立花慎之介 声優デビュー20周年インタビュー

【seigura.com限定】「立花慎之介 声優デビュー20周年インタビュー」完全版

立花慎之介 声優デビュー20周年インタビュー

声優デビューから20年、数々の人気作品で声優として活躍するだけでなく、歌手、ラジオパーソナリティ、作家、そして事務所の社長に養成所の講師と、マルチな才能を発揮してきた立花慎之介さん。そんな立花さんの20年間を振り返る特別インタビューが、好評発売中の声優グランプリ6月号に掲載! 『seigura.com』では、誌面では掲載しきれなかったお話を含めた完全版インタビューをお届けします。声優グランプリ6月号の誌面では、ここでは公開されていない写真も掲載されているので、要チェック!

いつも全力で仕事に向き合ってきた。だから、幸せな20年間だったんだろうなと思います。
30歳を過ぎた頃から仕事の幅が広がっていった

――今年でデビュー20周年を迎えられましたが、ここまで続けてこられての実感はいかがですか?

声優が一生の仕事になればいいなとは思っていましたけど、自分が何年やってきたかというのはあまり振り返ってこなくて、20周年というのもファンが教えてくれたんですよ(笑)。そう考えるとあっという間の20年だったし、そう思えるのは全力で仕事に向かえていたからなので、幸せな20年だったなと思います。

――20年経って変化した部分はありますか?

声優としての20年でいえば、演技力がついてきたり、声優業界の変化に対応できたりしていたのかなとは思うんですけど、人間としての20年だと大きくは変わっていない気がしています。20歳の頃とまったく同じ精神年齢かというともちろんそうではないけれど、自分が楽しいと感じることをずっとやり続けたいという思いや、好奇心旺盛な部分などは今も昔も変わらないです。

――好奇心が変わらないというのは素敵なことだと思います。

この20年で声優業界もいろいろ変わった部分がありますが、今でもそれらを一つひとつ楽しんで受け止められるので、そういう意味では心が若いのかなと。年を取ると懐古主義になって保守的にもなりますし、新しいものを取り入れるのが面倒になる人が多いと思いますが、僕自身はそういうことはなかったですね。

――声優として活動してきたなかで、どんなことを大切にしてきましたか?

これは僕がデビューした当時のイメージであって、今とはちょっと違うかもしれませんが、声優業はアニメーション、外画の吹き替え、そしてナレーションという3つの仕事に大別できるんじゃないかと僕は思っています。当時、ナレーションはちょっと特殊だから新人の僕には回ってこないだろうと思い、そこは割り切って捨てていたんです。あとは外画なのかアニメなのかというときに、僕はアニメをやりたかったからアニメを選びましたが、新人の頃は吹き替えの現場にも行っていました。そのときに思ったのは、僕は声を変えるのが苦手だということ。外画の現場は、老け役もできれば若者もできるし、やんちゃ系なキャラもできればクールなキャラもできるという、何通りもの引き出しをもっている器用な先輩が多く、そういった方は声質ごとガラッと変えられるんです。でも僕は声質を変えたところであまり変わらないし、無理して合わせるくらいだったら外画は諦めて、その代わりアニメに集中しようと。

――デビュー当時からいろいろ考えていらっしゃったんですね。

当時の僕は、アニメはとがった武器を持っている人たちが集まって、一つの円を作っているものだと考えていました。得意なところを任せたらもう抜群なんだけど、それ以外はそんなに得意じゃない。だったら、それ以外のところを武器として持っている人を現場に呼べばいい。外画で新人に求められるのはオールマイティーに役がこなせて、平均して80点を出せる人。逆にアニメは1本でも120点を出せることが重要なんだなと思うと、僕はアニメでオーディションを勝ち取って、その武器一本で勝負して、そのうち武器が増えていけばいいかなと思いながらやっていました。

――アニメだけでなく、ラジオに歌にと次第に仕事の幅が広がっていきます。

デビューが25歳で、だいたい30歳過ぎくらいにランクがついて、そこからですね。ちょうどその頃、トークをするのが面白いと思い始めたこともあって、ラジオの仕事は好きでした。仲の良かった日野(聡)くんとのラジオが始まったのもその頃で、日頃から日野くんはプライベートでしゃべると超面白いなと思っていたことがきっかけです。逆に現場ではめちゃめちゃ真面目なんですよね。

――2009年スタートの『日野聡vs立花慎之介 平成ニッポン・国取り合戦ラジオ!!』ですね。本誌2010年1月号には大阪ロケのレポートが掲載されていて、福山潤さんがゲストとして登場しています。

同い年で仲が良くて話も合う3人でしたが、福山はよく付き合ってくれたと思います。芸歴でいえば僕らのほうが新人なので。ここで学んだのは、福山のエンターテイナーぶりです。しゃべりもうまいし、自分に何が求められて、何をすべきかをわかって立ち回っている。そういうおしゃべりモンスターが身近にいたこともあり、この時期はしゃべり方というものを勉強する日々でした。

――同じ号で日野さんとのユニット結成が告知されています。

歌をやり始めたのもこの時期でしたね。実年齢としては30歳を超えた辺りで、やりたいことをやらせてもらえるようになってきた時期です。楽しいこととか、自分の企画したものを動かしていきたいなと思い始めた時期でもありました。そんななかで『黒執事』という作品に出合えて、同い年の男性声優がいっぱいいるぞという話になり、自分たちのやりたいことを自分たちのペースで遊ぶためのユニットを作らない?となって集まったのが「DABA」です。

――当初は正体不明のユニットでした。

そうなんです。最初は名前を明かさないで動いていました。自主ユニットだから、自分たちでスタジオを押さえてwebラジオを録音して。それでホームページを作って、声優なのか何なのかわからない7人がやっているという体で流そうぜというところからスタート。ちなみに7人が7人、最初から全員を知っていたわけではなく、不思議な縁で集まってきたんですよね。しかも全員が同い年で、早生まれもいないという。みんな仕事もある程度順調で、自分のやりたいこと、わがままみたいなものが少しずつ通るようになってきたのが30代だったのかなと。

――やりたいことや興味のあることのなかには会社設立もあったのでしょうか?

10年経つくらいまでは考えたこともなかったです。まさか社長になるとか、事務所を立ち上げるとか、まったく思っていませんでした。でも、そのきっかけになったのはDABA(※正表記は「D」のみ左右反転)なんですよ。DABAは自主ユニットなので、基本的に企画を立ち上げるのは自分。企業さんにはあくまで「こういうことをやりたいので、お手伝い願えますか?」という話をするだけなので、僕らが考えて動かない限り何も進まない。あとはDABA7人のルールとして、全員がやりたいと言わなければやらないということがありました。なので、企画を通すにしても実現させるにしても全員参加の会議が必要ですし、そこに男7人、しかも個性的な輩ともなれば、意見が合うこともあればその逆もあって。それでも物事を進めるためには、自分の意見と相手の意見の折衷案が必要になる。そんなときに特に福山とは意見が合ったというか、違う意見をもっていたとしても「じゃあ、こうしようよ」という話ができていたんです。

そういっていろんな話をしているうちに、僕が会社を作りたいなと思い始めました。どうせだったら楽しく、業界的にも新しいものをやりたいなと思ったときに、「役者と役者のダブル社長でやっている事務所ってないな」と。それってセンセーショナルだし、ダブル社長のメリット・デメリットもちゃんと理解しつつ、福山とだったらもしお互いの意見が違っていたとしても、何らかの形の折衷案を取りつつ前に進めるんじゃないかと思ったんです。もしDABAがなかったら、彼の性格や考え方を身近に感じられなかったので、たぶんこの選択肢はなかったと思います。

――ちなみにこの頃から本誌にご登場いただく機会も増えていきますが、特に印象に残っているものはありますか?

これはもう、やっぱり「へあちぇん!」(2011年10月号)ですね。なんでインドの王子風の格好をしたのかについては記憶が定かではありませんが(笑)、『黒執事』のソーマがインドの王子だったので、時期的なものがあったのかもしれません。新人の時は髪を長くしていたんですよ。ずっとくせっ毛だったからというのもありますが、一番の理由は現場で自分を印象づけるためで、当時は地毛で背中の真ん中くらいまで伸ばしていました。普段と違う自分を出せるのは好きなので、「へあちぇん!」はとても楽しかったです。

人にちゃんと謝ることで学べることがあると知る

――2018年には福山潤さんと共同経営で新事務所BLACK SHIPを設立。この5年間で、社長業の大変さを感じられたことはありましたか?

いちばん強く思うのは、会社を立ち上げた以上は他人の人生を背負うことになるということ。社員を路頭に迷わせるわけにもいかないし、うちを選んで入ってきてくれたからには「ここにいて良かったな」とか「ここで仕事していて良かったな」と思ってくれないと意味がない。そのためにどうしたらいいのかなというのは福山とも話し合いをしました。役者って基本的に個人事業主で、振り回す人がいない分、自分の好き勝手できるんですけど、社長になってしまうと振り回される社員たちが出てきます。ときには強権を発動して振り回す必要もありますが、そればかりやっていたら人はついてこないし、社員にもそれぞれ感情がある。それがやっぱり難しいというか、一つの企業としてみんなで一緒にやっていくという部分に対して「ああ、いいな」と思うときもあるし、「めんどくせーな」と思うこともあります。でも、それって人間だからしょうがないし、それがあるからこそ「なるほど、そんな見え方があるんだ」ということを知ることができました。

――社長を務めることで守るものもできたという感じでしょうか?

同じ時期に僕は結婚もしているので、新しいものを作りながら、守らなきゃいけないものも増えて、その分やることも増えてという時期でしたね。

――社長業と声優のお仕事を並行することで、役者として、人間として成長できた部分はありますか?

そうですね。優しくなりました(笑)。あと、素直に「ごめんなさい」って言えるようになりましたね。「負けて得られるものや、学べることもあるよね」というふうに意識が変わったんだなと思います。それと、「ごめんなさい」を言うことによって、自分の中に今までなかった考え方や認識が新しく増えるんですよ。こういう助言は妻からもらうことが多くて、もしかすると僕はちょっと感情的な人間なのかもしれないということを、そこで初めて理解しました。

僕はクールで感情表現がない、もしくは感情を抑えて表に出さないタイプの人間に思われることが多いのですが、実際はそうではなく、自分でも気づかないところでイラっとしたことを言葉に乗せてしまっていることがあるみたいなんです。それなのに怒ってないという態度をとるから、逆に妻から「それって怒ってるじゃん」と言われて、「そうか。俺は今、怒ってるのか」と、乖離していた自分の感情と思考がだんだん近づいていって、それを言葉にすることによって、なんで怒っているのか、なんでイラついているのかという理由を自分で説明できるようになったんです。やっぱり、ちゃんと言葉にするのと、ただ「ムカついた!」って言ってどこかに行くのでは、まるで印象が違いますし。

――たしかに、大違いだと思います。

それは子供の教育にも重要なんだろうなと、子供ができてから思うようになりました。むしろ僕より子供のほうがすごいですよ。今、これを言われてイライラしてるって、ちゃんと言いますからね。「俺、負けてるな」って思う(笑)。ここ5年くらい、そうやって自分の感情をコントロールするために感情を知るということを繰り返しています。おかげで台本の読み方もより一段深く読めるようになったなと思いますし、そこは家族や社員たちに助けられているなと思っています。いくつになっても学べることは多いですね。45歳はまだまだ子供です。

――声優として、また社長として、さらなるご活躍を期待しています。

やることすべてが経験値になって、それらを基にこれからの自分を弾き出していくので、今後もなるようにしかならないのかなと思ったりもしますが、これからもよろしくお願いします!

【プロフィール】
たちばなしんのすけ●4月26日生まれ。BLACK SHIP所属。主な出演作は、アニメ『ブルーロック』(時光青志)、『じゃんたま PONG☆』(明智英樹)、『乙女ゲー世界はモブに厳しい世界です』(ブラッド・フォウ・フィールド)、『文豪とアルケミスト ~審判ノ歯車~』(島崎藤村)、『アイドリッシュセブン』(千)、『神様はじめました』(巴衛)ほか

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声優グランプリ 2023年6月号