【声優道】古谷徹さん「大事なのは感受性を磨くということ」

飛雄馬がこびりついて離れなかった頃の
『機動戦士ガンダム』との出合い

声の仕事の復帰第1作目は『鋼鉄ジーグ』の司馬宙役。熱血ヒーローでした。その後、立て続けに熱血ヒーロー役をやらせていただきました。ただずっと、セリフを言うたびに、飛雄馬になっているって、ずっと自己嫌悪に陥っていました。3年間も演じていた飛雄馬が体にこびりついていた。なかなか脱皮できなかったんですね。

そんななかで出合ったのが『機動戦士ガンダム』のアムロ。25歳のときでした。

当時のアニメは、SEやBGMが大きく入っていました。だから、セリフにある程度ボリュームをもたせないといけなかった。また、子供向けのため、言葉をはっきり伝えなければいけなかった。つまり、オーバーなお芝居ばかりを求められていたんです。

でも『機動戦士ガンダム』はそういう作品じゃなかった。『ガンダム』では、本当にリアルな芝居を求められた。アムロは根暗でメカ好き。全然ヒーローじゃないんです。だから「ハロ、今日も元気だね」という第一声のセリフを肩の力を抜いてボソボソッとやってみたんです。普段僕がしゃべっているような普通の声で。

僕は第一声がその役を決めると思っています。この第一声にOKをいただけたとき、「ああ、飛雄馬から解放された!」と感じることができました。『ガンダム』は大ヒットしました。「これで僕はプロとしてやっていける」とすごく自信がつきました。

二つの大きな看板ができたことで、業界にも認められ、いろんな役がいただけるようになったのです。アニメの仕事は面白い、自分をいちばん生かせる場所。『ガンダム』が終わって、僕が必要とされている場所はここだ、という思いが湧いてきました。もっとアニメの仕事をやりたくなってきたんです。

いろいろな仕事を経験することで
相乗効果となっていく

『機動戦士ガンダム』が終わってすぐ、ビッグプロジェクトのお話を青二プロダクションからいただいて、同時に事務所を移籍しました。ちょうど30歳という節目の年で、角川映画初のアニメ作品『幻魔大戦』に出演しました。「男は30歳のときにやっていることが一生を決める」。ある方に言われた、その言葉がすごく自分の中に残っていました。ここで僕の一生が決まると感じたとき、声優として生きていこうと決めたんです。

青二プロダクションに移ったことで、『カーグラフィックTV』のナレーターという仕事に出合うことができました。試しにプレゼンテーション的なナレーションをやらせていただいたとき、外車の美しさはまさにファッションショーだと感じました。ゆっくり優しく、ちょっとセクシーにしゃべってみたんです。すると尺が全然合わなかった。もっと早口で、と頼まれましたが、その雰囲気を生かしたかった。できません、と言って原稿のほうを変えていただいたんです。好評を得て、20年以上も作品を続けていくことにつながり、自分に信念をもって仕事に臨むことが大切なんだと学ぶことができました。

アニメ業界とは違う人たちと出会って、アニメと違うしゃべり方を勉強できた。アニメの仕事にもプラスに生かせるということもわかりました。ずっと同じところにいたら進歩はない。いろいろな仕事ができると、相乗効果となって、どの仕事にもプラスになっていくんだな、と。