【声優道】キートン山田さん「「ナレーション」という名前の役を演じる」

転機となった『ちびまる子ちゃん』との出合い

僕にとっての転機となったのは、『ちびまる子ちゃん』のナレーションです。

キートン山田に改名してからは、自分らしい表現というものを試行錯誤していましたが、その一つにナレーションがありました。できるだけ作らず、自分らしくナレーションをしたらどうなるんだろうと、ずっと考えていたんです。やはりどこかに無理をかけて作ったものは、長くは続けられませんからね。また、それまでにいろいろな仕事を受けてきましたが、キートン山田としてぴったりの仕事、代表作になるような仕事があるはずだとも思っていました。

『ちびまる子ちゃん』の仕事が来たとき、すぐに「これだ」と感じたんです。決して無理せず、しかし思いを込めてナレーションをするという、望んでいた形の仕事ができたと思ったんです。

役者の世界では、どれだけ努力をしても報われないこともあります。実力があっても、自分にぴったりと合うような仕事に巡り合うための運がなかったために、辞めていく人も大勢います。僕もそういう人たちを数多く見てきました。そんな世界で、決して演技がうまいわけでもない僕が生き残っているということが、若い人たちにとっての励みになったらいいですね。

人は一人ひとり顔も違いますし、声も違います。それが個性なんです。他人のまねをしても身に付かないし、小手先のテクニックではどうにもならないんです。全部個性と捉えて、それを人前で恥ずかしがらずに全部さらけ出すようにすれば、その個性を認めてくれる人に巡り会えるのではないでしょうか。僕も44歳で『ちびまる子ちゃん』と巡り合い、本当の意味で生まれ変われたと思っています。

ナレーションの極意とは自分の感覚で語ること

今ではさまざまな番組のナレーションをさせていただくようになりました。お陰でときどき「ナレーションの極意とは?」みたいなことも聞かれますが、僕もはっきりとした信念や理論の裏打ちがあるわけではないんです。ただ、『ちびまる子ちゃん』などがわかりやすいかとは思いますが、僕はナレーションを「ナレーションという名前の役」だと思って演じているんです。

キートン山田になって初めてのナレーションの仕事は、あるバラエティ番組でした。それはかなり早口でしゃべり倒すようなナレーションだったので、とにかく感じたままやりたいようにやろうと思ったんです。それでダメ出しされたら、そこから考えようと思っていましたが、最初のプランでOKが出てしまいました。その番組のナレーションは7年くらい続きましたね。

その番組をやっている最中に、『ちびまる子ちゃん』のナレーションの仕事が入ったんです。僕としては、どちらも自分が感じたままに、自分らしくしゃべっているつもりなのですが、テンポや口調が両極端に違うので、最初は同一人物がしゃべっているとは思われなかったくらい。誰かとの会話で物語が進んでいく演技と違って、ナレーションは自分一人でする仕事です。だから大事なのはやっぱり、自分ならではの感性だと思うんですよ。バラエティ番組であっても、旅番組であっても、グルメ番組であっても、自分の感覚にもとづいてしゃべらないと、ただ文章を読まされているだけになっちゃう。ですから僕は、ナレーション原稿は叩き台だと思っています。よく、原稿に書かれていないことをしゃべっちゃったりするんだけど、それは僕自身の思いだから止められないし、結果として番組が成立すればそれでいいと思っています。もし極意があるとしたら、こういうことかな。

もう一つ、ナレーションは最後に入れるものだから、決して映像を邪魔しないようにとは思っています。いわば、しゃべるBGMみたいな感じでしょうか。特に旅番組などでは、映像があって、出演者がしゃべっていて、テロップが出てと、ナレーションがなくても大体のことは伝わるじゃないですか。ですからナレーションなんて、必要最低限でいいんです。決してうるさくなく、耳ざわりにならないように、なおかつそこに自分の感覚を乗せてしゃべれるようになるといいですね。
どんな役者でも、事前に準備をすればするほど、稽古してきたものを全部出したくなっちゃうんです。でもそれをやると、非常にうるさい(笑)。時間をかけて十分に準備して、そこから何をどう引き算するといちばん効果的なのか考えるのも役者の仕事です。だからよく現場でも、用意された原稿を見て「この部分はいらないんじゃないの?」といったように、スタッフの方と相談しています。