいな」くらいに思っていました。それよりは「舞台役者としてどうしていこうかな」と考えていて、「30歳までに役者としてのステータスを得られなければ辞めよう」と思っていました。いろんな人たちとのご縁で舞台に出させていただいたり、出させてほしいと自分から言いに行ったりして、演劇の公演があることが僕のモチベーションでした。演劇といえば、2016年には演劇ユニット・ラフィングライブの第2回公演『Run for Your Wife』で、僕にとって初めての翻訳劇(※1)に出演させていただきました。翻訳劇はずっとやりたかったし、どっぷり演劇というのがやりたかったので、それらの夢が叶うことが非常にうれしかったですね。

究極の夢を言いますと、僕は仕事中に死にたいんです。まぁ、人に迷惑をかけてしまう死に方ではありますけどね(笑)。とにかく「最期まで現役」というのが夢です。舞台の上で死ねたら、伝説みたいでかっこいいなって。

※1:外国語で書かれた戯曲を自国の言葉に翻訳し、上演する劇のこと

(2016年インタビュー)