【声優道】水田わさびさん「運をつかむためには」

慣れない現場をフォローしてくれた先輩方
「声優業界って温かい」

声優の仕事をやるようになったのも、舞台がきっかけでした。劇団の舞台に立っていたときに、たまたま客席にたてかべ和也さんがいらっしゃって、私に声をかけてくださったんです。私はそのとき、顔を茶色に塗って馬の役をやっていたので、最初は名前も覚えてもらえず、「馬」って呼ばれていました。飲み会の席でも「馬、酒つげ」って(笑)。あるとき「太った男の子役のオーディションがあるから、受けてみない?」と言われてアニメのオーディションを受けたんですが、それが初めての声の仕事でした。1996年のことです。

声の仕事なんてまったく知らなかったですから、最初は戸惑いました。舞台と違って音を立てちゃいけないし、マイクのどこに立って、台本をどう持ってやればいいのか、何もわからなかった。運よく緒方賢一さんと同じ現場だったので、「こうすればいいから」って全部教えてもらいました。私は本当に現場に恵まれていて、先輩方から教えてもらいながら一つひとつ仕事を覚えていきました。声優さんの養成所に行けなかったけど、そのぶん、現場で先輩方から直接教わることができたのはラッキーだったと思います。

現場が終わって飲みに連れて行ってもらったときも、「わさちゃんは(支払いは)いいから」と、先輩方からよくおごっていただきました。あるとき、長尺の外画のお仕事があって、共演の皆さんと張り切ってお昼ご飯を食べに行ったはいいけど、財布を開けたらほとんどお金がなかったことがありました。「やばい! なんでご飯食べに来ちゃったんだろう?」と焦りましたが、そのときも「いいよ。今日はみんなで水田さんのぶん、払おう」って先輩方にお世話になりました。皆さん、すごくいい方ばかりで、私にとって怖い先輩はまったくいなかった。「声優業界って、なんて温かいんだ」って思いましたね。

舞台がきっかけで受けた
『ドラえもん』のオーディション

私の声優人生の中でいちばん大きな転機となったのは、やっぱり『ドラえもん』ですね。私、知らない間にオーディションを受けてたんですよ。あるとき一人だけポツンとスタジオに呼ばれて、『ドラえもん』の台本のコピーを渡されて、「ちょっと、これ読んでみてくれる?」って。当時私は、男の子AとかBの役で『ドラえもん』に出ていたので、「何かあったときのためにやっとくのかな?」くらいの軽い感覚でやったんです。

それが『ドラえもん』の最初のオーディションでした。後日、あれがオーディションだったと知らされて「もっとちゃんとやればよかった?」って思ったくらい。私一人ぼっちで、「スタッフさんもどこにいるの?」って感じで、ボイスサンプルを録るよりも質素な雰囲気でした。だからリラックスできたと思うし、モノマネじゃなく自分の声でやることができました。もし気張ってやっていたら、大山のぶ代さんのモノマネになっていたかもしれません。

オーディションは何回か受けました。同じテレビ朝日さんの『あたしンち』の収録の日に、「30分くらい早めにスタジオに入ってくれる?」と言われて行ったら「もう一回、ドラえもんの声、やってくれる?」って。それが2次オーディションでした。いつもだまし討ちみたいな感じですよね(笑)。3次、4次と進むとさすがにオーディションらしくなってきて、掛け合いの芝居もやるようになりました。

そして最終オーディションに呼ばれ、お芝居をして面接を受けました。待合室で待っていたら、そこから一人いなくなり、二人いなくなり……。「受かった人は、別の部屋に行ってるのか。早く帰りたいな」と思ってたら、カチャって扉が開いて、そこにカメラがあって「あなたです!!」って。それが結果報告で、その画が夕方のニュースで流れました。ビックリしましたね。オーディションの結果って、後日事務所から電話で知らされるのが普通なので、まさか当日現場で言われるなんて思ってもいなかった。ドッキリカメラみたいな感じでした。この特殊さが、『ドラえもん』なんですかね。

後で聞いたことですけど、このオーディションも舞台がきっかけだったんです。『ドラえもん』の監督さんが、「劇団すごろくに変な女の子がいたよね? あの子の声、聴いておきたいから」って呼んでくれたそうです。『ドラえもん』のオーディションは、声優の名前、年齢、事務所など全部非公開で、音声だけでスタッフさんたちが選ぶという珍しい形でした。監督も「君が残るとは思ってなかった」と言ってましたけど、もちろん、本人もビックリですよ(笑)。