【声優道】鈴村健一さん「世界は失敗してもいいようにできている」

どんなにドン底にあっても成功するビジョンを捨てずに

新人声優を集めて歌ったり踊ったりラジオをやったり……という今でこそ当たり前のメディアミックス展開を仕掛けたのが『Ninja者』という作品だったんですが、全然お客さんが入らなくて。さらにアフレコ現場でもお芝居ができなかったとなると、そこからはパタリと仕事が来なくなりました。当時のお仕事の打ち上げで関係者の方に「今後ともよろしくお願いします」と挨拶をしたときにも「お前はうまくなるまでしばらく使わないから」とバシッと言われてしまいました。

今振り返ってみると、こんなに優しい言葉はなかったと思いますよ。だって、黙って切っちゃってもよかったわけですから……。ちなみにその方とは後にお仕事をする機会に恵まれまして、打ち上げの席で「今、お前とこうやって酒を飲めているのはすごく素敵なことだと思う。感慨深いものがあるね。」とおっしゃってくれたんです。それも過去のことはいっさい持ち出さずに、ただ〝今〟を褒めてくれた。こんなにうれしかったことはありません。

とはいえ、それはだいぶ先の話。デビュー以降の僕は仕事に恵まれず、結局24歳までの約4年間、「兵士A」といったモブ役を演じるのが精いっぱい。いっぱい悩んだし、苦しみましたけど、プロとして活躍する自分の姿を思い描いて「いつかできる」と、気持ち悪いぐらいにポジティブなイメージを浮かべ続けていました(笑)。だって、起きてしまったことは絶対に修正することができないんだから、それなら失敗した原因を探り、活かしていけばいいだけ。現実、僕も名前に傷がついて使ってもらえなかったけれども、「そういう経験をできたことがラッキー」とまで思っていましたね(笑)。それを活かすことができなかったら、あのときチャンスをくれた人たちにも失礼だと思ったんです。

それから4年が経過して『時空転抄ナスカ』で主人公・三浦恭資役をやらせていただきました。正直、そのときは「これで人生変わるかな?」と思ったんですが、変わりませんでしたね(笑)。だって、その後、27歳になるまで役者一本ではメシが食えなかったんですから。人生でいちばん貧乏を経験したのが、この24歳から27歳までの間だと思います。1カ月の食費は8000円でしたが、当時は日清の小麦粉が1パック120円だったので、それをどう食べるか考えるだけで1カ月はもちました(笑)。さらに、大変なときに限って臨時収入が入ってきていたので、今までどおりワークショップに通ったり、自分を磨くことを継続できていたのはよかったと思います。逆に、僕は貧乏な生活が楽しめるタイプだったので、危機感が足りなくて……それが原因で売れなかったような気がします(笑)。

失敗することを恐れずに
一生勉強し続けるお仕事

そんなとき、マネージャーに「そろそろオーディションに受からないと終わるよ?」と言われて……。厳しいけど、30歳間近の人間が小麦粉を毎日練っていたら、そう言われて当然ですよ(笑)。ところが、27歳の年に受けたオーディションがことごとく決まって。今でも決め手となる理由はよくわからないんですが、それまでに続けてきたことで培ったものが認めてもらえたんだと思います。

僕は役者に限らず〝世界は失敗をしてもいいようにできている〟と思います。僕も一度は大失敗しましたが、自分のために頑張り続けていれば、きっと誰かが見てくれていて、どんな失敗もいつか取り戻す機会に恵まれると信じています。今だって毎日が失敗と挑戦の連続ですから!(笑)

演劇の歴史を勉強していて思うのは、大成した役者さんがこぞって「下手になりたい」というコメントを残していること。うまくなればなるほど技術にとらわれていくというのが演劇の歴史でもあるので、世阿弥が生み出した「初心忘るべからず」という言葉の重さはすごく感じますし、僕も「どうすれば下手なままでい続けられるんだろう」ということを考えながらお芝居をしています。いかに新鮮に物事を捉えられるか。そこがポイントです。

人は基本的には安定しているものを求めるものだと思っています。視聴者の方々もきっと「これこれ! これだよ」みたいな安心感が欲しいんだとは思います。でも、時代を切り拓いてきた作品は、まだ誰も見たことのないような違和感が必ず内包されてるんです。

役者のお芝居がルーティンワークになった瞬間、それはただの〝音〟になって、すべてが停滞してしまう。大成している方が「日々勉強です」とおっしゃるのは、新しい表現を探し続けているということだと思ってます。僕が10代の子たちに教えるときも、必ず入り口で「一生勉強することになるので、それが好きにならないと耐えられないよ」と伝えています。やっぱり声優は悩み続けることが大事……そうありたいお仕事ですから。

(2016年インタビュー)