『ドラえもん』を演じている実感が湧かず
「いつクビになるんだろう?」とおびえた
2005年から『ドラえもん』をやらせていただいて、早くも10年目を迎えました。ドラえもんは国民的キャラクターなんですが、役が決まった直後は、ありがたいことにあんまりプレッシャーを感じることはなかったです。まず藤子・F・不二雄先生の原作45巻と『ドラえもん』関係の書物をたくさん読んで勉強する必要がありました。『ドラえもん』関連の取材に答えられなきゃいけないので。さらに玩具やCMなどのドラえもんの声も全部収録し直さなきゃいけなかった。あまりにも作業が多くて、それに追われて正直プレッシャーを感じている間がなかったんですね。
テレビでOAが始まっても、あまり実感が湧かなかったです。当時は「とりあえず半年続ければいいや。半年でクビになったら、それはそれで向いてなかったんだと思おう」と思っていました。それは共演者の大原めぐみさん(のび太)、かかずゆみさん(しずか)、関智一さん(スネ夫)、木村昴さん(ジャイアン)との間でも話していました。「25年間続いた番組だから、多分いっぱい叩かれるよ。半年続けられたらいいよね」って。半年続いて、1年くらいたって映画をやらせてもらったときに、初めて「よし!! 私、ドラえもんをやらせてもらえているんだ」と実感することができました。
それまでは「私はいつクビになるんだろう?」っておびえる日々がけっこうありました。アフレコ現場は皆さん温かかったんですけど、ときどき背広を着た偉いプロデューサーさんがいらして、いろいろ注意をされるんですよ。この業界、やっぱり数字(視聴率)が大事なので、数字が落ちると「皆さん、頑張ってください!!」って。それだけ注目されている作品なんですよね。まぁ、芝居を変えて数字が上がるなんてことはまずないんですけど(笑)。でもとりあえずハッパをかけられると現場がピリっとして、こっちも「はい、頑張ります!!」と答えますし、藤子・F先生の原作を読み返したり、CDで先生のお話を聞いたりして、また新たな気持ちで取り組むことができました。
そんな『ドラえもん』の現場を通して、私たちキャスト5人の絆はすごく強くなりました。5人で泣いた日もありますし、いろんな困難を乗り越えてきているので。まぁ、表向きは私が座長ですけど、実は関さんが真の座長で裏ボス(笑)。私が迷ったりつまずいたりしていると、必ず関さんが電話をくれて「わさドラだったら、こうするんじゃない?」と的確な指示をくれるんです。すっごく優しい方です。関さんとは付き合いも古いし、今一緒に『ドラえもん』をやらせてもらっているのは、私にとっては心強いかぎり。ときどき「関さんじゃなかったら、私は誰を頼ってたんだろう?」って思っちゃうくらいです。
チャンスはどこに転がってるかわからない!
どんどん外に出ていって
私は劇団すごろくで女優デビューして、もう20年になります。「この業界で長く生き残る秘訣は?」なんて聞かれることもありますけど、これは私が聞きたいくらいですね(笑)。
ただ、いちばん大事なのは「健康第一」ですかね。今専門学校で若い子たちと一緒にお芝居をやっていますけど、やっぱり「病弱な子はちょっとしんどいかな」と思います。どれだけお芝居が上手でも、年中風邪を引いてたら心配ですもんね。
私、自慢なんですけど(笑)、高校卒業まで無遅刻、無欠席、無早退なんです。〝休む〟ということを教わらなかったんですね。劇団すごろくで、先輩の代役でデビューできたのも、劇団を休んでいなかったからだと思います。「下手だけど、毎日稽古場に来てるから」と言われましたから。〝健康で、休まない〟ということは大事なんですよ。
それと、人当たりも大事です。いい人、面白い人、気が利く人、一緒にいると癒やされる人……そういう人は周りから好かれるので、チャンスをつかみやすくなると思います。さらに好奇心旺盛で、いろんなことに興味をもつこと。一つのことを深く追求するのもいいけど、役者の場合、いろんなことを広く浅く知っておくことが大切です。現場ではガヤをやることも多いけど、「野球を知らないから野球アニメのガヤができない」「競馬を知らないから、『マキバオー』のガヤができない」というのは通用しませんので。
最近の若い人たちを見て思いますけど、みんなめっちゃ芝居が上手なんです。私のほうがみんなから教えられる部分も多いですね。何でもこなせちゃうから逆に埋もれちゃうんじゃないか、器用貧乏にならないかと心配になるくらい。
ただ、芝居がうまければすべてOKというわけでもないんです。専門学校を卒業した優秀な子が、あるプロダクションの預かりから正式所属に上がれなくて、「わささん、上がれませんでした」と言ってきたりするんですよ。私も「こんな上手な子でも上がれないんだ。何でだろう?」と思ったりします。すごく芝居がうまくても、その人と似たタイプの人が同じ事務所にたくさんいたとしたら……多分入れないですよね。そういう運とかタイミングというのも、すごく大事なんだと思います。
こんなこと言ったら申し訳ないですけど、私なんて運だけでここまで来ましたから(笑)。誰とどのタイミングで出会うか、というのはすごく大事なんですね。私の場合は、舞台きっかけが多かったです。劇団すごろくの舞台に出て、たてかべ和也さんと出会って声優になれましたし、『ドラえもん』の監督に観てもらってオーディションに呼んでもらえました。ほかには、養成所でうまくいかなくて居酒屋でバイトしていたら、お客で来た先輩に「バイトしてるの? もったいない。舞台に立ってみない?」と声をかけられて、舞台に出て事務所に入れた、という人も実際にいます。本当に、チャンスなんてどこに転がっているかわかりませんから。
だからネットやゲームばかりやってないで、どんどん外に出ていったほうがいいと思います。私、子供が生まれてからもバイトに行ってましたもん。だって、事務所から仕事の電話を、家でず?っと待っていてもしょうがないですから。子供を産むとそれだけブランクが空いて忘れられているんだから、電話を待ってるだけじゃダメです。無理してでもお芝居を観に行ったり、「小さい役でもいいから」と舞台に出たりするほうがいいと思います。
バイト、劇団、声の仕事、育児の
〝4足のわらじ〟をはいて……
私は出産した後、子供を連れて稽古場に通って舞台で復活しました。新人の頃はバイト、劇団、声の仕事の〝3足のわらじ〟をはいていましたけど、子供を産んでからは、バイト、劇団、声の仕事、育児の〝4足のわらじ〟をはくようになりました。出産後に「もういいや」と落ち着いちゃって、ただ事務所からの電話を待つだけだったら、もしかしたら今の私はいないかもしれない。出産後も仕事をしたい気持ちはありましたし、「自分は結婚して子供を産むために東京に来たわけじゃない」と思っていたので、やっぱり仕事をしようと。正直悩みましたけど、冷静に考えて結論を出しました。女性なら誰もが一度は通る道だと思います。家庭をとるか、仕事をとるか……どちらも正解だと思いますけど。
母親になって、仕事にもいい影響がありました。たとえば『ドラえもん』を子供と一緒に観ていると、「子供って、こういう描写が好きなんだ」といちばんリアルに視聴者の反応を見られるんですね。そのあたりは助けられています。また子供は本を読むとき、独特の節回し(※1)をするんですよ。大人にはできない、子供にしか出せない節回しがあるんです。なので、うちの子を見て「子供の役が来たときには、こうしよう」と研究していました。
私、2年前に無理をして年3本も舞台をやったんですけど、私が舞台をやると誰かに子供を見てもらわなければならないので、すごく迷惑をかけるんです。それがわかったので、今はちょっとお休みしています。でも、またチャンスがあれば舞台に立ちたいと思っています。今の私があるのは、本当に舞台のおかげ。だから舞台には感謝しているし、忘れたくないんです。
※1:歌謡や語り物などの調子や抑揚の変化のこと
(2014年インタビュー)