どんな作品であっても出演作から学ぶことがある
ときに声優の演技が、そのキャラクターの基本設定を変えてしまうこともあります。『宇宙戦艦ヤマト』にアナライザー役で出演したときは、最初は「分析ロボットなので、基本的に感情を入れないでほしい」と言われたんです。でも、ただ機械的にしゃべるだけでは面白くないし、僕が演じる意味がないじゃないですか。それで、収録では許される範囲で少しずつ感情を出していったんです。今ではアナライザーは、酒も飲むしスカートめくりはするしという非常に人間的なロボットと思われていますが、そこには僕の演技の影響があるんじゃないかと思っています。
あと印象的な役といえば『少年徳川家康』の酒井雅楽助正親です。ずっと徳川家康に付き従っていた家臣で何て豊かな人なんだろうとその人間性に惹かれました。そこから酒井雅楽助正親に興味をもって調べたりもしましたね。僕は基本的に、出演作品から学ぶことが多いんです。どんなにエッチな作品でも、どんなに完成度の低い作品であっても、そこを通して自分を見つめていきたいんです。それで、最終的には自分の演じたキャラクターを超えるような人間になれたらいいですね。そういう意味では、『少年徳川家康』は僕自身に大きな影響を与えてくれた作品です。
別の意味で忘れられない作品は『燃える!お兄さん』ですね。作品自体も「こんなにやっちゃっていいの?」っていうくらいハイテンションで、僕の演じた国宝憲吉も、終始叫びまくっているようなキャラクターなんです。収録のときは、叫ぶたびに頭の毛細血管がプチプチ切れまくっているような感覚がありました。千葉繁氏もわりとそういうハイテンションな役を演じることが多いので、二人で「俺たち、よく生きてるよな」と笑い合ったこともありました。同じ系列のキャラクターとして『魔法陣グルグル』のキタキタおやじがいますが、我ながらよくあんな役を演じたなと思います。僕はダジャレが好きなので、アドリブでダジャレを入れることも多いんですが、こういうハイテンションなキャラクターではかなり連発していた気がします。今まで演じたなかでどんなダジャレを言ってきたのか、忘れてしまったものも多いので自分でも知りたいですね。
アニメ以外では、NHK教育の人形劇にもたくさん出演させていただきました。『ざわざわ森のがんこちゃん』でカッパを演じたときには、登場シーンで「かっぱ64(8×8=64)」というアドリブを入れたんです。それが面白かったらしく、掛け算好きという設定になってしまい、僕がアドリブを入れなくても脚本家が台本の中にギャグを書いてくるようになりました。昔のNHKはそういう遊びを入れるのが難しかったので、『プリンプリン物語』ではほとんどギャグをやっていません。でも、僕が演じた軍曹の「~でございますですよ!」という語尾はアドリブです。そうしたら脚本家さんのお孫さんが軍曹の言い回しを大変気に入ってくれたらしくて、当初はアクタ共和国編にしか出演しない予定だったんですが、最後までプリンセス・プリンプリンの一行にくっついていくことになりました。そういうこともあるので、役には何かしらのチャレンジを入れていきたいんです。それによってキャラクターも膨らんでいくじゃないですか。ディレクターさんに却下されることも多いんですが、何もないよりは、して失敗したほうが絶対にいいと僕は思ってます。
『はじめてのこくご ことばあ!』では、顔出しでテレビ出演もさせていただきました。ところが、これがけっこう難しいんです。一緒に出演している子供たちは「自由にしていていいよ」と言われているんですが、僕は台本を渡されていて、子供たちの相手をしながらも台本どおりに進めていかなきゃいけない。子供たちは本当に自由で、何をするかまったく予想がつかないので、えらく苦労をしました。しかも、子供たちの動きに合わせようとすると、どうしてもオーバーアクションになってしまい、カメラの枠からはみ出してしまうんです。いろいろと勉強させていただきましたね。ときにはびっくりすることもあって、口の動きだけで何を言っているのかを当てるクイズでは、僕は「たいよう」と言ったつもりなのに、子供の答えは「あいよく」(笑)。もちろん放送はされませんでしたが、何で小さな子供がそんな言葉を知っているんでしょうね。多分、両親の言葉やテレビから自然と覚えてしまったんだと思いますが、子供はあなどれませんよ(笑)。
収録中に倒れたり、入院も経験
役者として舞台の活動だけはやめられない
たくさんの番組でたくさんの役を演じてきた僕ですが、収録中に倒れたことがあるんです。『一休さん』に出演していたときなんですが、2本録りの1本目が終わったところで世界がぐるぐる回り始めて、汚い話なんですが上から下から物が出るみたいな状態になってしまい、スタジオの近くにあった病院に担ぎ込まれました。
当時は1カ月に70本くらい収録があったんですが、どうやら三半規管がおかしくなってしまったみたいなんです。まあ、スタジオで出される無料コーヒーをガブガブ飲んでいた、ということも原因かもしれませんが(笑)。それからは多少、健康には気を付けるようになりました。と言っても、特にスポーツなどをしているというわけではないんですが、舞台に出演していると、歌ったり踊ったりするシーンもありますし、ときには走らなければならないこともあります。役者の訓練は肉体を鍛えるためではなく、自分を解放するためにやっていることなんですが、そういう動きが一種のトレーニングになっていたのだと思います。
そうしていてもさすがに肉体は衰えてくるもので、2011年の暮れには手術のために入院しました。10月からずっと血尿が出ていたんですが、舞台があったので検査を先延ばしにしていたんです。最初は尿道結石という話だったんですが、いろいろ調べてみたら腎盂ガンだということで、左側の腎臓を取りました。手術自体はあっという間で、翌日からリハビリのために歩かされました(笑)。お陰様で、退院してからは皆さんに「顔色がいいね」といってもらえるんですよ。余分な物を取っちゃったから身軽になったのかな(笑)。
でも、そういう経験をしても舞台だけはやめられません。いただくお仕事だけをやっていると、自分自身を探求する場がなくなって、芸道もそこで停滞してしまうんです。だから自分を鍛えるためもあって、今でも舞台活動を続けています。最初は芸の基本を勉強するために劇団に入ったんですが、役者としてのスタートを切ったのが舞台なので、舞台だけは最後まで続けていきたいですね。
昔は、演じるキャラクターの人間性を、喜怒哀楽という枠の中だけで捉えていました。ところが宗教で人間を学ぶようになって、人間の心にはもっとたくさんの感情があるという考え方を知ったんです。
弘法大師として知られる空海は、人間の心が悟りに至るまでには十の段階があると称えました。さらに日蓮上人は、人間の心の境地を地獄界から仏界まで十の世界に分類して、どんな人でも心の中にその十の世界を同時に持っていると説いたんです。
これを「十界論」といいます。さらに、その十の世界の中には、それぞれ十の命が宿っているというんです。つまり人間の中では、常に百の命が揺れ動いていて、そこからいろいろな感情が生まれてくるんですね。十界論を知ったときは、あまりにも奥が深すぎてとんでもないと思いました。でも、そんなことをまったく知らなかったときよりは、十界論を知ってからのほうが、よりキャラクターの人間性に迫れるようになった気がします。