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【声優道】銀河万丈さん「若人よ、もっとわがままになれ」

『声優道 名優50人が伝えたい仕事の心得と生きるヒント』が3月9日から期間限定で無料公開中!
臨時休校などで自宅で過ごす学生の方々へ向けて3月9日~4月5日までの期間で随時配信予定となっている。

アニメや吹き替えといった枠にとどまらず、アーティスト活動やテレビ出演など活躍の場を広げ、今や人気の職業となっている「声優」。そんな声優文化・アニメ文化の礎を築き、次世代の声優たちを導いてきたレジェンド声優たちの貴重なアフレコ秘話、共演者とのエピソードなど、ここでしか聞けない貴重なお話が満載。

それぞれが“声優”という仕事を始めたキッカケとは……。

声優ファン・声優志望者だけでなく、社会に出る前の若者、また社会人として日々奮闘するすべての人へのメッセージとなるインタビューは必見です。

若人よ、もっとわがままになれ

▼28歳でデビュー スタートはかなり遅かった
▼周りが厳しかった新人時代 「君にはギャラを払いたくない」と言われた
▼いい緊張感とエネルギーに満ちた『ガンダム』の収録現場
▼ゲームの録音は、かなりハードなお仕事!?
▼強い個性を持つクセのある役者にもっと出てきてほしい
▼大事なのは思い立ったときに行動すること

【プロフィール】
銀河万丈(ぎんがばんじょう)
11月12日生まれ。青二プロダクション所属。主な出演作は、アニメ『機動戦士ガンダム』(ギレン・ザビ)、『装甲騎兵ボトムズ』(ジャン・ポール・ロッチナ)、『タッチ』(原田正平)、『北斗の拳』(サウザー)、『交響詩篇エウレカセブン』(グレッグ・イーガン)、ナレーション『開運!! なんでも鑑定団』ほか多数。

28歳でデビュー
スタートはかなり遅かった

僕は大学時代に放送研究会に入っていたんですが、そこでラジオドラマ作りに夢中になっていた時期がありました。当時はもうテレビの時代になっていましたけど、それでもまだ輝かしいラジオの時代の残照みたいなものがあったような気がします。渋谷ジァン・ジァンという、コーヒーを飲みながらラジオドラマを聴くことができる小劇場もありました。

そんなラジオドラマに関われたらいいなとは思っていたけど、ラジオドラマなんて職業として成立するものでもないし、そもそもラジオドラマを作れる場所なんてわからない。とにかくそれに近いことをやっていたのは、劇団くらいしかなかったわけです。

出発点として、まずテアトルエコーの養成所に入りました。もともと「役者になろう」とは思っていなかったけど、始めてみると舞台は舞台で奥深いものがあり、やっていくうちに「面白いな」と思うようになりました。でも結局、テアトルエコーの養成所を辞めちゃいまして。仲間と「劇団作ろうぜ」と劇団を作っては潰して……ということを繰り返しながら、はっきりしない生き方をしていました。ひどく生意気な状態でしたね。

ちょうど養成所を辞めたとき、テアトルエコーの座付き作家(※1)だった井上ひさしさんが脚本を書かれた舞台『天保十二年のシェイクスピア』に出演させていただいて、いろんな舞台の方たちとご一緒できました。そこから小さな舞台をやるようになって……そうやって何となくずるずると過ごしていましたが、どこかに所属しているわけでもないし、胸を張って「俳優です」と言えるほどでもない。まぁ、はっきりしないような状態でしたね。

そうこうするうちに「やっぱり音の仕事がやりたい」という気持ちがはっきりしてきたんでしょうね。その分野の仕事をするために、青二プロダクションに自分の声のサンプルテープを持ち込みました。それが声の仕事をするきっかけになりました。

当時はまだ〝声優〟という職業が確立していなくて、声の仕事は劇団経験者や俳優さんがやられることが多かったと思います。当然、声優の養成所などはなかった。僕は大学を出てから養成所に行って、さらにフラフラして青二プロにたどり着いたわけですが、そこから声の仕事でデビューできたのは28歳の頃。スタートとしてはかなり遅いほうだったと思います。

※1:特定の芸人と一緒にネタや脚本を考える作家のこと

周りが厳しかった新人時代
「君にはギャラを払いたくない」と言われた

青二プロに入ってから、何度か舞台の仕事もありました。でもやっぱり舞台と声の仕事ではサイクルが全然違っていたので、だんだん声の仕事のサイクルのほうに落ち着いていきました。当時の青二プロで言うと、井上和彦くん、水島裕くん、三ツ矢雄二くんらが同期になります。それぞれ年の差はありますけど。

仕事としては、アニメがいちばん最初だったと思います。その頃、アニメーションに声をあてたことなんてなくて、今のようにテレビもビデオも台本もなかったですから。事前に稽古をすることもなくて、いきなり現場に行くんですね。アニメーションのフィルムの見方を覚えるのにも、ちょっと時間がかかりました。今みたいにタイムコードが出ているわけでもなく、線画も多かったですから。

同じ頃に、洋画もやっていたかな。洋画はアニメーションと少し入り方が違うんですが、セリフをしゃべろうとして「あああ……」と思っているうちに絵が過ぎちゃうことがあって、「参ったなぁ」っていうのが最初でした。まぁ慣れですから、場慣れするしかなかったんですけれども。最初の頃は「何でできないんだろう?」と、ちょっと屈辱的に思っていましたね。経験不足で自分ができないことに対する悔しさ、歯がゆさは随分ありました。同期でデビューした仲間たちも、年齢的には僕より若かったので、「こら、いかんな」という気持ちもありました。

新人の頃は、かなり厳しいことも言われましたよ。ちゃんとセリフを受けられなくて、(相手役の先輩から)台本を投げられたことも(笑)。始めて間もない頃は、富田耕生さんという厳しい先輩がいらして、いろいろなことを教えていただきました。現場には怖い先輩も、教えてくださる先輩もいらっしゃいましたが、同じ仕事をする仲間として「ここはああ、そこはこう」と言っていただけることは、とってもありがたいことだったと思います。時代的には今のほうがちょっとクールなのかもしれませんね。

どこの世界でもそうですが、周りの方々に認めていただくまでには、それなりの時間はかかるものです。あるときプロデューサーの方から「将来何になりたいのか知らないけど、君にはギャラを払いたくない」なんて言われて、僕は「認めていただくまでは、絶対に辞めるわけにはいかない」という気持ちになりました。発奮材料ですよね。そのときの状態が自分の実力とは思っていませんでしたから。根拠のない自信というか、うぬぼれていたんでしょうけれども、「いやいや、こんなはずじゃない。絶対大丈夫!!」と自分には言い聞かせていましたね。

いい緊張感とエネルギーに満ちた『ガンダム』の収録現場

僕は28歳で声の仕事を始めましたが、初期の頃で印象に残った作品というと、やはり『機動戦士ガンダム』ですかね。デビューして4〜5年目だったかと思いますが、スタジオの光景も覚えています。後々、ゲームやパチンコの仕事で、あんな昔のキャラクターをもう一回やるとは思っていなかったですけどね。すごく遠い時代の作品なのに新しいというか、近くに感じるものは、たしかにあります。

『ガンダム』で演じたのはギレン・ザビという悪役で、あとで考えてみると、意外に出番は少なかったんです。この作品には、ベテランの声優さんもいっぱい出ていらしたんですが、皆さんはもうご自身のカラーがある程度決まっているお立場だったので、そういうカラーから脱却した芝居を作ろうという意気込みがあったと思います。僕はそれほどキャリアがなかったけど、こっちはこっちで「この作品を失敗するわけにはいかない」という強い思いがありました。そういうメンバーたちの真剣勝負というか、しのぎを削るようないい緊張感、エネルギーが『ガンダム』の現場にはあったような気がします。いい意味で「みんな勝負に来ているな」という空気を感じました。

僕は、この『ガンダム』のギレン・ザビや『装甲騎兵ボトムズ』のジャン・ポール・ロッチナなど、悪役キャラの声を担当することが多くなっていきました。最初は声質みたいなところからキャスティングされていたと思います。ただ自分の中でも「悪役のほうが面白い」と思っていたので、それはそれでよかったと思っています。

なぜ悪役が面白いのか?というと、悪役を演じるときは、人間のもっている振り幅を目いっぱいとれるんです。たとえばいい人を演じる場合、「これをやっちゃうと、いい人じゃなくなっちゃう」という絶対に踏み越えられない線みたいなものができてしまう。でも悪役側に立つと、悪だくみをしたり、人をだましたりと何でもアリ。振り幅を大きく使えますから。演じる側としては、そっちのほうが楽しいかなと。いつもそう思いながらやっていました。洋画でも、主役を演じるキャラクターはカッコいいし、モテるし、オイシイ部分はあるんですけど、やっぱり敵方のほうが面白いと思いますね。何て言うか、いい人で二枚目だとつまらない気がするんですよ。人間のもっている人間臭さを演じられたときが楽しいんですよね。

それと、実際の自分よりも少し背伸びした役柄のほうが、演じるうえでは楽しいですね。想像する部分が大きいからかもしれないけど。実年齢の役はどこか照れくさい部分があるので、ちょっと背伸びしたくらいの方が面白いんです。でも、だんだんマズくなってきているんですよ。これ以上背伸びしていると、もう後期高齢者の役しか来なくなっちゃうから(笑)。

ゲームの録音は、かなりハードなお仕事!?

ナレーションで言えば、『開運!! なんでも鑑定団』(テレビ東京系)が放送1000回を超えましたからね。もう20年以上やっています。『〜鑑定団』の最初の頃は、正直「ちょっとうさん臭いなぁ」と思っていました(笑)。まだお宝がなくて、番組スタッフが蔵があるところに訪ねて行くんですけど、そこでまた〝河童の手〟とかね、妙なものが出てくるんですよ。まさかこんなに続くとは思っていなかったです。1000回記念のパーティーのときに一回目の放送が流されましたけど、明らかに違ってましたね。みんな若い!! 出演者もそうだけど、ナレーションも若かった(笑)。

今はバラエティ番組が全盛ですが、ナレーションも思い切りテンションを上げて、CMの直前ギリギリまで「この後すぐ!」ってしゃべっていますよね。あおるような感じで。でももう高齢化社会になっているんだし、ナレーションはもう少し静かなほうがいいんじゃないか?とも思うんですよ。どのバラエティ番組を見ても同じような作り方ですけど、もう少し、番組ごとに違うテイストもあっていいんじゃないかなと思ったりします。

それと最近では、昔アニメで演じたキャラクターの声をゲームのために録音する仕事が多くなっています。たとえば断末魔の叫びを数パターンとか、「やられた〜!!」を数パターンとか。普通アニメなら1話に一回あればいいようなセリフなのに、相当な数をいっぺんに要求されるんです。そのときスタッフから「こんな感じでやられてました」と当時自分の言ったセリフを聴かされると、素直に「素晴らしい!」って思っちゃう(笑)。そりゃそうですよね。その当時は、その役で死にに来ているわけですから。「ぎゃああ〜!!」ってのたうちまわって死ぬわけだから、それだけの勢いで演じられたんですよね。元気に、勢い良く死んでいる(笑)。

『装甲騎兵ボトムズ』でも、予告編の声だけをまとめて録音することがありました。でも、あのテンションで50数本いっぺんに録るのは無理でしょって(苦笑)。結局、2回に分けて収録しましたけれど声はガラガラ。普通は1話に一回なんですから、あの当時でももたなかったと思いますよ。そういう意味で、本当にハードな仕事が多くなって頭を悩まされることも少なくないです。

強い個性を持つクセのある役者にもっと出てきてほしい

僕はこれまでアニメ、外画、ナレーションなどいろいろな仕事をやってきましたが、それぞれに面白さはあると思います。アニメは原音がないので、声をあてると「命を吹き込んだ」という実感がありますね、思い込みかもしれないけど(笑)。二次元のペッタンコの絵に命を吹き込んで存在させる、という感覚が気持ちいいんです。外画は、映像に出てくる人物に乗り移って、溶け合っていくような感覚。第三者が見てどうかわからないけど、演じていくと何となくその役に顔つきが似てくるんですよ。だから、凶悪なキャラクターをあまり長くやっていると、まずいですね(笑)。ナレーションは、番組全体を引き受ける、という気がすごくします。コンダクター(指揮者)のようなイメージでしょうか。

僕は欲張りですから、今後もどんな仕事でもやりたいけど、特に渋い洋画はやりたいです。最終的には、ヘンな言い方だけど「何もしない」というか……。演じることを突き詰めていって自分自身と役柄がだんだん一つになっていくことができたら、ものすごく気持ちいいだろうなと思うんです。ため息一つでも、あれこれ考えてやるのではなく、ただ普通に「ふう〜」とやったりして。そんな感じで、役だったり芝居だったりができたら理想だと思います。もちろん演じるうえではいろいろ役を作っていくんでしょうけど、外から見たら「何にもしていないじゃん」と思われるような……そういうところまでいけたら理想かな。こういうふうに言うと何だか深そうだけど、行き着くところはそこじゃないのかなって気がします。

朗読会などで若い声優さんとお会いすることもありますが、僕らの若い頃より、今の若い人たちのほうが生き残るための競争が激しいでしょうし、いろいろ大変だと思います。まず、今の環境が気の毒ですね。もう少しベテランの方が大勢いる現場で仕事できたほうが彼らにとって幸せなのに、そういう現場に恵まれていないのが気の毒だと思います。

本来、こういう業界に入って来るのは、〝いい子〟というより、もっとわがままで、「自分はもっとこうしたい」というものが根っこにある人たちだと思うんです。ところが、今はそういう人たちが認められない風潮になってきていますよね。たとえば「授業がつまらなかったら抜け出してもいい。結果がよければいいんだ」という考え方をしてもいいと思うけど、そういうわがままさを出すと外されちゃうんです。それは時代としてどうしようもないことかもしれないけど。もっと受け皿の人たちが、わがままさをもった人に対してかなり広い心で受け入れていく余裕がないと、ちょっとつまらないですね。面白い人がいなくなっちゃう気がします。このままだと、つるんつるんの〝いい子〟ばかりが育っていって、クセのある変な子がいないという、役者としてはいちばんつまらない駒のそろえ方になっていくと思います。

技術面で言えば、僕たちの若い頃よりも今の若い人たちの方がはるかに上手です。でも昔の洋画の吹き替えが面白いなと思うのは、みんな役者にクセがあったんですよね。「リチャード・ウィードマークだったら、どうしても大塚周夫さんで聞きたい」とか、そういう強烈な個性がいっぱいありました。僕らは昔の洋画などを観て「ああいう芝居をしたい」と憧れましたが、今の若い人たちは多分アニメーションに憧れて来ますよね。アニメだと、そんなに強烈なニオイのキャラが少ないから、みんな区別がつきにくいしゃべり方になってしまう。これでは、声優界の文化がかなり失われていくんじゃないかと思うんです。やはり強い個性を持った、臭みのある役者にもっと出てきてほしい。その意味でも、若い人たちには「もっとわがままになりなさい。上手に、外されないように、ずるくわがままでいなさい」と言いたいですね。

大事なのは思い立ったときに行動すること

僕はスタートが遅かったけど、デビューして40年近くになります。これまで長く業界でやってこられたのは……まぁ、半分以上は運でしょうね(笑)。ただ、貪欲であるということは大事だと思います。興味と言いますか……そういうものがなくなっちゃうと枯れていっちゃうから。やっぱり人がやっている仕事や芝居が気になるってことはすごく大事ですし、僕自身もいろんなものに興味をもっていたいと思っています。今、気になっている役者は田中秀幸くん。以前あまりやっていなかった悪役づいていて、喜々としてやっていますが、なかなか素敵だと思います。

自分の若い頃を振り返ってみると……わがままというより生意気でしたね。まったく何の根拠もないのに、自信だけはありました。仲間と一緒に劇団を作っては潰して、その繰り返しでした。でも今思うと、やろうと思い立ったときに、即、行動に移していて良かったなと思います。若さゆえの行動力、とでもいうのでしょうか。物事って「いつでもやれる」と思っていたら意外とできないもので、思い立ったときにやっておかないと、後々「やっておけばよかった」と後悔しますから。朗読会『言-ごんべん-』も長く続けていますけど、あれもやろうと思い立ったときに始めておいて良かった。「いつでもやれる」と思っていたら、多分できていなかったでしょうね。

(2015年インタビュー)