主役は取り扱う素材で
紹介する自分はあくまで裏方
今では声の仕事以外にエッセイも書いていますが、私の中では方向性の違いは感じていないんです。私はDJとしてフリートークをしていましたが、DJって自分のことはあまり話さないんですね。たとえば、この曲のここがいいと紹介したり、リスナーからのハガキを元に「こういうことを言っていた人がいます」などと語る。それは自分の話ではなく一種のレポートですよね。自分自身についてしゃべっているのではない。エッセイも同じ。レポートみたいなものです。築地の旬の魚について「3分間でしゃべってください」と言われるのも「500文字で書いてください」と言われるのも、私の思考回路としてはまったく変わりません。秒数制限のなかでしゃべっていることを、字数制限のなかで同じ内容で文章に変換させると、エッセイになっちゃうんです。もちろん自分の視点からの話にはなっちゃうんですが、媒体は変わっても自分の軸はまったくブレていません。
また、DJやナレーションの仕事を長くやっていると、次第に時間の感覚が分かるようになってくるんです。特に1秒以下の感覚ですね。たとえば15秒という時間内に決められた文章を読む場合、「このくらいのペースだと0・5秒余る」「このままのペースで読んでいくと、0・2秒くらいこぼれるな」といったことが不思議と自然にわかるようになってくるんですね。でも、ちょっと早口で読まないと秒数内に終わりそうにないときでも、聴いている人には「早口でしゃべっているな」と感じさせてはいけないので、そこは今まで培ってきたテクニックで補っていくんです。そういう作業が楽しいんですよ。DJもナレーションも文章を書くのも、あくまでも主役は取り扱う素材であって、読んだり書いたりする私は、裏方なんです。
声優も最近はグラビアに登場したり歌を歌ったりと活動範囲が幅広くなってきましたが、私はあくまで裏方だと思っています。というより、私自身は声優として裏方でありたいんですね。
自分が望んだことに対しては
前向きな興味をもてる
エッセイを書き始めたきっかけは、私が築地市場の仲卸業を営んでいた家に嫁いだことでした。それまでも結婚願望は漠然とはあったんですが、声優やDJといった同業者とは結婚する気はなかったんです。ちょうどそのころ、『うる星やつら』の放映が終わって、NHKの番組で築地の魚河岸をレポートする仕事をしていたんですが、私は別に魚河岸に詳しいわけではなかったので、素人目線で知らないことを素直に尋ねていく、といった内容でした。
魚河岸の人にとっては当たり前と思っていることをいちいち聞かれるんですから、魚のプロにとっては、さぞ面倒臭かったことでしょうね。でも、築地というところは、挨拶とお礼さえしっかりしていれば、新参者でもすごく温かく受け入れてくれるんです。私は生まれも育ちも東京なので地元の人間だと思っていたんですが、築地にはまだ旧き良き江戸っ子文化みたいなものが息づいていて、「私は東京生まれではあっても、江戸っ子ではなく東京っ子なんだ……」と感じました。しかも築地は完全な男社会で、女性は陰から支える役割に徹していて、決して表に出てこない。そんなところが実に私好みでした。それで、お嫁に行くなら魚河岸の人のところがいいなと思って、お見合いをお願いしたんです。極端な話、魚河岸の人なら誰でもよかった(笑)。そう思ってしまうくらい、魚河岸の人はみんな気っ風がよくて、魚河岸全体が一つの大家族のような温かさをもっているんですね。
実際に結婚してみて、ここにお嫁に来て良かったと思いました。自分の仕事とはまったく異業種の世界に身を置いているという感覚も心地良かったし、築地では魚河岸の嫁に徹しているけれど、仕事に行くときは、たとえば昭和通りをまたいで銀座に入ると「平野文」になる、といったスイッチの切り替えもできるんです。今までは公私ともすべてが平野文だったので。今ではスイッチを切り替える楽しさも知りました。築地の嫁になると決まったときは、周囲から「大丈夫か?」とかなり心配されましたけど(笑)、私としては「何をそんなに心配しているんだろう」というくらい自覚がなかったんです。
築地魚河岸についてのエッセイは、ご依頼をいただいたので書き始めたんですが、書いている内容はNHKのレポーターをしていた頃と変わりません。たとえばイワシのことを、魚河岸ではときとして「七つ星」と言うんですが、それは「イワシの背に7つの斑点があるから」で、その理由を聞くまでは何のことかわかりませんでした。魚河岸の中に入ったからこそ知ったそういったサプライズを、ほかの人にも知っていただきたいと思ったのが動機です。築地では、朝起こったことが昼にはもう全員に知られているというような気風があるので、私がエッセイを書いていることも皆さんご存知で、面白そうなネタを進んで提供してくれたりということもあります。夫は「まるで俺の暴露本だよ」と嘆きつつ笑ってますけどね(笑)。築地にはそんな、何があっても動じないという懐の深さがあるので、私もすごく気楽だし、皆さんに支えられているという実感があります。本当に、魚河岸にお嫁に来て良かったと思います。何しろ結婚した当初、築地に抱いていたイメージというのは、四半世紀たった今でも裏切られていないんですから、すごいところでしょう?
改めて考えてみると、築地は自分から望んで、好きでそこに住みたいと思ったから、今でもいいところを探そうとするんです。好きでやっていることだからこそ、続けていける。これは声優の仕事も同じだと思います。声優さんになりたいという人は多いけれど、声優になるのは決して簡単なことではないでしょう。私も誰かに「声優になりたいんです」と相談されたら「個人的には薦めませんけどね」と答えると思います。でも声優に憧れて、実際に声優になった人もいらっしゃるのでしょう。そういう人たちはそれは声優という仕事の楽しさを知っているからこそ、別の言い方をすれば声優の仕事への興味が前向きだからこそ、声優を続けていられるのではないでしょうか。