【声優道】緒方賢一さん「声優の仕事でたった一つの存在になるために」

人間が体験できることには限界がある
だからこそ周囲の人々こそが最高の教科書になる

最近では、「大根」にものすごく興味があるんですよ。へたくそな役者のことを大根役者といいますが、大根というのはめったなことでは食あたりしないので、興行を打っても当たらない役者のことを大根と呼ぶようになったらしいんですけどね。

でも僕は、大根って何て素晴らしい素材だろうと思うんですよ。調理方法によっていくらでも料理が作れるし、いろいろな味が出せる。大根そのものは白いんだけど、そこから出発して、合わせる素材によってさまざまな色に染められる。見事なくらい利用度が高いんですよね。自分がもし大根のような役者になれたら、どんなに素敵だろうと思うんです。
だから養成所で教えるときも、生徒たちに「大根役者になれ」と言っているんです。そう言われたら最初はみんなびっくりするんですけど、僕が何でそう言うのかを説明すると納得して感心してくれるんです。だから僕は、大根役者という言葉の意味を覆そうと思っています。

ただ、人間が体験できることって限界があるじゃないですか。70年生きようが、100年生きようが、絶対限界があるんです。ものを表現しようとするとき、自分の中にそういう体験がなければ、外から借りてくるしかないんですよ。自分とはまったく違う人生を送っている人はたくさんいるわけで、そういう方々からヒントを得て表現するんです。なぜなら、自分だけでは大したことができないからです。

だから生徒たちには「周囲の人々から謙虚に学んで、自分が豊かにならないと、いい表現者にはなれないよ」と伝えています。誰しも好き嫌いがありますが、嫌いな物は自分の周りから排除したくなりますよね。でもそれでは大根役者になれない。いいものも悪いものも全部、自分の心の引き出しに収めておいて、必要に応じてそこから取り出して、それでも足りない部分は外から借りてきて、それで初めて演技ができるんです。

養成所でも、クラスに30人の生徒がいたら、30通りの生き様があるんです。これほど素晴らしい生き字引はありませんよ。なかには、クラスの足を引っ張ってしまうような子もいたりするんですが、「その子がいるせいでできない」という捉え方ではなくて、「その子がいるお陰でできること」を見てほしいんですよ。善人ぶっているように聞こえるかもしれませんが、僕の生き様としてはそうでありたいと思っているんです。

極端なことを言えば、生きていて、言葉がしゃべれる人間なら、誰でも声優になれるんです。でもそのなかで、ヒット曲の歌詞ではないですが「世界にたった一つの花」として咲けるかどうかでしょう。これは声優だけでなく、どんな仕事でもそうだと思います。その世界にたった一つの花になることが、トップに立ったということになるんでしょうね。

(2012年インタビュー)