役者が楽しく演じていれば、その熱が画面から伝わる
今の現場は、私が初期の頃に経験したものとはまったく違います。技術も進歩して、たしかに収録は楽になってきていますけれど、私たちの世代のほうが幸せだったかなと思うことがあるんです。物語を演じる楽しさが減ってしまっているような気がするんです。昔は1本の作品を録音するのに苦労もしましたし、いろいろと不便なこともありましたが、その分、楽しさもあったし、一緒に一つの作品を作り上げていく連帯感も味わえました。そういう意味では、私はいい時代に声優ができたなと感じています。
ただ、今の若い声優さんに対して「昔はこうだったから良かった」などというつもりはありません。若い方はすごく器用だし、反射神経もあるし、絵がない状態でも簡単に物語に入り込める感覚をもっていますものね。改めて、私などがあれこれ言う必要はないですね。
でも私は今でも、役者が楽しく演じていれば、その熱が画面から観ている方に伝わるものだと信じているんです。それが作品の雰囲気を作ると言ってもいいんじゃないでしょうか。役者もスタッフさんもその作品が大好きで、いい作品を届けるためにみんなで一つの方向を向いて頑張っているんだという熱意が大事だと思うんです。ですからまず、どんな役であっても、自分が演じる役を好きになってほしいですね。私は素敵な女優さんの声をあてさせていただくことが多かったので、特別な努力をしなくても好きになれたということは、すごく恵まれていたと思っています。どうしても好きになれない役もあるとは思うんですけど、そういうときにもせめて一つでもいいから好きな部分を見つける、好きなセリフを見つけてそこに情熱を込めて演じたほうが、絶対にいいものができると信じています。逆に「いつも演じているような役だから、気楽にやればいい」みたいな、そんな気持ちではやってほしくありませんね。慣れっこにならないこと、それがとても大事だと思っています。
今は声優さんもたくさんいるし、声優になりたい人もたくさんいらっしゃいますよね。だから、ちょっとダメな部分があると、すぐに取り替えられてしまう怖さがあると思います。そういう状況のなかで表現者として生きていくには、忙しさに流されてしまわないことが大切ではないかしら。いい音楽を聴いたり、本を読んだり、風や水のせせらぎといった自然の音の中に自分を置いてみたり、そんな時間を作るゆとりって大事。仕事とは関係ないと思われそうだけど、そういう時間がその人なりの独特の雰囲気、替えのきかない持ち味を作っていくんだと思っています。
お客様と自分の空気が混ざり合うあの感覚がとても好き
10年ほど前から年に1回、鎌倉の円覚寺で『池田昌子 語りの会』をやっているんですが、マイクの前で演じるのと、たくさんのお客様を目の前にして演じるのとでは、まったく違いますね。同じお客様の前で演じるにしても、舞台とも違って衣装やライトが助けてくれるわけでもありませんし、私の息づかいまで聞こえるんじゃないかというくらいお客様との距離がとても近いんです。台本に出てくる人物が一人ひとり生きていないとお客様には伝わらないし、朗読というより独り芝居に近い感じですね。始まるまではものすごく緊張するし、袖から歩いていってお客様の前に座るまでの間は「もう帰りたい」と思うくらいなんですけど、一声出せば後はもう平気になってしまって、終わった後はすごく楽しかったと思うんです。お客様がまとっていらっしゃる空気と私の空気が混ざり合う、あの感覚がとても感動的なんです。
お仕事の場では、どこでもほとんど私が最年長で、皆さんとても大切にしてくださってありがたいんですけど、そこにあぐらをかいて楽をしていてはダメですよね。甘えたい、楽をしたいというなまけ心に「初心を忘れるな」とカツを入れてくれる『語りの会』は私にとって大切な場所。怖いけれど大好きな場所なんです。お客様も喜んでくださっているみたいで、「ずっと続けてください」という声もいただきます。そういう場をもてるというのは、すごく幸せなことですね。でも、やりたい気持ちがあっても、体がついていけない年齢になってきてしまいました。お客様から「池田さんが心配だ」と思われる前に自分で幕を下ろしたいと思っているのですが、あと何回できるかなぁと思っています。
(2011年インタビュー)