【声優道】大谷育江さん「ピュアな気持ちで演じ続ける」

ボキャブラリーや演技の引き出しは
人と人とのつながりのなかで増えていくもの

声優という仕事をとことん本気でやってみようと思ったのは、初めて受けたアニメ作品『がんばれ! キッカーズ』のオーディションに合格して、現場に出るようになってからです。初のオーディションに受かってしまったことで、声優なんて簡単な仕事だというような気持ちもあって、私は現場でも「本当は舞台女優を目指してるんです」と言ってました。でも、声優さんの中には舞台をやっている方や顔出しの映像作品で活躍している先輩がたくさんいらっしゃるじゃないですか。声優というカテゴリーでくくられてはいるけど、全員が声の仕事を専門にしているわけではないということに気づいたんです。それまでは声優という職業にあまり興味がなかったので、実体がまったく見えてなかったんでしょうね。

それで、この声優という世界で名前をはせられなかったら、舞台役者になっても大したものにはなれないから、まずは声優のトップを目指そうと気合いを入れ直しました。声優という仕事に本気で取り組むまでにも、これだけの時間がかかったわけですが、当時の自分に会えるのなら「何を勘違いしてるの?」とお説教してやりたいくらいです(笑)。

デビューした当初はアニメより外画の現場のほうが多かったんですが、当時の洋画の現場はベテラン声優さんが8割で、新人がちらほらいるというような状況でした。だから先輩の演技を見て盗むこともたくさんあるし、自分が悩んでいると先輩がこっそりアドバイスをくれることもありました。何でこっそりかというと、演技に正解はないから。どんな演技を求めているのかを決めて、作品全体としてのバランスを整えるのはディレクターさんなので、役者同士で演技について話してもナンセンスなんです。たとえばディレクターさんがどうやって軌道修正しようか考えているときに、先輩が勝手にアドバイスすると、あれこれ言われた役者が戸惑って演技できなくなってしまうこともあります。ともすれば、ディレクターさんに対して大変失礼なことになってしまうから、下手なアドバイスはできません。ですから、収録が終わった後に一緒に食事に行った席などで「あの場面はすごく良かった」「あのシーンでは、こうするといいと思うんだよね」のように教えてくださいました。

駆け出しの頃は当然貧乏ですから、食事に誘われても「ちょっとお金がないので」と断ろうするんですが、「何言ってるんだ。俺たちが払うからいいんだよ」と先輩がおごってくださったりもしました。「俺たちも食えなかった頃には先輩に食わせてもらってたから、俺たちに返さなくていいんだよ。君がこの仕事で食えるようになったら、後輩に食わせてやれ」とも言われました。ただ、今はどの現場も若手が8割、ベテランは数えるほどという状況になってしまったので、多勢に無勢でとても全員におごれる状況ではないんですけどね(笑)。

別に食事や飲み会を強制してるわけではないんですよ。ただ、いい作品を作るためにはそういったコミュニケーションをとる時間があったほうがいいこともあるし、人と人とのつながりのなかで、ボキャブラリーや演技の引き出しも増えていくものなのではないでしょうか。少なくとも私は、先輩にアドバイスをいただいたり、信頼関係が築けたりと、得したことがたくさんありました。もっとも、リスペクトできるような先輩がいないと、単なるムダな時間になってしまうのかもしれませんが。私自身、後輩からリスペクトされるような役者でありたいし、そうなれているのか常に振り返っています。

画面のキャラクターを生かすのは役者の想像力にかかっている

マイクの前に立つと、先輩後輩は関係ないんです。だって、作品を観る人は「この人は新人だから多少下手でもしょうがない」とか「この人はベテランだからオンマイク(※1)なんだろう」なんて考えながら観ているわけじゃないでしょう。現場では先輩や後輩、主役や脇役などいろいろな関係性があっても、マイクの前に立って演技するというアプローチは全員平等なんです。そんな共演者の方々とどう渡り合うかは、お互いの信頼関係を培ったうえで、目いっぱい五感を使ってやっていくしかないと思っています。

私は会社員をしていたからわかるんですが、上司はすごく燃えているのに、部下はお給料分だけ働けばいいやみたいに、同じ会社、同じ部署内で仕事に対しての情熱が違っていたりすると、気持ちがすれ違ってしまってやりにくかったりするんです。一生懸命やったはずのことが、ありがた迷惑になってしまったりとかね。でも、声優の世界にはそれがないんです。もしかしたら、なかにはサラリーマンのような感覚で声優をしている人もいるのかもしれませんが、少なくとも私の経験では会ったことがありません。「いい作品を作りたい」という気持ちでみんなが同じ方向を向いているし、自分の力を思う存分発揮して演じればいいので、私にとってはとても居心地のいい環境でした。演技に集中するほど、どんどん感覚がとぎ澄まされていく。そして共演者とうまくセリフのキャッチボールができたときの爽快感というのは、たまらないし忘れられないですね。「一つの作品を作り上げた」というその爽快感が、画面を通して観ている人にまで伝われば、これほどうれしいことはありません。

アフレコにはアニメ以外にもゲームやドラマCD、外画などさまざまな媒体がありますが、演技するという意味では基本的に違いはありません。でも、強いていえばアプローチの仕方が違うかな。たとえば、外画は外国語をしゃべっている、人の呼吸に合わせて日本語をしゃべっているかのように見せるものなので、わりとナチュラルに演じないと浮いてしまうんです。でもアニメは、絵という生きていない存在に声を吹き込み、まるで生きているかのように見せるものなので、演技を大きくしないと伝わらなくなったりします。また、アニメのキャラクターは息をしているわけではないので、口パクに息継ぎのタイミングがなかったりもします。そういう理不尽な絵であっても、不自然じゃないようにセリフをしゃべり、キャラクターが生きているように見せなければいけない。そこをどうするかは、「このキャラクターだったら、こんなときどうやってしゃべるんだろう」という想像力なのではと思います。アニメには現実世界では考えられないようなぶっとんだキャラクターもいっぱいいるし、見たことないような生物も出てくるじゃないですか。それを、見ている人に「もしかしてこんな子がいるかも」と思わせるには、いかにキャラクターを掘り下げるかの想像力にかかっていると思います。

※1:音源に対し近距離にマイクをセットする収音方法。この場合、マイクに口を近づけること