【声優道】冨永みーなさん「仕事が巡ってくる法則」

『声優道 名優50人が伝えたい仕事の心得と生きるヒント』が3月9日から期間限定で無料公開中!
臨時休校などで自宅で過ごす学生の方々へ向けて3月9日~4月5日までの期間で随時配信予定となっている。

アニメや吹き替えといった枠にとどまらず、アーティスト活動やテレビ出演など活躍の場を広げ、今や人気の職業となっている「声優」。そんな声優文化・アニメ文化の礎を築き、次世代の声優たちを導いてきたレジェンド声優たちの貴重なアフレコ秘話、共演者とのエピソードなど、ここでしか聞けない貴重なお話が満載。

それぞれが“声優”という仕事を始めたキッカケとは……。

声優ファン・声優志望者だけでなく、社会に出る前の若者、また社会人として日々奮闘するすべての人へのメッセージとなるインタビューは必見です。

仕事が巡ってくる法則

▼5歳から子役になり毎日が遠足みたいな感覚に!?
▼学生が終わったとき、「この道で歩んでいこう」と決意を
▼レギュラーの仕事の終わりは新しい仕事が入るチャンス
▼「カツオできるか?」と聞かれて思わず「できません」と言った
▼『サザエさん』は〝1週間たてばまた会える家族〟
▼息子の年から母親の年まで幅広く演じてみたい
▼私たち声優は、作品作りに携わっている歯車なんだ

冨永みーなさん

【プロフィール】
冨永みーな(とみながみーな)
4月3日生まれ。俳協所属。主な出演作は、アニメ『サザエさん』(カツオ)、『それいけ!アンパンマン』(ロール・パンナほか)、『スマイルプリキュア!』(マジョリーナ)、『めぞん一刻』(七尾こずえ)、『地獄先生ぬ~べ~』(細川美樹)ほか多数。

5歳から子役になり毎日が遠足みたいな感覚に!?

私の場合、子役がスタートで、5歳のときに『鯉がいる村』という映画に出たことがこの道の始まりになりました。その後に劇団こまどりという児童劇団に入って、ドラマやCMのお仕事を始めました。声のお仕事は7歳のとき、NHKで放送していた洋画『大草原の小さな家』のアテレコが最初です。まだ小学生だったので、ヘッドフォンを劇団の先生が代わりにつけて、私は肩を叩かれたらしゃべるように言われていました。マイクにも届かなかったので、箱の上に乗ってやっていましたね。

当時は子役の出る作品が多かったんですよ。『ベンジー』に『禁じられた遊び』、『サウンド・オブ・ミュージック』、それにテータム・オニールの『ペーパームーン』……洋画はたくさんやらせていただきました。それまでは大人の女性の方がやられていたのを「実年齢の子供にやらせてみよう」という業界の流れもあったようで、タイミングが良かったみたいですね。

アニメーションのほうはもう少し後で、小学校5年生のときでした。『あらいぐまラスカル』のアリスという女の子の声をやったのが最初でしたが、その時代に、実年齢に近い人がアニメの声をやるというのは珍しかったと思います。そんなふうに始まって、もうずっとこの世界でお仕事をさせていただいています。当時は幼なかったので、特に「芸能界に入りたい」という意識はなかったんですが、お仕事の現場はとても楽しかったです。朝、集合場所に行って、現場までバスに乗って……というのがね。毎日が遠足みたいな感覚だったんですよ。

児童劇団ということもあって、先生が「学業優先」という方針を貫いてくださったのはありがたかったですね。始業前の早朝に現場に行って、学校が終わってからまた現場に戻るという感じでした。洋画の吹き替えも土日がメインだったので、学校にはきちんと通えました。周囲の子たちにも「こういうお仕事をしているから」と見られたくなかったので、勉強も頑張っていましたよ。撮影や収録の合間にロビーで宿題をやっていると、大人の人たちに「あらら、宿題?」なんてからかわれたりして……。でも「好きなことをやめたくないから、勉強もきちんとやらなくちゃ」って思っていましたね。本当に、このお仕事が好きだったんだと思います。大変とは思わなかったですね。浪川大輔くんや坂本真綾ちゃんが同じ劇団の後輩にあたるんですけど、同じようにやってきた仲間が同じ声優界にいてくれてうれしいです。

学生が終わったとき、「この道で歩んでいこう」と決意を

私が高校生のときにアニメブームになって、それまでの人生でいちばん多くアニメーションのお仕事をやらせていただきました。この時期には本当にいろんなことをやらせていただいたんです。ラジオのパーソナリティをやらせていただいたり、歌を歌わせていただいたり、イベントにも出演させていただきました。また、そういうイベントに出るとけっこうしゃべるほうだったので、「司会をやったらいいんじゃない?」と言われて司会も務めることになったり。この頃はお仕事が一気に広がった時期ですね。それが23歳ぐらいまで続きました。

今のアイドル声優さんとは比べものにはなりませんけど、いろいろやらせていただきました。『声優グランプリ』さんにも出させていただきましたし。何だかこそばゆいんですけど、今思うと、私もアイドル声優だったのかな?って(照)。もちろん当時は、アイドルのつもりだったわけじゃないですけどね。「I'm 20」とかって歌も歌っていたし、今、振り返るといい思い出です。

子役をやっていた小学生の頃から、仕事に対しては当然甘えが許されなかったし、そういう意味では大人だった部分はありますね。だからこそ「学生生活は楽しもう」みたいな気持ちがあって。周囲の友達ともいい関係でいられたし、特別扱いというのもなかったです。部活動には入っていなかったけど、私には、仕事が部活動みたいな感覚でした。

高校卒業後は、日大の芸術学部映画学科の演技コースに進みました。私、大学に入ったらもっと遊べるんじゃないかって思っていたんですよ。でも現実は、実技の授業が多くて、そのうち授業を休みがちになり、仕事と大学のバランスがうまく保てなくなってしまいました。私がいたのは演技コースですから、周囲は〝これから役者になりたい人たち〟なわけですよ。でも、私はお仕事をしながら学校に通っていて、「何で、もう仕事をしている人が学校に来ているの?」という疑問を投げかけられることもありました。自分でも「私は何なんだろう?」と思ってしまって、結局2年生のときに断念して大学を辞めました。

〝学生〟じゃなくなって、「じゃあ、私の肩書きって何だろう?」と初めて考えたんです。それまでは声優とか役者という肩書きの前に〝学生〟という肩書きがあって、そのことに助けられていたんだなって、そのとき気づきました。子供の頃からずっとお仕事をしてきた私ですが、初めて「この道で歩んでいこう」という決意みたいなものが生まれたのは、このときだったと思います。