【声優道】大原めぐみさん「声優になるのに年齢は関係ない!」

周りの人たちの支えに感謝
仕事と子育てを両立することの難しさ……

声優デビューして13年目に入った私ですが、これまでお仕事を続けてこられたいちばんの要因は、家庭環境に恵まれていたことだと思います。主人がすごく協力的で、応援してくれる人だったんですよ。私が「声優の勉強をしたい」と言い出したときも「君がやりたいのなら、やってみれば?」と賛成してくれて。私が説得する必要はまったくなかったです。

レッスンに通い始めてからは、主人が子供を見てくれるようになりました。主人は子供好きで、子育てが大変だとこぼすこともなく、私がレッスンから帰っても温かく迎えてくれました。レッスンは週1回、日曜の3時間でしたが、子供がまだ1歳くらいだったので、世話は大変だったと思います。主人には本当に感謝しています。

声優としてお仕事をするようになってからも、主人は協力してくれています。年に数回、映画のキャンペーンなどで地方に行く仕事もあるんですよ。1泊のときはご飯を用意して行きますけど、2泊以上になると、子供と一緒に外に食べに行ってもらったり、なるべく主人に負担がかからないようにしています。私が仕事で、主人も出張で出かけるときは、私の母親やママ友に助けてもらったこともありました。本当に周りの人たちの協力があって、何とかお仕事と子育てを両立してこられました。お世話をかけた皆さんには感謝の気持ちでいっぱいです。

それでももちろん、仕事と子育ての両立の難しさを感じたときもありますよ。たとえば、子供が病気になってしまったのに、自分は仕事に行かなくちゃいけない、というときは胸が痛みますね。でも、現場に穴をあけるわけにはいきませんから。また、仕事が入って子供の学校行事や発表会を観に行けないときもつらいです。そんなときは子供に「仕事のほうが大事なんだ」と思われるのは嫌なので、「同じぐらい大事だけどごめんね。観に行けないけど応援しているからね。頑張っておいで」と話して理解してもらっています。

〝無欲〟で臨んだオーディションで
のび太役に大抜擢

私の代表的なキャラクターといえば、やはり『ドラえもん』の野比のび太です。これまで12年間、私はこの『ドラえもん』という作品に育てていただいた感覚があります。

『ドラえもん』は子供の頃からめちゃくちゃ観ていました。「こんな道具があったらいいな」と妄想したり、勇気づけてもらったり、つらいときに現実逃避させてもらったり……すごく救われた作品です。気が付けば『ドラえもん』が存在していて、毎週この時間にテレビをつければドラえもんに会えるという安心感がありました。ストーリーも『水戸黄門』のように、最後に必ず平和になって一件落着する感じがいいんですよね。

そんな私がのび太役をやらせていただくようになったのは、事務所の所属になって1年か1年半くらいの頃でした。最初にテープオーディションがあって、「自分がやりたい役をやってください」と言われたので、のび太とドラえもんをやりました。そのときは、大好きな『ドラえもん』のオーディションを受けられるというだけでうれしくて、自分が審査に通るなんて1ミリも考えていなかったんです。

その後の2次審査は、スタジオオーディションでした。そこには、自分がすごいと思っていた声優さんたちがいらして、「あの方たちも受けてるんだ~!!」って、何だか夢のような感じでした。そういう方たちにお会いできてラッキー!!みたいな(笑)、ミーハーな感覚だったんですよ。本当に無欲で「ここまでこられただけで幸せ」という感覚しかなかったので、緊張もあんまりしなかったですね。

そして3次審査に参加しました。そのとき実は、もうあのメンバー(水田わさび大原めぐみ、かかずゆみ、関智一木村昴)で決まっていたみたいなんです。それを知らされていなくて「いろんな組み合わせで試しているのかな」と思いながら読み合わせをしていたら「これで決まりです」と言われて……。まさか自分が選ばれるなんて思ってなかったので、「ドッキリじゃないの?」とカメラやドッキリのプラカードを探してしまいました(笑)。頭も真っ白になって「うそでしょ? どうしよう? 選ばれちゃった」というのが素直な感想でしたね。

後でスタッフさんから聞いた話ですが、「素直で真っすぐなところが良かった」そうです。ヘンな欲もなかったし、「こうやろう」というものもなく、自分の中から自然にのび太くんを出せたのがよかったみたい。『ドラえもん』以前もいくつかオーディションを受けていましたが、何にも引っ掛かりませんでした。そんな私がこんな大きな作品に携われるようになるなんて、本当に驚きでした。