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【声優道】増岡 弘さん「声優の仕事は、人物を作ること」

『声優道 名優50人が伝えたい仕事の心得と生きるヒント』が3月9日から期間限定で無料公開中!
臨時休校などで自宅で過ごす学生の方々へ向けて3月9日~4月5日までの期間で随時配信予定となっている。

アニメや吹き替えといった枠にとどまらず、アーティスト活動やテレビ出演など活躍の場を広げ、今や人気の職業となっている「声優」。そんな声優文化・アニメ文化の礎を築き、次世代の声優たちを導いてきたレジェンド声優たちの貴重なアフレコ秘話、共演者とのエピソードなど、ここでしか聞けない貴重なお話が満載。

それぞれが“声優”という仕事を始めたキッカケとは……。

声優ファン・声優志望者だけでなく、社会に出る前の若者、また社会人として日々奮闘するすべての人へのメッセージとなるインタビューは必見です。

声優の仕事は、人物を作ること

▼もともとは美術志望 演劇は嫌いだった!?
▼天才歌人・寺山修司の誘いで芝居の世界へ
▼偉大な先輩方に支えられつつTVアニメや外画の吹き替えを経験
▼プレッシャーの大きかった昔のアテレコ セリフをトチって先輩からどなられることも
▼声優の仕事は「声を作ること」ではなく「人物を作ること」
▼これだけ長く続けているマスオさんも毎回「こうじゃない」と悩んでいる
▼声優を目指す人はいろいろなことができないといけない
▼夢は大きく「日本一売れる声優」を目指して

【プロフィール】
増岡 弘(ますおかひろし)
1936年8月7日-2020年3月21日。テレビ草創期から声優として活躍。劇団「東京ルネッサンス」を主宰するほか、健康、福祉、家庭教育などのテーマで講演活動も行う。著書に『マスオさんのみそづくり指南』(家の光協会)、『陽だまりのマスオさん』(KIBA BOOK)、『マスオさんの美味しい味噌づくり――若さと健康のモトここにあり』(じゃこめてい出版)、『マスオさんが教えてくれたこと』(廣済堂出版)がある。


お悔やみ

『サザエさん』のフグ田マスオ役、『それいけ!アンパンマン』のジャムおじさん役、バラエティー番組「有吉くんの正直さんぽ」のナレーションなど、数多くの作品で活躍した声優の増岡弘(ますおか・ひろし)さんが2020年3月21日、お亡くなりになりました。編集部一同、心よりご冥福をお祈り申し上げます。


もともとは美術志望 演劇は嫌いだった!?

長い間、俳優の仕事を続けてきた僕ですが、若い頃は美術の道に進みたかったんですよ。中学時代の担任が絵の先生で、日本画の日展に出品されるような素晴らしい方でした。その先生に魅せられて「絵をやりたいな」と思ったんです。しかし「絵だけでは食べていけないな」と思い直し、当時の世の中の流れに合わせて工業高校に進学するのですが、いろいろあって中退。その後、大学の検定試験を受けて東京芸大の美術学部に入りますが、そこも2年で辞めてしまって(笑)、次に文化学院文化芸術科に入って美術の勉強をしていました。

その文化学院の学生の頃に、演劇との出合いがありました。僕は東京・阿佐谷にあった中華料理店のアルバイトで、お店のプラカードを持って町内を歩く仕事をやっていました。お金がもらえて、まかないの中華料理が食べられて、「こんなにオイシイことはないなぁ」なんて思いながら(笑)。そのバイト仲間に演劇をやっている人がいて、「やらないか」と誘われたんです。

それまでは「演劇をやろう」なんて思ったこともなかった。むしろ、どちらかというと嫌いでしたね。「その場で終わってしまうお祭り騒ぎみたいなことをして喜んで、その後に何が残る? しかも演劇は集団でやるものだから、自分の個性を自由に発揮できるものじゃない。何でこんなことするんだ?」なんて思っていました。でもまぁ、美術が好きだったので、「美術の舞台装置ならば、僕らしいものができるんじゃないか」と思って、〝舞台美術〟として劇団に参加したのです。

天才歌人・寺山修司の誘いで芝居の世界へ

その頃は、俳優座、文学座、民芸が三大劇団といわれていました。芝居が好きならそういうメジャーな劇団に行って勉強すればいいのに、そういうこともせず、我々は「表現座」という小さな劇団を作って活動を始めました。僕らの劇団があった渋谷には劇団四季がいて、浅利慶太さん、日下武史さん、水島弘さん、藤野節子さんら、そうそうたるメンバーが在籍していました。彼らとすれ違いながら、僕たちは新しい芝居を作ろうとしていたわけです。

そんな頃、〝天才歌人〟と言われた劇作家の寺山修司さんと知り合いました。僕より一つ年上の寺山さんと関わり、彼の価値観に触れて、次第に影響を受けていきます。

寺山さんの言葉はするどくて、印象に残りました。たとえば「増岡くん、生が終わって死が始まるならいいよね。でも生が終わると死も終わっちゃうんだよね」とか、「人生は子供の下着だ。短くって汚ねぇ!」とか。「人間のいちばん素晴らしい能力は想像力だよ。そして想像力より高く飛べる鳥はいないんだよ」……この言葉は、いまだに僕の中で生き続けています。

僕の中でとても大きな存在だった寺山さん。「芝居なんて嫌いだ」と思っていた僕が、寺山さんと接点をもち、彼に誘われる形で芝居の世界に入っていきました。僕らは寺山さんと一緒に「天井桟敷」という演劇集団を作り、その第1回目の公演『青森県のせむし男』では、僕がせむし男を演じることになりました。

偉大な先輩方に支えられつつTVアニメや外画の吹き替えを経験

よく「いつ頃から声優の仕事をするようになったんですか?」という質問をされるんですけど、そう聞かれると「うーん……?」と頭をひねっちゃう。いつだったか、ほとんどわからないんですよ。もっとも当時は〝声優〟って言い方はしていなかった。あれは、後からマスコミが作った言葉なんじゃないかな? 今でも「声の仕事は、あくまで俳優の仕事の中の一つ」だと思っています。

とはいえ、TVアニメに出演したのは、『狼少年ケン』が最初でした。同じ頃に、洋画や海外ドラマの吹き替えの現場にも呼ばれました。「最近アテレコって仕事があるんだよ。レシーバーから(オリジナルの)俳優の声が聞こえてくるから、そのタイミングでセリフをしゃべればいいんだ」なんて言われて現場に行ったんだけど、セリフを聞くほうとしゃべるほうと、どっちに集中していいのかわからなくなってね(苦笑)。しかも昔はフィルムを使っていて、一つのロールが20~30分あるので、1回トチっちゃうと最初から全部やり直しになるんです。これはプレッシャーでしたね……。生放送を経験していらっしゃる先輩方は、天才的にうまくてね。のらりくらりとかわして、まずトチらない。こっちは緊張してすぐトチっちゃうんです。「拳銃を捨てて出てこい!!」ってセリフを、「拳銃をステテコ出てこい!!」って言っちゃったりして。するとディレクターがこう返すんです。「増岡ちゃん、外国の映画にステテコは出てこないよ」って(笑)。

まだ駆け出しの役者だった頃、TVドラマ『七人の孫』にセミレギュラーで出演することになり、日本を代表する名優・森繁久弥先生とご一緒しました。といっても、こっちは端役の若手で、あちらは大スター。天と地ほどの差がありましたが(苦笑)。でもTBSのスタジオで待ち時間があると、先生は僕らにいろんなお話をしてくださいました。

ある日のこと、先生は「君たち、出演料をもらったら、貯めといて自分のお墓を買いなさいよ」とおっしゃいました。「お墓ですか? でも、まだ若いですから」と言うと、「若いから言ってるんだよ。お墓を先に買っておいて『自分はいずれここに入る。それまでの人生、思い切り生きよう!』と考えると、腹が据わっていい芝居ができるんだ」と言われました。先生は、その場の芝居がどうのこうの、ではなく「どういう気持ちでこの人生を生きていくのか」という大きなお話をしてくださったのです。このときのお話は今も忘れていません。

プレッシャーの大きかった昔のアテレコ
セリフをトチって先輩からどなられることも

こうした偉大な先輩方に支えられて、僕はTVドラマやアニメ、洋画の吹き替えなどの仕事をやらせていただいていました。当時声の仕事をしていた先輩方には、ユニークな方がたくさんいらっしゃいました。八奈見乗児さん、たてかべ和也さん、肝付兼太さん、滝口順平さん、熊倉一也さん……皆さん、面白い方で「仕事を楽しむ」という雰囲気が好きでした。
なかには「酔っぱらわないと仕事ができない」なんて方もいました。スタジオにコンロを持ってきて、スルメを焼くんですよ(笑)。そしてポケットから瓶入りの焼酎を出して、飲みながらアテレコするという……そういう強者もいましたね。アテレコってすごく緊張するから、自分をリラックス、解放させるための儀式だったのでしょうか。

昔のアテレコは、本番前日に1回しか試写を観られなくて、1回テストしてすぐ本番でした。一つセリフをトチると20~30分のロールを巻き戻して最初からやり直しですから、大変なプレッシャーでした。セリフをトチると、怖~い先輩からよく怒られました。「おい増岡、いいかげんにしろよ!! 俺は次の仕事があるんだ。もう1回トチったらどうするんだよ」なんてどなられて、「すみません、すみません」って。もう、怖かったですよ~。台本に指の跡がびっしりとつくくらい汗をかきました。

今のアテレコは事前にビデオをもらえるし、秒数も出ています。そしてデジタルだから、トチってもすぐにやり直すことができます。みんな軽い感じで「すいませ~ん。もう1回やらせてもらっていいですか?」なんて言ってますからね。僕らの若い頃はこんなに解放された気分でアテレコをやったことがなかったから、「今の人たちは天国だなぁ」って思います(笑)。

声優の仕事は「声を作ること」ではなく「人物を作ること」

「人間の能力で最も素晴らしいものは想像力だ」と、先輩の寺山修司さんがおっしゃいましたが、声優の仕事も想像力が大事です。その人は誰なのか? その場所はどこなのか? 誰に対して何をしゃべっているのか?……それらを同時に表さないといけない。だから想像力が必要になるのです。普段お酒を飲まないのに酔っぱらいの役がうまい方もいますが、結局どんな役でも想像力があれば演じられるのです。

演技する際には、たくさんある選択肢の中から「これかな?」と選ぶ作業がありますが、私の場合、いちばんふさわしくない選択肢から考えていきます。

たとえばマスオさんを演じるとき、「こう演じたらダメだよね」という芝居からやってみる。ドスの効いたダミ声で「お~い、今帰ったぞ!!」とかね。それから、その反対のパターンで(優しい声で)「ただいま~。あ、タラちゃ~ん」とやってみる。そんな感じで、どんな役でもいちばんふさわしくないものから考えて、だんだん狭めていくといいのかなと思っています。

若い頃、こんな失敗がありました。洋画のアテレコの仕事で黒人役をやったとき、〝黒人〟というイメージだけで声を潰して「おい、お前ら!」ってセリフを言ったんです。そしたらディレクターさんから「声を潰しすぎ! 黒人だからって、そんな声じゃない。もっと、その人物の置かれた立場を演じてもらわないと……」とダメ出しされました。このときは恥ずかしかったですね。僕はアニメは大好きだったけど、洋画のアテレコがあまり好きじゃなくて、正直「こんなの、通過すればいいんだ」という気持ちがありました。それで、この映画の本質に迫ることもせず、外側だけのごく浅~い表現でセリフを言っていたんです。そんな自分が恥ずかしくて……。声優の仕事は「声を作ること」ではなく、「人物を作ること」。あのとき、ディレクターさんに言われて気づくことができて、本当に良かったと思います。

これだけ長く続けているマスオさんも
毎回「こうじゃない」と悩んでいる

僕が『サザエさん』に2代目マスオさん役で出演して、早40年になります。『それいけ! アンパンマン』のジャムおじさんは僕が初代で、こちらは26年続いています。だいたい1~2年で終わる番組が多いなか、『サザエさん』や『アンパンマン』のように長く続く番組はそうそうありません。まさに奇跡です。これらの番組に関わることができて、本当にラッキーだったと思います。

そんなマスオさん役ですが、これだけ長く続けていても毎回「こうじゃない」と悩みながら演じています。毎回キャラクターを作っているようなものです。台本を読んで「前に似たようなストーリーがあったな」と思っても、彼の置かれている状況は毎回違いますからね。

表現することはもちろん、スタジオに通い続ける自分を作ることも大変です。親からもらった体を大切にし、健康を保ちながら、毎回アフレコに行くということ。実は声優の仕事なんて誰でもできるけど、それを長く続けることが大変なんだ、表現しているときよりも普段のときの自分が大事なんだ、とつくづく思います。

声優を目指す人は
いろいろなことができないといけない

声優を目指す人は、いろいろなことができないといけません。たとえば旅番組のナレーションをやるとなると、日本の古い生活習慣のこと、一般常識、歴史的なことを知らないと、観ている人から「何言ってんの? この人は」と思われてしまいます。普段からいろいろな知識を吸収しておくことが大切でしょう。

そして、誰かのモノマネをしてみるといいと思います。セリフでもナレーションでも歌でも何でもいい。モノマネをして、それをテープに録音して自分で聴いてみてください。たとえば滝口順平さんのような個性的なしゃべり方とか、口を大きく開けないしゃべり方とか、いろんなしゃべり方を試してみると「あ、こういう表現もあるんだ」と気づきます。このように〝自分の中から他人を取り出す〟作業をしていくと、やがて自分が見えてくるのです。

人物を分けて演じてみるのもいいですね。増岡流の指導法で言うと、一人の人に10人分を演じてもらうんです。たとえば「番号!」という号令に続いて「1」「2」「3」……と10人分の返事をしてみる。次に、場所やシチュエーションを変えて同じことをやってみる。それを繰り返しやっていくと、将来自分が使えるキャラクターが必ず出てくるんです。うちの劇団でもよくやっていますが、これをやると、「この子は想像力があるな」とすぐわかります。「1」「2」「3」……と音の高低だけで人物を分ける人はダメで、そうじゃなく、間の取り方やしゃべり方にまで変化をつけられる人は「才能がある」と思うわけです。

今、一つの番組の中でも、いろんな役をできる人が求められています。もちろん音程だけではなく、芝居もしゃべり方もテンポも変えないといけない。人物が違うことを意識して、どう自分の中で育てていくか……これが難しいんです。
『サザエさん』でも最近はほかの役を兼任することは少なくなりましたが、昔は一人で3~4役やることもありました。イクラちゃんを演じている声優さんがカオリちゃん、リカちゃんも演じる、とかね。OAを聴くと、同じ人だと思えませんからね。まぁでも、マスオさんとジャムおじさんが一緒に出てくるシーンがなくて良かった。もしあったら……ちょっと困りますね(笑)。

夢は大きく
「日本一売れる声優」を目指して

東日本大震災のときのこと。巨大な津波が街を襲い、お母さんとつないでいた手を離してしまった子供が波にのまれるとき、「アンパンマン、助けて!」と叫んだそうです。「お父さん、お母さん」ではなく、「アンパンマン」だったのです。その話を聞いて、『それいけ! アンパンマン』の声優たちはみんなスタジオで泣きました。自分たちは子供たちにとってそれほど思い入れの強いアニメを作っているんだ、声優の仕事とは大変意義のあることなんだと強く思いました。
アンパンマンの生みの親・やなせたかし先生は、とても偉大で優しい方でした。先生が亡くなる3カ月前、私の77歳の誕生日に、先生は7本の鰹節をくださいました。僕は昔からおみそを作っていて、以前「おみそに鰹節を入れておくとおいしくなる」という話をしたからだと思います。この鰹節は「増岡ちゃん、ジャムおじさんは決して派手じゃないけど、これからもいい味を出してね。アンパンマンやみんなを助けてね」という先生流のメッセージだと思いました。

これから声優を目指す皆さんも、僕の『サザエさん』や『アンパンマン』のような素晴らしい作品に巡り合ってほしいと思います。今後、皆さんと同世代の若い漫画家、アニメーターたちがどんどんいい作品を作り出していくでしょう。そのとき必要になるのは、古いベテラン声優ではなく、あなた方、若い声優なのです。新しい優れたクリエイターの人たちと一緒に、新しい作品を作っていってほしいです。

また、声優は独自性を打ち出すことも大事です。「あの人、面白いね」と言われるようなユニークな発想をもち、「こういうことをやりましょう」と自ら企画を出して番組を一緒に作っていくとか……そういう声優になれば、売れると思いますよ。やはり声優になるんだったら、夢は大きく「日本一売れる声優」を目指してほしいです。

(2014年インタビュー)