【声優道】竹内順子さん「演技にマニュアルはない」

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アニメや吹き替えといった枠にとどまらず、アーティスト活動やテレビ出演など活躍の場を広げ、今や人気の職業となっている「声優」。そんな声優文化・アニメ文化の礎を築き、次世代の声優たちを導いてきたレジェンド声優たちの貴重なアフレコ秘話、共演者とのエピソードなど、ここでしか聞けない貴重なお話が満載。

それぞれが“声優”という仕事を始めたキッカケとは……。

声優ファン・声優志望者だけでなく、社会に出る前の若者、また社会人として日々奮闘するすべての人へのメッセージとなるインタビューは必見です。

演技にマニュアルはない

▼3歳からクラシックバレエを習うも「口でしゃべったほうが早い」と思った
▼演劇の授業をサボって演劇をしていた大学時代
▼声優は夢ではなくて、自分の技量を発揮できる一生の職業にしたいと思った
▼最初は女性が少年役を演じることに敷居の高さを感じていた
▼13歳から16歳になったナルトの気持ちがさっぱりわからなくなっちゃった
▼道は一つじゃない満足したらそこで終わってしまう
▼最後に答えを出すのは自分自身 そこからだけは逃げるな

【プロフィール】
竹内順子(たけうちじゅんこ)
4月5日生まれ。尾木プロ THE NEXT所属。主な出演作は『NARUTO-ナルト-』(うずまきナルト)、『イナズマイレブン』(円堂守)、『Yes!プリキュア5』(夏木りん/キュアルージュ)、『家庭教師ヒットマンREBORN!』(ランボ)、『おねがいマイメロディ』(クロミ)、『HUNTER×HUNTER』(ゴン=フリークス)、『デジモンフロンティア』(神原拓也)、『デジモンアドベンチャー』(ゴマモン)、『夢のクレヨン王国』(ストンストン)ほか。

3歳からクラシックバレエを習うも
「口でしゃべったほうが早い」と思った

小さい頃は、1日1回は必ず泣いている子供でした。私は3人兄妹の末っ子で、3つ上と6つ上の兄がいるんです。兄としては遊んでくれているつもりだったんでしょうけれど、性別も年齢も違うし、体力的にも能力的にもまったくかなわないじゃないですか。サッカーやバドミントンをしては失敗して怒られて泣き、カードゲームをやってもルールを間違えて怒られて泣いてました。泣くことで助けを求めるんですが、誰も助けてくれない(笑)。泣くのが当たり前になりすぎていて、親も気にしてくれませんでした。別に、兄からいじめられていたわけじゃないんですよ。私がおたふく風邪にかかったときには、兄が少ないお小遣いの中からお見舞いとしてすごく大きい飴玉を買ってきてくれたんです。でもおたふく風邪で口が開かなかったので、飴玉をビニール袋に入れてトンカチで砕いてくれました(笑)。

女の子って小さい頃から、歌手になりたいとかキャビンアテンダントになりたいとか、そういう変身願望があるじゃないですか。私もそうだったんですけど、末っ子で兄たちからバカにされることも多々あったので、少しでも可能性のあることしか口にしたくなかったんです。そんな私がどうして演技の道に進みたいと思うようになったのかというと、きっかけは高校時代に演劇部に入ったことです。

私は3歳の頃からクラシックバレエを習っていたんですが、わりと早い時期に自分の可能性というか「このまま習っていても、上には行けない」ということがわかっちゃったんです。そのせいもあって、発表会のたびに「伝えたいことがあるなら、踊りだけで表現するより、口でしゃべった方が早いんじゃないか」と思っていたんです。それで中学生くらいのときからお芝居に興味をもつようになりました。

高校で演劇部に入ったといっても、それほど熱心に活動していたわけではなく、お茶飲みクラブのような雰囲気でした。男女共学にも関わらず部員は女子が4~5人いるだけだったんですが、遊べる場所ができたということがうれしかったですね。発声や滑舌といった訓練も、初めて経験することって全部楽しいじゃないですか。しかも、いきなり「これをしようよ!」みたいに話が盛り上がって活動を始めることもあって、演劇って楽しいなと思うようになったんです。

高校卒業後の進路を決めるときになって、将来は役者になれたらとは思ったんですが、人は何かしら保証が欲しいじゃないですか。両親はできれば大学に進学してほしい、演劇の専門学校に行きたいなら自分のお金でいけといっていたし、高校の先生にしろ演劇みたいな不確実な進路を薦めるわけもないし、誰も後押しはしてくれないんだなと痛感しました。それで折衷案として、日本大学芸術学部の演劇学科に進学したんです。それでも結果として、大学はほとんど通わずに1年くらいで辞めることになっちゃうんですけどね(笑)。

演劇の授業をサボって演劇をしていた大学時代

大学ではもちろん一般教養科目の授業もありますし、演技の稽古といってもすぐにお芝居をさせてくれたわけでもありません。たとえばレオタードを着てダンスをするとか、動物園に行って動物の動きをトレースするアニマル・エクササイズとか、何のためにやるのかよくわからなくて、内心「バカみたい」と思ってました。演技をするためには一般的な羞恥心を取り払わないといけないんだけど、その頃の私はまだ羞恥心に凝り固まっていたので、とてもじゃないけどできなかったんです。もちろん一般教養の授業なんて興味がないから出席したくないし、あっという間に大学に行かなくなってしまったんです。

じゃあ大学をさぼって何をしていたのかというと、これが不思議なことに演劇なんですよ(笑)。大学に入ってすぐに学科の合宿があって、お互いに交流を深めたり、チームを作ってお芝居をしたりするんです。そのお芝居の発表でどういうわけか私が目立っていたらしく、大学の先輩方や卒業生の方が学外で芝居の公演を打つ際に「変なやつがいるから声をかけてみよう」みたいな感じで呼ばれるようになりました。

それでいろいろな舞台に出演していたんですが、そのうちに親もおかしいと思ったんでしょうね。私が大学の授業にほとんど行っていないことがわかると、「じゃあ学費ももったいないし、辞めれば?」と言ってくれたんです。それで2年になってすぐに辞めました。

ただ、これは声優になるときにも言われたことなんですが、親からは「自分の食いぶちくらい、自分で稼げ」と言われました。演劇なんてもうかるどころか、普通に考えれば赤字にしかなりませんからね。いろいろなアルバイトもしましたが、お金がなくて家から出られないなんてこともありました。それでも私は実家暮らしだったこともあって、それほど危機感を感じていなかったんです。だからこそ問題だったわけで、よく「いい加減にしろ!」みたいに怒られてました(笑)。

それから劇団に所属することになるんですが、ここでも実はお金の問題が絡んでいるんですよ。ある劇団の舞台に客演させてもらったときに、「次の公演も出てみない?」というふうに誘われて、面白かったので出演し続けているうちに年に5~6回も客演するようになっていたんです。その頃には貯金もなくなり、チケットの持ち分が払えなくて劇団に対する借金みたいな形になっていたので、「いっそのこと、うちの劇団員にならない?」と声をかけられたときには「はい」としか答えられませんでした。それが今も所属している劇団BQMAPです(笑)。

こう言うと嫌々所属したみたいに思われそうですが、劇団の方針というか主宰のやり方が私に合っていたんです。私は縛られるのが嫌いなので、あまり細かく演出指導をされると嫌になっちゃうんですが、劇団BQMAPの主宰はそういうタイプではありませんでした。いくら役者が「今言われたことがよくわからないので、待ってください。本番までにはどうにかします」と言ったところで、普通は信じないじゃないですか。でも主宰は「よし。待つ」といって本当にギリギリまで待ってくれるので、こちらも何がなんでも突き詰めなくちゃと思えるし、自分が悩んで出した答えだったら自信もつきますよね。そういうやり方が私の性に合っていたこともあって、今でも私にとって大切な居場所の一つになっています。